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その日、歴史が動いた 鎌倉・室町時代

北条時政ってどんな人? 源頼朝も北条政子も、この人なしでは歴史に名を残せず!?

更新日:

 

例によってどこで聞いたか忘れてしまったのですが、俗説として「異性の親に似るといろいろうまくいく」みたいな話があります。男の子なら母親似、女の子なら父親似ということですね。
多分ちょっとくらい異性のものとされる魅力が入ったほうが、目立ちやすかったり本人の性別の良さが際立つとかそんな感じなのでしょう。料理男子とかワイルドな女性とか。
※「料理は女性がするもの」「女性はおとなしくしてないといけない」等々とは思っていませんので悪しからずご了承ください。性別関係なく、各々得意なことや好きなことをやっていれば、そのうち魅力が出てくるものだと思います。

歴史上ではあまり異性の親子というのは記録が残っていませんが、誰もが知ってるあの幕府のお偉いさんがこれに当てはまりそうな気がします。
父親は建保三年(1215年)1月6日に亡くなった北条時政、娘は「尼将軍」こと政子です。
政子のエピソードがどれも強烈過ぎるので、トーチャンのほうは一般的な知名度は低いですが、よくよく見ると「蛙の子は蛙ってホントだったんだ……」(ちょっと意味違うけど)という感じがしますので、彼の生涯を追いかけてみましょう。

瀬戸内寂聴先生ではなく北条政子さん像でございます

瀬戸内寂聴先生ではなく北条政子さん像でございます

 

一度は頼朝と政子を別れさせようとしていた 

時政の前半生については全く記録が残っておらず、奇しくもよくごっちゃになる後北条氏の初代・早雲(伊勢新九郎)と似ていたりします。血が繋がってたら面白いんですけどねえ。

北条氏としては桓武平氏の流れをくんでいると自称していますが、複数の家系図に相違点があるため、出自ははっきりしていません。ただし血筋的には不明なものの、時政の祖父までははっきりしているので、このあたりの代に都から関東に拠点を移したか、もしくは都の有力者とパイプを持ったかのどちらかではないかといわれています。
後述する世渡りの上手さも、この時期の上方で身につけたと考えれば自然ですし。

時政の行動がはっきりしてくるのは、やはりというかなんというか源頼朝が伊豆に流されてきたときからです。流人とはいえ源氏の御曹司ですから、一応それなりの扱いと同時に監視役もつけられました。それが時政だったのです。
そしていつの間にか政子と頼朝がラブラブな関係になると、一度は二人を別れさせようとしました。娘を平家の武士と結婚させるつもりだったからです。
しかし政子が逃げ出して文字通り政子が頼朝の元に走ると、時政は「ウチの娘を落とすとはやるな! コイツできる!」(超訳)と見込み、監視役からお舅兼協力者として動き始めます。このトーチャンフットワーク軽いな。

北条時政イメージ/wikipediaより引用

北条時政イメージ/wikipediaより引用

 

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源氏の御曹司だけに貴族っぽい一面も 

流人のくせによく出歩けたなという気もしますが、頼朝も伊豆では狩りに出かけたり各所の霊山に詣でたりと結構外出が許されていたようです。その際、周辺の誰かから政子の話を聞いて出かけていったのではないかと思われます。
戦のイメージが強いので忘れがちですが、源平の争いの時期って一応平安時代ですからねえ。そう考えると、若い女性の話を聞いて出かける貴公子というのは武士というより貴族っぽい感じがして、頼朝の育ちがうかがえますね。宮中で働いてたこともありますし。

もちろん時政は情に動かされただけではなく、上方で平清盛と大天狗・後白河法皇の間がきな臭いことを知ったため、対抗馬として頼朝を婿にしたという可能性もあります。
しかし、この時点ではどう転ぶかわからないわけですから、割と思い切った性格の人だったのは間違いないんじゃないでしょうか。

そして上方から平家打倒の動きが広まり始め、当然のことながら平家側が反撃の動きを見せ始めると、危機感を抱いた頼朝が挙兵。時政もこれに乗っかって息子達と共に兵を挙げます。特に頼朝が惨敗を喫した「石橋山の戦い」では長男・宗時が討死するほどですから、もうこの頃にはすっかり源氏の味方として動く覚悟を決めていたのでしょう。

 

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武田信玄のご先祖・甲斐源氏にヘルプPLZ!

