明治維新が作った女の不幸

1915年の渡米時に撮影された渋沢栄一/wikipediaより引用

明治・大正・昭和

渋沢栄一の妾たちはどんな境遇で生まれた? 明治維新で作り出された女の不幸

大河ドラマ『青天を衝け』にも登場した、渋沢栄一の後妻・伊藤兼子

没落した商家の娘である彼女は、芸者としての修行を積んでいるものとして描かれていました。

しかし、あれはあくまで大河ドラマの劇中設定。

史実の渋沢栄一はプロの美形女性をことのほか好み、何人も妾としましたが、そもそも彼女らが明治維新によって生活の境遇を変えられ、仕方なく“プロ”になった経緯などは描かれていません。

渋沢の妾たちはどんな境遇から生まれたのか?

ドラマに登場した女中くにや伊藤兼子を例に挙げながら、普段は注目されない歴史を見て参りましょう。

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無粋になった渋沢栄一の遊び方

史実においては相当激しかった渋沢栄一の女性関係。

大河ドラマではとても描けないだろう……とは放送前から推察されてきました。

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実際のところ、渋沢の行状に軽く触れてしまったせいか、かなり修正されており、かつ当事者に失礼ではないかと思われる描写もあります。

まずは同居することになった女中・くに。

ドラマ『青天を衝け』においては、料理屋の廊下で偶然すれ違い、くにの方から「夫に似ている」と見つめる出会いが演出されました。

栄一の白い足袋を、くにが赤い糸で縫う――ドラマとはいえ、あまりに不自然な展開です。

劇中でのくには、あくまで給仕をする女中に思えます。

彼女は地味な身なりをしており、歌や踊りでもてなすプロの女性という雰囲気ではなかった。

にもかかわらず手を出した栄一。

女性の色香に迷わない、そんなキャラクターにしたかったのかもしれませんが、芸を売るわけでもない女中に突然手をつけることは、当時からすればルール違反であり、史実よりも栄一を無粋にしています。

現実に、そういうルール違反を繰り返した伊藤博文は、片っ端から女を履いて捨てるとして「箒(ほうき)」と蔑まれたものです。

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やすは“女衒”なのか?

後妻となる伊藤兼子(後に渋沢兼子)も登場しました。

彼女にしても初登場時からして「改悪ではないか……」という疑念が湧いてきます。

時系列でまとめてみましょう。

兼子の実家・伊藤家は、明治3年(1871年)頃から事業に失敗し傾き始めます。

父の八兵衛は明治11年(1878年)、失意のうちに死去しました。

ドラマにおける兼子は、明治12年(1879年)頃に登場。嘉永5年(1852年)生まれですので、27歳の登場ということになります。

父の死後、やむをえず芸者を始めようとしたと推察できます。

芸が好きだからそれを金にすると本人が言ったとはされますが、当時の感覚からしますと、27歳から芸者になるというのはあまりに遅い。

たとえそれまで三味線なり踊りなり身につけていたとしても、キャリアがないのにその年齢では厳しいものがあります。

史実によれば、兼子は斡旋業者である口入れ屋からこう言われてしまった。

「芸者は無理だが、妾ならば……」

推察できる材料は色々ありますが、年齢がネックという可能性が高い。

同時に気になるのが平岡円四郎の妻・やすです。

ドラマでは、栄一と兼子を結びつける役目を、芸者出身である彼女が担う雰囲気です。史実を踏まえると、いきなり妾になるように話をしそうに思えてきます。

こうした“出会い”を仲介し、金銭を得る職業には割と知られている呼び名があります。

女衒(ぜげん)――。

ぶっちゃけて言えば女性の人身売買であり、上前をピンハネする存在ですね。

フィクションではまず悪役。兼子を見た時のやすの慣れた言動からして、過去に相当売り捌いているようであり、ドラマを見ていて暗い気持ちになってしまいました。

現代であれば『新宿スワン』の世界観です。

 

落語にせよ、講談にせよ。人情味に溢れた明るい女衒なんてまず出てきません。

男ならば典型的な悪党。

女ならば、がめつい婆さんがド定番の役割です。

やすを明るく優しく思いやりのある「女衒」として描くのであれば、それはそれで凄まじいチャレンジというわけですね。

なお、彼女の夫である平岡円四郎は、京都で主君・慶喜の妾を斡旋していたという噂があります。

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「奥」には女性の権力があった

『青天を衝け』では、幕府が崩壊して、収入源を失った幕臣たちが描かれました。

こうした男性失業者だけではなく、女性失業者もあふれていたのが明治維新後の日本。

江戸時代以前、政治の場に女性はいないようで、そうではありません。

幕末を代表する女性・天璋院篤姫を思い出してください。

篤姫を大奥に送り込み、その周囲の女中たちも固めてゆく。女性が頂点に立つ大奥が力を有していたからこそ、こうした政治闘争が有効であったのです。

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篤姫にせよ、将軍・家茂の妻であった和宮にせよ、維新の混乱に際しては存在感を見せています。

彼女たちが残した書状からは、嫁いだ徳川家を守るという誇りと意志が見えた。

こうした価値観は多くの人に共有されていました。

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かずのこは無事でにしんがへたりたる

という戯れ歌もあったほど。

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しかし、明治維新後、こうした奥にいた女性たちはどこへ消えてしまったのか。

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