ウェッジウッドの歴史

ヴィクトリア&アルバート博物館に展示されているウェッジウッド/wikipediaより引用

イギリス

ウェッジウッド260年の歴史|王侯貴族に愛された英国陶磁器のシンボル

2024/07/12

日常で使うものほど、お気に入りの柄やデザインにこだわると気分が良くなりますよね。

上を見ればキリがありませんけれども、ほんのちょっと予算を増やすだけでも意外といいものが見つかることがあります。

有名なメーカーでも、実は手の届きやすい価格帯のものがあったりして……。

1730年7月12日は、陶磁器メーカーウェッジウッドの創設者であるジョサイア・ウェッジウッドが誕生した日です。

日本でもファンの多いメーカーですし、特に人気のワイルドストロベリー柄を見れば「ああ!」と思い出す方もいらっしゃるのではないでしょうか。

本日は創始者であるジョサイアの生涯とともに、ウェッジウッド社の食器について見ていきましょう。

ジョサイア・ウェッジウッド/wikipediaより引用

 


生い立ち

ジョサイアは、イギリス中西部のスタッフォードシャー州バースレムに生まれました。

父は陶芸工房を経営するトーマス・ウェッジウッド、母はメアリー。

ジョサイアはなんと第13子(末子)でした。トーチャンもカーチャンもすごすぎる。

しかし1739年に父が亡くなり、長兄が工房を継承すると、ジョサイアの苦労が始まります。

学費を払えなかったため、ジョサイアは小学校を辞めざるを得なかったのです。

将来のために工房を手伝うようになりましたが、1742年には天然痘に罹患。

幸い命は助かったものの、右足が不自由になってしまいました。

作陶については不便になったものの、彼の意欲は病ごときでは消えません。

新しくより美しい陶器の作り方を研究したり、経営を工夫して設けを増やす勉強を始めました。

もともと意欲と優れた頭脳を持っていたんでしょうね。

見習い期間が終わってしばらく経った1752年、ジョサイアはジョン・ハリソン、トーマス・オルダースとともに新しく工房を設立し、独り立ちしました。

名前が「ハリソン&オルダース」だったことからして、この頃のジョサイアは作陶の腕よりも発想力や経営力を買われていたのかもしれません。

 


美しい器を求めて

1754年、ジョサイアはフェントンのトーマス・ウィールドンの窯に入り、共同経営を始めました。

ここで

・日本の”練り込み”に似た波打つマーブル模様の「アゲートウェア」

・当時ヨーロッパでは貴重だった白い陶器「クリームウェア」

の研究を進めていきます。

特に後者はジョサイアの名を高め、のちにウェッジウッド社の代名詞となります。

なんでかというと、当時のヨーロッパでは、中国・東洋風の美術趣味「シノワズリ」が流行していた事が影響しています。

シノワズリは衣服や建築などさまざまな分野に影響を及ぼし、その流れで中国の陶磁器も大変な人気を博しました。

しかし、輸送のコストや輸送中の破損などの理由で、中国で作られたものを輸入すると非常に高価になりがちでした。

特にヨーロッパの人々を魅了したのが、真っ白な食器類と繊細な絵柄の数々です。

絵柄の方は比較的早く模倣されたものの、食器の色だけはなかなか再現できずにいました。

ヨーロッパでは白い磁器の原料である白色粘土(カオリン)がなかなか手に入らなかったことが大きな理由でした。

しかしそれは「より白く美しい磁器を作れれば、王侯貴族が喜んで買ってくれる」ということでもあります。

ジョサイアも「ゆくゆくはウチの目玉商品にしたい」と考えて、クリームウェアの研究を始めたのではないでしょうか。

1757年にはイングランド中部のバーズレムに新たな工場を設け、二年後にはさらにアイビー・ハウス工場を開設。

この1759年がウェッジウッド社創立とされています。

また、この年には野菜をモチーフにした「カリフラワーウェア」を作り始めました。

クリームウェアの素地に緑の釉薬で色を付け、美しくコントラストを出したものです。

変わり種だけでなく、クリームウェアの改良も続けていました。

 

