どうする家康感想あらすじレビュー

どうする家康感想あらすじ

『どうする家康』感想あらすじレビュー第14回「金ヶ崎でどうする」

干し柿を喜ぶ子どもたち。

この時点で何か引っ掛かりますが、ともかく先へ進んで、ここは敦賀・金ヶ崎。

「いざ、走れい!」

掛け声で一斉に走り出す子どもたち。

一人の少女が素早く前に出ると、少年に邪魔されます。

「女のくせに! ざまみろ!」

干し柿!と願う少女は、後の阿月です。

ゲストキャラの回想シーンをやたらと挟むワンパターンな作風が、今週も始まりました。

 

あらすじ:おじさんえっちな構文バージョン

おほお~w

これは楽しみ金ヶ崎!

小豆袋の逸話を知っているインテリならば、阿月という女中の時点でわかっちゃう♪ドキドキだよwww

そしてお市の思いを知り、家康も揺れ始め…!?

トキメキ戦国ストーリーが始まる予感~!

BLもあるよwwww

愛しい白兎!おはよー!……チュッ(笑)

もう、わしと白兎は既に運命共同体となっておりますので、どうか撤退戦までお付き合いください(笑)

撤退できたら抱っこして、腕枕して寝てあげるからね

白兎!わしにもチュッは?(笑)

まだ退いてないかな?一緒に帰ろう! 今度ね!って…もうわしと白兎は、何でもありでしょ?(笑)

また血の池に浸かって、ちょっと恥ずかしそうな顔のかわいい白兎を見せてね! チュッ!

阿月ちゃんの苦しむ顔萌え〜〜若い娘は死んでこそ! ニュルニュル~、なかなか言えないから、ここに本音を放出! ばっかぁ~っ!

私は、なんでこんなことを書いているんでしょうか……。

 

どうする駆けっ子

今回は冒頭から頭が混乱してしまいました。

・景品は干し柿

和菓子の元祖は干し柿と言われます。

食卓に満足な甘味がない中で、干し柿こそ気軽に食べられる庶民のおやつだったからです。

そういうものを山盛りにして「景品、ドヤ!」と言われたところで説得力が感じられません。

コンフェイトの扱いに続き、今度は干し柿が何かおかしい。

信長・秀吉・家康~天下人に愛された菓子 そして甘美は全国へ広まる

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・駆けっ子競争

あんな長距離を子どもに走らせますかね。

体力を競うような競争で活躍したという話は歴史に割と出てきます。

しかしそれは相撲や力自慢が定番では?

例えば『八重の桜』に出てきた「女だてらに、米俵を持ち歩き周囲を驚かせた」というエピソードがあります。

あれは実際にあったこと。本作では、そういう基となる話がないから、どうにも白々しい。

「あれはナンバ走法だった!」という意見もあったようですが、

◆お市のために走り抜く阿月を熱演した伊東蒼、松本潤が演じる家康に思わずしたこととは?(→link

どうしても本作お得意の「史実も取り入れますよ感」が先にくると申しましょうか。

体力描写をしたいなら、そんな難易度の高いことに挑戦せず、相撲や米俵担ぎをやったらいいのになぁと思います。

なぜなら現代と当時でフォームに差がなく、一方で、陸上競技は扱いが難しいものの代表格だからです。

・そもそも走ることそのものが今よりずっと危険

足の裏に何か刺さり、泥でも入ったら破傷風で死ぬ可能性もある。

昔の人はそういうことを経験則で学び、避ける工夫がありました。

子ども同士ならまだしも、大人があんな危険なことをさせるとは思えません。

作り手に時代劇のインプットが少ないため、彼らの小学生時代が焼き直されたように見えてくるのです。

日本古来の走法・ナンバ走りを映画『サムライマラソン』に学ぶ!

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どうする蟹と宴会芸

蟹の宴会シーンは「スタッフがおいしくいただきました♪」をしたいとしか思えません。

『西郷どん』でも、薩摩とさして関係ない鰻をやたらと食べていて、もしかしてスタッフが食べたいのか? 趣味なのか? と邪推してしまいましたが、ストーリー上、本当に必要あったのでしょうか?

あの宴会芸を見て、クスッとできる人がある意味うらやましい。

もう何度目のエビすくいでしょう。

まんま居酒屋で目にしてしまった痛々しい上司接待であり、笑うどころか、見ているのが恥ずかしくて俯くしかありませんでした。

飲みニケーションなんて昭和の遺物であり、コロナで一掃されましたよね。

今どき昭和あるあるネタで笑う人も激減しているでしょうから、ここまで視聴率が低迷しているのではないでしょうか。

◆NHK大河「どうする家康」第14話視聴率は11・4% 2週ぶり放送で2ケタ台キープ(→link

読売に「2ケタ台キープ」と言われるってことは、おおよその民意として「ギリギリ2ケタを保ったー!」ということでは?

記事タイトルに本音が漏れているように感じてしまいます。

 

どうする「阿月」

小豆袋とかけた「阿月」という女性名は、果たして適切でしょうか?

女性名の「阿」とは、中国語と共通点があります。

中国では女性や子どもの愛称に「阿」をつけました。有名なところでは、『三国志』の呂蒙でも。

呂蒙は無学で知られていました。それが主君の孫権から「もっと勉強しなよ」と言われ、熱心に学びます。

そして披露した策が見事だったことから、魯粛が驚いてこう言いました。

「もう呉の阿蒙なんて呼べないねえ」

阿蒙とは、「蒙ちゃん」という意味です。それを日本に当てはめてみましょう。

梅という女性を「お梅」と呼ぶ。このとき漢字表記にすると「阿梅」となるわけです。「お=阿」となると。

となると「阿月」と書いたら「おつき」か? というと、語感的におかしい。

要するに、この名前、なんか変なんですよ。

浅井長政正室が、そのへんの村娘を侍女にする。そこまではいい。

しかし、名前をもうちょっとどうにかできなかったのか。

絶対ありえないとまでは言い切れないにせよ、決定的にセンスが欠けているように感じます。

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