どうする家康感想あらすじレビュー

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『どうする家康』感想あらすじレビュー第14回「金ヶ崎でどうする」

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『どうする家康』感想あらすじレビュー第14回「金ヶ崎でどうする」
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どうする漢籍教養

さんざん「明を無視するこのドラマは何?」と突っ込んできたら、やっと「明国」と出てきました。

それを「唐」と言ってしまう家康を笑いものにする信長と秀吉。

恥ずかしいのはむしろこんな雑な中国史を描いてくる本作のスタッフだ!

そんなわけで突っ込みますよ。

◆日本では江戸時代まで中国を「唐(から)」と呼んでいたので「明国w」と嘲笑うのはおかしい。

→今で例えるなら「台湾? は? 中華民国でしょw」と言うようなもの。そんなのあげつらう方がおかしいでしょう。

太原雪斎という、当時トップクラスの漢籍教養の持ち主から学んでいる家康が、中国知識がないってどういうことですか?

→一例を挙げると家康は『貞観政要』の愛読者でした。

貞観政要
『光る君へ』で一条天皇も愛読の『貞観政要』は泰時も家康も参考にした政治指南書

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・秀吉がニタニタ家康をコケにしていたけれど、漢籍教養は家康の方が圧倒的に上。

→出自によって武将の教養に差が出るのは当然でしょう。しかし、そうした状況がまるで反映されていない。『麒麟がくる』において秀吉が手にしていた書物は『徒然草』でした。

・地理感覚が流石におかしすぎる。

→金ヶ崎から中国の港が見えるというウソに引っかかる、そんな感覚があまりに稚拙ではありませんか。そんな冗談に引っかかるんでは?と思っていることがあまりに幼い。

本作は、日本史における漢籍の理解があまりにも疎かで辛くなってきます。

日本では漢籍教養を知らないと、それだけでダメだしをされる時代が長く続きました。

あの平賀源内ですら、漢籍が疎いばかりに「教養不足です、もっと勉強しなさい」とダメ出しをされていたほどです。

そんな江戸時代までの伝統を踏まえると、今年は無教養大河といってもよいほど。

近年ですと

・『太平御覧』が一冊にまとまっていた『平清盛

・飲み会で懐から『論語』を取り出す『青天を衝け』

という漢籍の扱いが雑な大河があり、今年はそこに並びそうですね……そんな惨状は見たくなかった。

ただし、NHK全てが悪いわけではありません。

ドラマ10『大奥』ではプロットにまで漢籍を取り入れていました。

あるいは朝の連続テレビ小説『らんまん』でも、明・李時珍『本草綱目』が出てきます。

植物にしか興味を持てない主人公が、本草学(植物を扱う学問)のテキストを見せられ、解読のために学び始めるという流れです。

貴重な本であるため、高価であること、塾があった大阪から取り寄せていること、巻数が多いこと、といった特性がきっちり反映されています。

『論語』のようなメジャーなものとは異なり、一から作る手間がかかり、かつ再現するだけでも大変。それでもスタッフはこなしています。

漢籍に詳しい担当者はそういったドラマに投入され、『どうする家康』では最初から切り捨てていたのか、それとも必要としなかったのか。

いずれにせよ本作の制作サイドからは漢籍が軽視されているスタンスが伝わってきます。

 


どうする知略の差

『麒麟がくる』の逆張りがお得意の本作。

こんなニュースもありますが、

◆怪演で「麒麟がくる」を完全上書き、クセ強・明智光秀足利義昭に震撼【どうする家康】(→link

本作は、見た目が奇抜だとか、わかりやすく意地が悪いとか、あくまで表層的なものにすぎない。

金ヶ崎でハッキリしたことがあります。

本作の武将たちは、『信長の野望』でいうところの知略ステータスが全員平均でマイナス30くらいしている。

『麒麟がくる』では、洞察力の鋭い松永久秀徳川家康が、金ヶ崎における朝倉軍の異変を察知します。

「あまりに楽に勝てすぎている。何かおかしい。抵抗せず、むしろ誘い出しているのではないか?」

と、二人が戦場での臭いを察知するところから、裏切りへの気付きが始まりました。

それが本作だと、こうだもんな。

浅井長政さんて真面目そうだしぃ。大丈夫じゃね?」

このドラマって印象論でしか人物を判断しませんよね。

常時、狡猾さをニタニタスマイルで出してくる光秀。

同じく、常時ゲスを極めている秀吉。

それに対して浅井長政はいい人っぽいから裏切らないと決めつける。

そうかと思えば家康が「義の人だからこそ裏切る」とか、雰囲気トークで無理に押し切ろうとしている感じがしますが、判断材料となるソースはそれしかないのでしょうか。

もう指摘しすぎて嫌になってきますが、『孫子』あたりを読んで欲しいものです。

かまどからあがる煙の量で敵勢を把握するとか、旗指物の動かし方で士気を察知するとか、そういう状況判断の大切さを『孫子』では記されているじゃないですか。

それが本作では、秀吉が殿軍を指揮して、信長も光秀も家康も助かることはわかっている――そんな結果ありきで話を組み立てているから、場面場面が弛緩しているのでは?と思います。

もしも自分が戦場にいて、命を狙われる危険性があれば、「いい人だから裏切らない」なんて結論は簡単に出せないはず。

『麒麟がくる』で、久秀や家康が「朝倉軍が弱すぎて誘い込まれているのでは?」と不安になるほうが現実的であり、そうした不安定な状況の中で少しでも勝利に近づくため『孫子』はあるはずです。

武経七書を全部読めとは言いません。せめて『孫子』ぐらいは踏まえて話を展開して欲しい。

 


どうする昭和ラブコメ女

お市も阿月も、無意味なニタニタが多くないですか。

あんな営業スマイルを無意味に浮かべ続ける人って、なんなんでしょう。

お市が裏切りを教える理由が、家康への恋愛感情で、それを阿月に全て話すセンスが理解できません。

回想シーンの場面やらなにやら、戦国時代の感覚ではなく、昭和の漫画に出てきた少女で辛いものがあります。

お市が自分で乳を出しているようなセリフもありました。乳母はどうしたのでしょう?

人類を含め、哺乳類は授乳中、妊娠できません。

それを昔でも経験則で知っているから、乳母を雇うことは必須でした。お市は男子が少ないから、なおのこと。

それなのに、未婚の阿月が赤ん坊を抱いている意味がわかりません。

「やっぱりカワイイ女の子は、自分で乳をあげたいんだよな〜」だって? もしも、そんな風に脚本が作られていたら、気持ち悪いなぁ。

 

どうする長距離走

『鬼滅の刃』の新シーズンが始まりました。

少年漫画の方がよほど時代考証がしっかりしています。

阿月はかけっこが得意だから彼女から家康に知らせよう♪ って、そんなこと『鬼滅の刃』ではまずやらないでしょう。

あの作品では炭治郎を交代で送り届ける描写がありました。

一人で走り抜けるなんて無理だと想定して、交代要員も考えるはず。

それを本作では、小豆袋と重ねてドヤ顔って意味がわかりません。

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