親友と家族

ジョサイアにとって、1750年代は仕事での挑戦を続けた時期でした。

続く1760年代は、公私両面で彼を支えた重要人物たちとの関係が密になっていきます。

1762年、ジョサイアは仕事でリバプールを訪れていました。

ここで右足が痛み、マテュー・ターナーという医師の診察を受けたところ、トーマス・ベントレーという商人と親しい仲に。

トーマスはジェントリ階級出身で、美術や文学に造詣が深く、そしてフランス語やイタリア語などを習得しており、ジョサイアは創作意欲を大いに刺激されました。

トーマスもジョサイアの学習意欲に好感を抱き、意気投合した二人は親友として、そしてビジネスパートナーとして付き合うようになります。

プライベートも充実し始めました。

1764年、ジョサイアはいとこのサラと結婚。

彼らの長女スザンナがのちにチャールズ・ダーウィンを産むことになります。

ジョサイアの主治医がエラズマス・ダーウィンという人で、彼の息子にスザンナが嫁いだのでした。

活躍したジャンルは全く異なりますが、「粘り強さ」や「発想力」といった素質という面を見ると、血筋を感じるかもしれませんね。

ジョサイアはたびたびサラの意見を参考にして絵柄や商品を作っていたらしく、公私両面でのパートナーと呼べる存在でした。

現在は生産されていないのですが、ウェッジウッド社のデザインのひとつに「サラズガーデン」というシリーズがあります。家庭菜園や庭を愛したサラへのオマージュとして作られたのだとか。

花や果樹などが描かれていて可愛らしいデザインなので、廃盤になってしまったことが惜しまれます。

 


研究者肌が別の形にも

1765年、ジョサイアはエラズマスに誘われ、新進気鋭の学者や発明家のサークルに加わりました。

後に「ルナ・ソサエティ」と呼ばれる団体です。日本語では「月光協会」と訳されることもあります。

ルナは月のことであり、転じてLunatic=狂気的という意味もあります。当時は夜間の照明が乏しかったので、満月の夜に周回を開いていたためにこの名がついたのだとか。

新しい概念や発想を持つ人々は、従来の価値観にこだわる人々からすると「物狂い」などと呼ばれることがありますから、「それならいっそ自分から名乗ってやれ」というような反骨心もありそうです。

かつてエリザベス1世が月の女神に例えられたこともありますが……まあ、関係ないですかね。

エラズマスが主催者のような立ち位置で、同時代における他の著名なメンバーとしては

ジェームズ・ワット→蒸気機関の発明者

ベンジャミン・フランクリン→避雷針の発明者、アメリカ独立宣言の起草者などなど

がいます。

彼らとの間に目立ったエピソードは見当たらないものの、ジョサイアはのちのち自社工場に蒸気機関を導入したり、奴隷解放運動に一枚噛んでいたりします。

この年にウェッジウッド社は王室の保護を受けられるようになり、ジョサイアが長年取り組んできたクリームウェアの改良に成功しました。

良い製品ができたからには、より良い状態で顧客のもとに届けなれけばなりません。

そしてやっかいなことに、陶磁器の輸送には事故や破損がつきものです。

そこでジョサイアは、運送経路にも投資するようになります。

1766年にトレント&マーシー運河を着工させ、水運による国内輸送や輸出を確実なものにするべく動いたのです。

長距離の陸送ではどうしても事故や破損が避けられない、と考えたためでした。

ジョサイアは道路整備にも取り組んでいましたが、なにせ陶磁器は重量がかさみやすい上、当時は馬車による運送や郵便が大流行しており、その分事故も増えていました。

割れ物を扱っている業者としては、少しでも安全な水運ルートを取りたいと思うのも当然のことですね。

そうした努力が報われてか、1767年にはときのイギリス王ジョージ3世の妃・シャーロットがウェッジウッドのクリームウェアをいたく気に入ってくれました。

そして「クイーンズウェア」と名乗る許可まで与えられています。

直訳すれば「女王の食器」ですが、日本語であれば「王室御用達ブランド」といったほうがわかりやすいですかね。

王室の覚えもめでたく、長年の努力も認められ、愛する妻と子供に囲まれ……と、順風満帆だったジョサイア。

唯一彼の前途に暗雲をもたらしたのが、天然痘の置き土産でした。

1768年に右足の状態が悪化し、膝蓋骨から下を切断せざるを得なくなったのです。

しかし、ジョサイアはこの後も精力的に美しい製品を作り続けます。

まずは彩色を施さない「ブラックバサルト」シリーズを考案し、好評を博しました。直訳すると火山岩の一種「玄武岩」になる、その名の通り美しい黒色の食器類です。

お茶会の際、貴族女性の手がより白く見えることから愛用されるようになったそうです。白人社会ならではという感じですね。

20世紀には失われたと思われていたのですが、ドイツで発見され、再注目されています。

また、同時期にロシアのイギリス大使館でクイーンズウェアを使ってもらい、ロシア貴族や女帝エカチェリーナ2世にアピールを欠かしませんでした。

エカチェリーナが陶器をこよなく愛していたため、ジョサイアもお得意様としてお付き合いしたいと考えたようです。

 

