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【モンテスパン侯爵】
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寵姫の夫と栄光と没落と
フランソワーズの、夫に対する怒りは収まりませんでした。
彼女は夫に対して別居訴訟を起こします。
当時、離婚は大変ハードルが高いものでして、別居訴訟が実質的な離婚訴訟のようなもの。フランソワーズは容赦なく夫から持参金や家財道具をむしり取りました。
結果、モンテスパン侯は借金まみれになってしまいます。
夫が借金まみれになる一方、フランソワーズは栄光への階段を駆け上がっていました。
彼女が本気になれば、心優しく王の愛だけが頼りのルイーズ・ド・ラヴァリエールでは太刀打ちできません。
度重なるイジメのような仕打ちに心を痛め、修道院に送られてしまいました。
ここからはフランソワーズにとって、栄光の日々。
華麗な美貌は王の寵愛と宝石やドレスで輝いていました。それはもう満足の日だったでしょう。
しかし、寵姫は年齢と戦わねばなりません。
加齢と度重なる出産で、彼女の美貌もやがて翳りが見え始めます。
自分よりずっと若いライバルを、黒魔術にまで頼って蹴落としきたフランソワーズ。
それにも限界がありました。
ルイ14世が新たな愛人に選んだのは、聡明で控えめなマントノン侯爵夫人です。
若さに弾けるような女性ではなく、むしろ地味系のノーマーク女に栄光を奪われてしまうのでした。
そしてついにフランソワーズは、あろうことか夫に助けを求めます。
当然ながら、モンテスパン侯は家に戻りたいという妻の頼みを断ります。
結局、フランソワーズは、かつて自分が追いやったルイーズと同じく、修道院で神に仕える日々を送ることになるのでした。
皮肉な状況を面白きに変えて
モンテスパン侯は、その後宮廷への出入り禁止が解かれました。
彼は宮中で、「彼の娘」とカードゲームを楽しむことすらありました。
彼女らは、名目上彼の娘ということでしたが、実際にはフランワーズと王との間にできた子たちでした。
この皮肉な状況も、角が取れて丸くなったモンテスパン侯にとっては、面白いことでした。
かつては妻への愛が暴走し、奇矯な振る舞いをとっていたモンテスパン侯。
晩年の彼は面倒見が良い老貴族として知られていました。
そんな彼は1701年、穏やかな最期を迎えます。
妻に先立つこと6年、61年の生涯。
全力で寝取られ男をアピールして歴史に名を残すという、フランス史においても中々ユニークな一生を送った人でした。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
安達正勝『フランス反骨変人列伝 (集英社新書)』(→amazon)