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【カリグラ】
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彼を見下ろしたら、どんな理由であれ死罪なり
おそらくや彼の身に起きたであろう精神の疾患。
病は悪化する一方のようで、忠実な側近を崖から突き落として殺すなどの暴挙を働きどんどん人心が離れていきます。
カリグラを「暴君」とする逸話は、おそらくこのあたりの出来事をさらに脚色したものでしょう。詳しく書くとR18になりそうですので、ご興味のある方は各自お調べください。
問題なさそうなところでいくと、カリグラの外見を評した文章としてこんなものがあります。
たぶん、そのまま載せたほうがいろいろと想像がつきやすいと思うので、創元社さんの『ローマ皇帝歴代誌』(→amazon)から訳を引用させていただきますね。
カリグラの見た目について、こう記されておりました。
カリグラ帝は非常に背が高く、肌は極端に青白く、不格好な体つきをしていた。
首と足はとても細く、目とこめかみはくぼみ、額は不気味なほど広かった。
体は毛深かったが、髪は薄く、頭頂部は完全にはげていた。
そのため、歩いている彼を高い場所から見下ろすのは、どんな理由があっても死に値する罪とされた
【ローマ皇帝歴代誌(創元社)より引用】
前半の三段オチのようなけなしぶりに加えて、後半では頭髪のせいでバカにされまくる、という実にひどい評価。
カリグラの死後数十年後に書かれたもので、鵜呑みにできないはできません。
まぁ、カリグラの狭量さを伝えるためにこのような文章にしたのでしょう。いずれにせよ身体的特徴を罵るようなヤリ方は、見ていて不快なものもありますね。
守ってくれるはずの親衛隊に虐殺される
何はともあれ、こんなことをずっと続けていれば、皇帝としての資質が疑われるのも当然のことです。
即位からたった3年目。カリグラは芝居見物をしに出かけた先で、自分を守ってくれるはずの親衛隊に殺されてしまいました。
殺し方が割とドギツくて、省略します。
いずれにせよ、この短期間でそんな殺され方をするとは、よほど深い恨みだったに違いない、それ相応のことをしてしまっていたのだろう……と思えるものです。
可哀想に、カリグラの妻も幼い娘も悲惨な方法で殺されてしまっています。
こういうときに「女子供だから」といって助けると遺恨を残しますから、仕方ないんでけどね……。
カリグラが一般的に「暴君」といわれているのは、言動が不安定になってしまった時期を切り取って、強調・批判している歴史書が多いためではないでしょうか。
まあ、たった数年しか在位していなかったのに、こんな強烈なことを連発していたら、そこだけが語り伝えられるのも無理はありません。
その辺は、一昔前の織田信長像と似ている気がします。
今後、カリグラの施政に関する新たな資料が見つかれば、また評価が変わってくるかもしれませんね。
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長月 七紀・記
【参考】
『ローマ皇帝歴代誌』(→amazon)
カリグラ/wikipedia