ロシア女帝のお墨付きを得る

クイーンズウェアの名のりを許されたことによって、注文が増え続けていたウェッジウッド社。

受注数に適した生産速度を保つには、新たな工場が必要になってきました。

1769年、ジョサイアは親友・トーマスと共同でストーク・オン・トレントに陶器工場を作り、数年後には自社で働く労働者の町まで作るほどになります。

この町はイタリアの古い地名をとって「エトルリア」と名付けられました。

現代日本でいえば豊田市や日立市のような、企業城下町のイメージでしょうか。

エトルリア工場での第一作となったのは、ブラックバサルトの「初日の壺」と呼ばれる壺です。

ジョサイアがろくろを扱い、トーマスがろくろを回すための足元の車を回すことで、文字通りの共同制作をした品でした。

表には古代ギリシア風の絵柄が描かれ、裏側には”Wedgwood and Bentley”と刻まれています。

この年は、待ちに待ったロシア女帝・エカチェリーナ2世からついにディナーセットの注文が入った年でもあります。

ジョサイアはイギリスよりもさらに慣例なロシアの気候に合わせ、小さなオーブン付きの「ハスクサービス」を納品しました。「サービス」はディナーに使う食器一揃いのことで、たびたび使われます。

これは女帝の愛人として有名なグリゴリー・オルロフに贈られたそうです。

狙い通り王侯貴族の御用達メーカーにはなったものの、彼らとて、そう頻繁にまとまった注文をしてくれるわけではありません。製造コストも相応にかかります。

そのため、ウェッジウッド社の経営がなんだか怪しい感じになっていきました。

そこでジョサイアは、簿記を取り入れて経費や材料費などを細かく管理しはじめました。

さらに、当時発明されたばかりの蒸気機関を導入し、生産効率を上げ、一般家庭にも手の届きやすい価格帯の製品も増やすことで、売上を伸ばしています。

製品開発と経営の両方に才能があったというのは、実にうらやましい話ですね。

経営改善はうまく行き、1770年にはチェルシーに第3の工場を作れるまでに。

もちろん新たな製品の開発にも意欲的に取り組みました。それらの完成はもう少し後になるので、後述するとしましょう。

1773年には再びエカチェリーナから

「チェスメンスキー宮殿で使うディナーセットを作ってほしい」

という大口注文が入りました。

この宮殿はカエルがたくさん住む沼があり、「カエルの宮殿」という愛称があるほどだったそうです。

それを知ったジョサイアは、このセットにカエルの紋章と沼地などを描かせ、「フロッグ・サービス」と名付けました。

ひとつひとつ職人の手作業で絵付けが行われたため、完成は翌年のこと。

女帝のために作られた繊細な絵付けと作りの食器たちを、ジョサイアは新しい販促方法に活用しようと考えました。

当時珍しかった「ショールーム」をロンドンに作り、さまざまな人がウェッジウッド社の製品を間近に見た上で、注文できるようにしたのです。

マネージャーには盟友トーマスを任命し、美術品と実用品それぞれのカタログを置いておいて、受注生産の効率を高めました。

また、息子にはカタログを持たせてヨーロッパ各地に送り出し、各国の王侯貴族に売り込みをかけさせています。

ウェッジウッドの製品を気に入った貴族が親戚や友人に紹介することにより、さらに顧客が増えていきました。

イギリス王室やロシア皇室だけに頼っていては、有事の際に会社や従業員を守れないと考えたのでしょうかね。

この年はアメリカでボストン茶会事件が起きていますし、そもそもエカチェリーナもクーデターで皇位についた人ですから、いつどこで似たようなことが起きてもおかしくない……とも思ったかもしれません。

 

最高傑作「ジャスパーウェア」

不穏な話はその辺にしておきまして、1774年まで話を進めましょう。

この年、ウェッジウッド社を代表する名品シリーズ「ジャスパーウェア」が完成しました。

彩色ではなく素地を色鮮やかに仕上げ、レリーフ装飾をしたものです。

ジョサイアは1770年頃から研究し、4年の時をかけてこの名品を作り上げたのでした。

「ジャスパー」は宝石の一種で、赤・青・緑・黄色などさまざまな色があります。

「ジャスパーウェア」で最も有名なのは少しくすんだブルーのもので、「ウェッジウッドブルー」とも呼ばれているほどです。

クリームウェアの改良から始まったこともあってか、ジョサイアは製品の色の美しさに非常な関心を抱き続けました。

1776年には中国の赤い器を模した「ロッソアンティコ」、1783年には東洋の籐編みをイメージした黄褐色の「ケインウェア」を作り上げ、常に社会と市場を感嘆させています。

