ウェッジウッドの歴史

ヴィクトリア&アルバート博物館に展示されているウェッジウッド/wikipediaより引用

イギリス

ウェッジウッド260年の歴史~長く王侯貴族に愛されてきた英国陶磁器のシンボル

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最高傑作「ジャスパーウェア」

不穏な話はその辺にしておきまして、1774年まで話を進めましょう。

この年、ウェッジウッド社を代表する名品シリーズ「ジャスパーウェア」が完成しました。

彩色ではなく素地を色鮮やかに仕上げ、レリーフ装飾をしたものです。

ジョサイアは1770年頃から研究し、4年の時をかけてこの名品を作り上げたのでした。

「ジャスパー」は宝石の一種で、赤・青・緑・黄色などさまざまな色があります。

「ジャスパーウェア」で最も有名なのは少しくすんだブルーのもので、「ウェッジウッドブルー」とも呼ばれているほどです。

クリームウェアの改良から始まったこともあってか、ジョサイアは製品の色の美しさに非常な関心を抱き続けました。

1776年には中国の赤い器を模した「ロッソアンティコ」、1783年には東洋の籐編みをイメージした黄褐色の「ケインウェア」を作り上げ、常に社会と市場を感嘆させています。

1783年にはこれまでの功績が認められ、ジョサイアが王立協会の会員となりました。

王立協会とは、イギリス王がパトロンとなっている学者や研究者の団体です。

主軸は自然科学だそうですが、会員の職業には制限がなく、科学者以外にも政治家や医師、聖職者、商人なども参加を許されています。

ジョサイアにとっては、新たなショールームや商談の場を兼ねる意味合いもあったのではないでしょうか。

 

古代の名品を再現

王立協会の一員となったことで、ジョサイアはこれまでと違った作品を作り上げるきっかけを得ました。

1786年に目にした「ポートランドの壺」を、自分の手で複製したいと思うようになったのです。

ポートランドの壺は古代ローマ時代に作られたとされる、半透明の濃紺地に白いカメオガラスの絵が彫られたもの。ジャスパーウェアの製法を使えば、再現できると確信したのでしょう。

日本でいうところの還暦を迎えた1790年は、ジョサイアにとって何度目かの記念すべき年になりました。

ついに、ポートランドの壺の再現品が完成したのです。当時ももちろん称賛されましたが、このレプリカは彼が世を去った後、非常に大きな役割を果たすことになります。

大英博物館に展示されていたオリジナルのポートランドの壺は、1845年にとある学生によって壊されてしまったのです。

修復には凄まじい時間がかかり、その間ジョサイアの作った再現品が展示されたのでした。

その間に当たる1787年には、彫刻家ハックウッドに依頼し、奴隷解放運動のためのメダリオンを制作。

ジョサイアがベンジャミン・フランクリンと親交を持っており、アメリカでの奴隷解放運動を支持していたためです。

1780年に亡くなっていた親友トーマスが、生前に奴隷解放運動を支持していたことから、ジョサイアも関心を持つようになったとされています。

イギリスは18世紀初頭から黒人奴隷に対する扱いの改善を始めており、奴隷貿易の禁止案も議会で取り沙汰されるようになっていましたので、王立協会の中でも議論されることがあったでしょう。

とはいっても植民地での奴隷は認められていましたし、人権に関する理解が広まるのは、もっと後のことですが。

 

欠勤手当や退職金を考案

1793年、ジョサイアは社会にまたしても新たな概念をもたらします。

「傷病時の欠勤手当や退職金に充当するため、従業員たちからお金を集める」というやり方を編み出したのです。

これまた現代でいうとすれば、傷病手当や企業年金みたいな感じでしょうかね。

窯業は職場の特性上、ケガや事故が起きやすい傾向にあります。

焼き上げには当然のことながら高温を扱いますし、美しい色をもたらしながらも人体にとっては有毒な釉薬といった危険と隣り合わせなのです。

熟練した職人がケガで職場を離れれば、その穴を埋めることも難しく、当人も生活苦のために他の仕事を探さざるを得ません。

そこでジョサイアは、

「休養の間の生活費をみんなで少しずつ・あらかじめ集めておけば、育て上げた職人が回復し次第、安心して職場に戻ってこられる」

という仕組みを作ったのでした。

「治ればまた仕事ができるし、それまでのお金の心配をしなくていい」というのは、労働者にとっても大きな安心材料だったのではないでしょうか。

「病は気から」ともいいますし、前向きな気持ちがあれば、いくらかは回復速度も上がったかもしれません。

世間的な評判も上がり、商品の売れ行きにも多少は影響したでしょう。

こうして陶器の歴史にも、社会的にも大きな功績を残したジョサイアは、1795年1月3日にこの世を去りました。

跡を継いだジョサイア2世以降の経営者もまた、新たな発想のデザインで消費者を魅了し続けています。

一例を挙げると、

・淡色を帯状に塗り、その上に同じ色で点描のように描いて柔らかな色合いを生み出した「パウダー」

・日本の麻の葉模様や市松模様などを取り入れた「サムライ」

・ウェッジウッドブルーと金色のシンプルモダンな「ヘリア」

などなど。

現在のウェッジウッド社は、比較的リーズナブルで日常使いしやすい商品も手掛けており、中には箸置きや日本茶・中国茶向きの茶碗などもあります。

お値段もまさにピンキリで、手の届きやすい価格帯も少なくありません。

一点だけお気に入りを買ったり、ちょっとずつ集めていくのも楽しそうですね。

日本語の公式サイトはこちらからどうぞ(→link)。

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長月 七紀・記

【参考】
相原恭子/中島賢一『ウェッジウッド物語』(→amazon
南川三治郎『欧州陶磁紀行』(→amazon
加納亜美子/玄馬絵美子『あたらしい洋食器の教科書 美術様式と世界史から楽しくわかる陶磁器の世界』(→amazon
世界大百科事典
岩波 世界人名大辞典
日本大百科全書(ニッポニカ)
ウェッジウッド公式サイト(→link

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