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【メイフラワー号】
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「誰もいない土地に行けば生き延びられるかも……」
彼らはなぜ、文字通り命がけの旅に出たのか?
気候や病気のリスクは船旅につきものですから、当然そのことは知っていたはず。
にも関わらず出発せざるを得ない状況――それは当時のイギリスにおける宗教事情も絡んでいました。
前述の通り、メイフラワー号には清教徒(ピューリタン)が1/3程度乗っていましたが、彼らはイギリス国教会から迫害を受けていたのです。
ややこしい話ですが、ものすごくザックリ言うと
イギリス国教会=「ウチの王様は宗教的にも偉いんだぞ!王様バンザイ!」
ピューリタン=「いやいやそれおかしいでしょ。ちゃんとやらないと罰当たるからなんとかしないと」
という感じです。
そしてピューリタンの中にも、
「俺らは頑張って出世して、内側から教会を変えていこう」とする人々(長老派)
「あいつらもうダメだから、どこか居心地のいいところに引っ越そう」と見限った人々(分離派)
という、ふたつの派閥がありました。
メイフラワー号に乗っていたのは後者で、だからこそ危険な航海にも耐える心積もりでいたのです。
ピューリタン(Puritan)という言葉がそもそも「くそ真面目な人」という意味ですので、その意思は頑強だったことでしょう。
では、ピューリタン以外の人々は?
というと、イギリスで仕事を得られず、一か八かでアメリカに賭けたといわれています。
メイフラワー号でアメリカに渡った人の中には、オランダにいったん移住したものの、失敗したためアメリカに……という人もいたとか。
「言語が通じない(通じにくい)国と、そもそも人がいない土地とどちらが生き延びられるか?」
本当に、そんな先が読めない賭けだったわけです。
結果が良かったのか悪かったのかは、なんともいえないところ。
航海中に出産した人も二人おり(ピューリタンだったかは不明)、母は強しというか生命の神秘を感じさせてくれます。
未知に挑むのは命がけ
植民地時代=欧米列強が武器を振りかざして乱暴を働く。
そんなイメージが強いですが、行く側も行く側で命がけではありました。
もう少し前の大航海時代ではいろいろな人が「どこそこを発見しました」という話がよく出てきますが、本人はともかく船員の多くが亡くなった記録は珍しくありません。
世界一周したことで有名なマゼランなんて、本人はフィリピンに上陸した際、原住民との戦いで殺されています。
正確に言えば、世界一周したのは彼の船と船員達であって、マゼラン本人ではないんですね。
後世からみているからこそ言えることですが、このくらいの時代が、ある意味ヨーロッパとその他の国が一番公平だった時期かもしれません。
さらに時代が進むと、現地住民との争いや、お互いに免疫を持っていなかった病気やらで、また別の問題が多々起きています。
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長月 七紀・記
【参考】
猿谷要『物語 アメリカの歴史 超大国の行方 (中公新書)』(→amazon)
和田光弘『植民地から建国へ 19世紀初頭まで シリーズ アメリカ合衆国史 (岩波新書)』(→amazon)
日本大百科全書(ニッポニカ)
世界大百科事典