メイフラワー号

メイフラワー号/wikipediaより引用

イギリス アメリカ

メイフラワー号が英国から出航! アメリカと移民の歴史はこうして始まった

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「誰もいない土地に行けば生き延びられるかも……」

彼らはなぜ、文字通り命がけの旅に出たのか?

気候や病気のリスクは船旅につきものですから、当然そのことは知っていたはず。

にも関わらず出発せざるを得ない状況――それは当時のイギリスにおける宗教事情も絡んでいました。

前述の通り、メイフラワー号には清教徒(ピューリタン)が1/3程度乗っていましたが、彼らはイギリス国教会から迫害を受けていたのです。

ややこしい話ですが、ものすごくザックリ言うと

イギリス国教会=「ウチの王様は宗教的にも偉いんだぞ!王様バンザイ!」

ピューリタン=「いやいやそれおかしいでしょ。ちゃんとやらないと罰当たるからなんとかしないと」

という感じです。

そしてピューリタンの中にも、

「俺らは頑張って出世して、内側から教会を変えていこう」とする人々(長老派)

「あいつらもうダメだから、どこか居心地のいいところに引っ越そう」と見限った人々(分離派)

という、ふたつの派閥がありました。

メイフラワー号に乗っていたのは後者で、だからこそ危険な航海にも耐える心積もりでいたのです。

ピューリタン(Puritan)という言葉がそもそも「くそ真面目な人」という意味ですので、その意思は頑強だったことでしょう。

では、ピューリタン以外の人々は?

というと、イギリスで仕事を得られず、一か八かでアメリカに賭けたといわれています。

メイフラワー号でアメリカに渡った人の中には、オランダにいったん移住したものの、失敗したためアメリカに……という人もいたとか。

「言語が通じない(通じにくい)国と、そもそも人がいない土地とどちらが生き延びられるか?」

本当に、そんな先が読めない賭けだったわけです。

結果が良かったのか悪かったのかは、なんともいえないところ。

航海中に出産した人も二人おり(ピューリタンだったかは不明)、母は強しというか生命の神秘を感じさせてくれます。

 

未知に挑むのは命がけ

植民地時代=欧米列強が武器を振りかざして乱暴を働く。

そんなイメージが強いですが、行く側も行く側で命がけではありました。

もう少し前の大航海時代ではいろいろな人が「どこそこを発見しました」という話がよく出てきますが、本人はともかく船員の多くが亡くなった記録は珍しくありません。

世界一周したことで有名なマゼランなんて、本人はフィリピンに上陸した際、原住民との戦いで殺されています。

正確に言えば、世界一周したのは彼の船と船員達であって、マゼラン本人ではないんですね。

後世からみているからこそ言えることですが、このくらいの時代が、ある意味ヨーロッパとその他の国が一番公平だった時期かもしれません。

さらに時代が進むと、現地住民との争いや、お互いに免疫を持っていなかった病気やらで、また別の問題が多々起きています。

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長月 七紀・記

【参考】
猿谷要『物語 アメリカの歴史 超大国の行方 (中公新書)』(→amazon
和田光弘『植民地から建国へ 19世紀初頭まで シリーズ アメリカ合衆国史 (岩波新書)』(→amazon
日本大百科全書(ニッポニカ)
世界大百科事典

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