ここで頼朝は体勢を立て直すため、遠い血縁に当たる甲斐源氏(武田信玄のご先祖・信義とか)を味方につけようと考えました。そしてその使者に時政を任命しました。
そして見事に彼らを味方につけ、より一層頼朝の信任を受けていきます。男同士の信頼、アツいですね。

この後、例の富士川の”戦わない”(過去記事:源氏と平家が大激突!…するはずだった日、”富士川の戦わない”【その日、歴史が動いた】)があり、勢いに乗った源氏軍は悠々と西上していきます。

ちなみに政子と結婚するはずだった山木兼隆(やまきかねたか)は、頼朝の挙兵初期にあっさり討死しました。この人何もかも損しててちょっと可哀相ですね(´・ω・`)

足利直義説も流れる源頼朝の肖像画/wikipediaより引用

足利直義説も流れる源頼朝の肖像画/wikipediaより引用

 

いざという時やっぱり頼りになるのは…

挙兵後、源氏側には範頼や義経など頼朝の弟達が合流したり、他の武士が権力を強めてきたりして、時政の役割は全体として見るとさほど大きなものではなくなっていきます。

そして源平の戦いは西国でクライマックスを迎えますが、そのあたりで活躍したという形跡はありません。もう年ですしね。

しかし、頼朝は政治的に「ここぞ」というときには義理のトーチャンに任せるのが一番と考えていたようで、平家滅亡後の義経と仲違いする直前には「ちょっとウチの弟に変なこと吹き込まないでくださいよ!!激おこ!!!」(超訳)と後白河法皇に伝えたり、京都の治安維持については時政にやらせています。

京の治安については四ヶ月程度で見事収まったそうですから、これはやはり元々京都でそれなりに顔が利いたからなのでしょうね。市民には評判の良かった義経が出て行った後ですから、追いやったに等しい頼朝側の人間にはやりづらいこともいろいろあったでしょうし。
この頃には上方の権威についてはあまり関心がなかったらしく、「あとはウチのモンに任せますんで」といって関東へ帰っています。

寄る年波も相まってか、地固めのほうが大事だと思っていたのか、鎌倉周辺での動きはそう目立つものではありません。お寺を建てたり仏像を作らせたり、割と大人しいものです。

 

徐々に存在感が増し、無茶をするようになってしまう

再び政治の世界に顔を出してくるのは、頼朝暗殺未遂と取られることもある「曽我兄弟の仇討ち」の後のことです。
この事件に関してはまた後日扱いますが、カンタンにいうと「頼朝の側近の一人に恨みがあったとある曽我家の兄弟が、頼朝の軍事演習中に暗殺を決行した」というものです。頼朝の側近=時政の政敵ですから、幅を聞かせられるようになるのはまあ当然といえば当然ですよね。

さらにその数年後には婿の頼朝のほうが先に死んでしまったため、余計に時政の存在感がデカくなっていきます。

が、信頼関係を築けたのは頼朝だけだったようで、跡を継いだ頼家と仲違いして将軍の位から追いやり、代わりに幼い実朝を将軍にしたりと、ジーチャンとしても側近としても「ソレ、どうなのよ?」という行動をしていきます。

幼い将軍はおろか、位が上だった大江広元(毛利元就とかのご先祖様)よりも権力を持るようになっていたようで。天皇と将軍が入れ替わっただけで、やってることは平家とあんまり変わりませんねえ。

とはいえ既に北条氏に対抗できる勢力もおらず、時政の息子・義時が鎌倉幕府の地元である相模の国主に任じられると、もはや趨勢は動きませんでした。

 

義時へ権力チェンジ!伊豆で幽閉するから自重してね

その代わり?に北条氏の中でも義時のほうに権力が集まり始めると、トーチャンは追いやられるようになっていきます。

だから世代交代のタイミングはちゃんと考えろと。しかもその原因が継室のワガママを真に受けたせいだというのですから、晩節を汚すどころの話ではありません。
これまた経緯を端折ってお話しますと、「二人目の奥さんである牧の方の『アタシの連れ子を将軍にしたいの!聞いてくださる?(はぁと)』という無茶振りを本当に実行するため、実の孫である実朝を廃位しようとした」というものです。

さすがに政子と義時、つまり娘と息子にバレ、「トーチャン自重!!」ということで継室共々出家させられた上に伊豆に幽閉されるという笑えないオチになりました。
その後は権力の座に戻れないまま、十年程して病死しています。

「麒麟も老ゆれば駑馬に劣る」

とはいえ、実の家族より血の繋がりさえない義理の息子を優先したくなるとは、いやはや煩悩の力はスゴイというかなんというか。
時政の生年が不明なので、亡くなったとき何歳だったのかはわかりませんが、仮に頼朝のトーチャンと同じくらいだったとすると享年80前後になりますね。
いや…、でも…、「恋人のためになりふり構わなかった」ってところはやっぱり政子と同じなのかも?

 

長月 七紀・記

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参考:北条時政/wikipedia 牧氏事件/wikipedia

 

 

 




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