日本中世史の本郷和人・東大史料編纂所教授が歴史ニュースをぶった切る「歴史ニュースキュレーション」です。
今回の注目は【本能寺の変】です!
本能寺直前に明智と長宗我部が書状
一般財団法人 林原美術館(館長:谷一 尚、住所:岡山市北区)と岡山県立博物館(館長:谷名 隆治、住所:岡山市北区)は、林原美術館所蔵の古文書の中に、天文4年(1535)~天正15年(1587)までの約50年間にいたる、47点(全3巻)の歴史的意義の高い文書群「石谷家文書(いしがいけもんじょ)」を確認しました。
平成25年12月から、林原美術館学芸課課長の浅利尚民と岡山県立博物館学芸課主幹の内池英樹とで共同研究をしております。
本文書には大別して①長宗我部元親に関するもの、②本能寺の変直前もの、③その他の戦国武将や石谷家の由緒・権利関係などに関するものが含まれており、非常に重要な資料であることがわかりました。
今後これらの研究を進めるとともに、幅広く中世の歴史研究に供してその発展に寄与し、この石谷家文書の全容を明らかにするために、資料集を作成する予定です。
また、林原美術館、岡山県立博物館、および長宗我部氏ゆかりの地である高知県立歴史民俗資料館で順次数点ずつ公開していく予定です。(林原美術館の発表より)
突っ込み姫 本能寺の変にも関わるかもしれない、明智陣営と長宗我部家との文書のやりとりね。
本郷和人 そうだねえ。石谷家、石谷頼辰、斎藤利三の名が出ているねえ。
姫 その人たち、どういう関係なの?説明してよ。
本郷 はい了解。でも面倒くさいのでよく聞いてね。まず明智家重臣の斎藤利三。
彼は美濃の守護代だった斎藤家の嫡流。大名の斎藤道三の方が傍流なんだね。
利三のお母さん(一休さんに出てくる新右衛門さんの家=蜷川家の人)は斎藤さんに嫁いで利三などを生んだあと、石谷さんと再婚した。
石谷さんは美濃の土岐家の一族で、幕府の直臣。ここで生まれた娘が長宗我部元親の正室になった。
それから、利三のお兄さんは母親の再婚先の石谷家の養子となって石谷頼辰となった。で、頼辰の娘は、元親の嫡男の信親の正室となったんだ。
姫 ええと、頼辰の妹(異父妹)の子が信親だから、信親夫妻はいとこ同士ね。
本郷 そうだねえ。まあ、それくらいの血の濃さは平気だね。で、頼辰はのちに戸次川で、信親とともに戦死しているんだね。
姫 色々つながっているのねえ。文書の中味、すごく興味があるわね。
「東寺百合文書」「舞鶴への生還」世界記憶遺産に推薦へ
本郷 へえ、東寺百合文書が。〈ゆり〉文書じゃなくて、〈ひゃくごう〉文書ね。
姫 分かってる、分かってる。別に女性同士のどうの…は関係ないのよね。
百合とは、
- 植物の名前
- 日本人の名前
- 女性同士の恋愛感情や強い親交関係のこと
- 十升、一斗、および18リットルに等しい体積。読みはひゃくごう。(ニコニコ大百科より)
本郷 ごほん、ごほん。もちろんさ。
江戸時代前期、加賀藩5代藩主、前田綱紀が東寺所蔵の史料を調査したんだけど、そのときに文書を整理して多数の桐箱に保管した。それを「東寺百合文書」と総称するんだ。
この文書群は明治維新後の混乱の中で、東寺から京都府に寄贈され、現在は京都府立総合資料館の所蔵になっているよ。
姫 国宝なのよね。
本郷 そうだね。中世史研究者なら、必読の文書だね。