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【ブーディカ】
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永遠のブーディカ伝説
復讐に燃えた戦士女王ブーディカ。
彼女の名は後世、詩や文学作品に残されました。
とりわけ知名度が高くなったのはヴィクトリア女王の治世からです。
イギリス王室に新たな王子や王女が生まれると、ブックメーカーはその名前の賭けを行います。
なぜそんなことが可能か?
というと、王室では名付けの法則があり、ある程度予測ができるからです。
例えば男子に英語圏で有名な「ジョン」をつけるのはタブーとされています。
理由は「ジョン失地王」があまりに暗君だったから。
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ヴィクトリア女王も、今でこそいかにもイギリス女性らしい名前に想われますが、即位当初は「英国王室らしからぬイレギュラーな名前」とみなされていました。
確かにエリザベス、メアリ、アンとはちょっと趣が違いますね。
それもそのはず、本来ドイツ語由来の「ヴィクトワール」なのです。
ヴィクトリアが王位継承する可能性は当初低かったため、英国王室らしい名前をつけなかったのです。
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そんな女王のもと、大英帝国が全盛期を迎えたとき。ブーディカが再発見されます。
「“勝利”の名を持つ、ブリテン諸島の偉大なる女王!」
勇ましく軍勢を率いるブーディカのイメージは、ヴィクトリア女王と重ね合わせるのにはぴったりでした。
スコットランドブームの中で
18世紀以降、それまであまり注目されてこなかったケルト文化への関心が高まっていたことも、こうしたブーディカへの熱視線を後押ししました。
当時の人々にとって、キリスト教文明に毒されていない彼らの文化は、新鮮で素朴なものにうつったのです。
当時はスコットランドブームが巻き起こり、Oscarという名前がロマンチックなものとして好まれたりしています。
英語読みで「オスカー」。フランス語読みだと『ベルサイユのばら』でおなじみの「オスカル」。
これはスコットランドの詩人・ジェイムズ・マクファーソンの作品『オシアン』によって広まり、ブームになったものです。
ナポレオンも「オスカル」という名前が大層好きだったようで。
彼の元部下ベルナドットと元彼女デジレの間に生まれた息子は、ナポレオンによってオスカルと名付けられています。
ブーディカ伝説は、こうしたケルトブームとヴィクトリア女王礼賛の空気の中、一気にブレイクを果たすのです
当時の絵画作品では時代考証を無視して、当時の理想であったローマ風で描かれているあたり、ちょっと時代を感じますね。
現代のブーディカ像は、本来の豊かな赤毛に勇ましい戦化粧をしたものが多いようです。
※ヒストリーチャンネル、ブーディッカの紹介動画
※2003年の映画『ウォリアークイーン』予告編
日本では知名度がイマイチですが、英語圏を中心にして「勇猛果敢なケルト戦士の女王」として人気を誇るブーディカ。
多くの人々の夢やロマンを載せて、今日も彼女は戦車を率いて駆け回っています。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
『イギリスの歴史を知るための50章 (エリア・スタディーズ150)』(→amazon)
【TOP画像】
ブーディカ像/photo by Aldaron wikipediaより引用