1783年にはこれまでの功績が認められ、ジョサイアが王立協会の会員となりました。

王立協会とは、イギリス王がパトロンとなっている学者や研究者の団体です。

主軸は自然科学だそうですが、会員の職業には制限がなく、科学者以外にも政治家や医師、聖職者、商人なども参加を許されています。

ジョサイアにとっては、新たなショールームや商談の場を兼ねる意味合いもあったのではないでしょうか。

 

古代の名品を再現

王立協会の一員となったことで、ジョサイアはこれまでと違った作品を作り上げるきっかけを得ました。

1786年に目にした「ポートランドの壺」を、自分の手で複製したいと思うようになったのです。

ポートランドの壺は古代ローマ時代に作られたとされる、半透明の濃紺地に白いカメオガラスの絵が彫られたもの。ジャスパーウェアの製法を使えば、再現できると確信したのでしょう。

日本でいうところの還暦を迎えた1790年は、ジョサイアにとって何度目かの記念すべき年になりました。

ついに、ポートランドの壺の再現品が完成したのです。当時ももちろん称賛されましたが、このレプリカは彼が世を去った後、非常に大きな役割を果たすことになります。

大英博物館に展示されていたオリジナルのポートランドの壺は、1845年にとある学生によって壊されてしまったのです。

修復には凄まじい時間がかかり、その間ジョサイアの作った再現品が展示されたのでした。

その間に当たる1787年には、彫刻家ハックウッドに依頼し、奴隷解放運動のためのメダリオンを制作。

ジョサイアがベンジャミン・フランクリンと親交を持っており、アメリカでの奴隷解放運動を支持していたためです。

1780年に亡くなっていた親友トーマスが、生前に奴隷解放運動を支持していたことから、ジョサイアも関心を持つようになったとされています。

イギリスは18世紀初頭から黒人奴隷に対する扱いの改善を始めており、奴隷貿易の禁止案も議会で取り沙汰されるようになっていましたので、王立協会の中でも議論されることがあったでしょう。

とはいっても植民地での奴隷は認められていましたし、人権に関する理解が広まるのは、もっと後のことですが。

 

欠勤手当や退職金を考案

1793年、ジョサイアは社会にまたしても新たな概念をもたらします。

「傷病時の欠勤手当や退職金に充当するため、従業員たちからお金を集める」というやり方を編み出したのです。

これまた現代でいうとすれば、傷病手当や企業年金みたいな感じでしょうかね。

窯業は職場の特性上、ケガや事故が起きやすい傾向にあります。

焼き上げには当然のことながら高温を扱いますし、美しい色をもたらしながらも人体にとっては有毒な釉薬といった危険と隣り合わせなのです。

熟練した職人がケガで職場を離れれば、その穴を埋めることも難しく、当人も生活苦のために他の仕事を探さざるを得ません。

そこでジョサイアは、

「休養の間の生活費をみんなで少しずつ・あらかじめ集めておけば、育て上げた職人が回復し次第、安心して職場に戻ってこられる」

という仕組みを作ったのでした。

「治ればまた仕事ができるし、それまでのお金の心配をしなくていい」というのは、労働者にとっても大きな安心材料だったのではないでしょうか。

「病は気から」ともいいますし、前向きな気持ちがあれば、いくらかは回復速度も上がったかもしれません。

世間的な評判も上がり、商品の売れ行きにも多少は影響したでしょう。

こうして陶器の歴史にも、社会的にも大きな功績を残したジョサイアは、1795年1月3日にこの世を去りました。

跡を継いだジョサイア2世以降の経営者もまた、新たな発想のデザインで消費者を魅了し続けています。

一例を挙げると、

・淡色を帯状に塗り、その上に同じ色で点描のように描いて柔らかな色合いを生み出した「パウダー」

・日本の麻の葉模様や市松模様などを取り入れた「サムライ」

・ウェッジウッドブルーと金色のシンプルモダンな「ヘリア」

などなど。

現在のウェッジウッド社は、比較的リーズナブルで日常使いしやすい商品も手掛けており、中には箸置きや日本茶・中国茶向きの茶碗などもあります。

お値段もまさにピンキリで、手の届きやすい価格帯も少なくありません。

一点だけお気に入りを買ったり、ちょっとずつ集めていくのも楽しそうですね。

日本語の公式サイトはこちらからどうぞ(→link)。


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【参考】
相原恭子/中島賢一『ウェッジウッド物語』(→amazon
南川三治郎『欧州陶磁紀行』(→amazon
加納亜美子/玄馬絵美子『あたらしい洋食器の教科書 美術様式と世界史から楽しくわかる陶磁器の世界』(→amazon
世界大百科事典
岩波 世界人名大辞典
日本大百科全書(ニッポニカ)
ウェッジウッド公式サイト(→link

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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