今川義元の兜首を槍に引っ掛けてぶん投げたり。
武田勝頼の兜首を見て明智光秀が侮辱の言葉を発したり。
あるいは秀吉が光秀の兜首を見て、蔑むような目で冷笑したり。
大河ドラマ『どうする家康』を見ていると大将首の扱いが非常にぞんざいで、「いくらフィクションにしても、こんなことはアリなのか?」と疑問に思われた方も少なくないでしょう。
今秋公開される北野武監督の映画はタイトルがそのまんま『首』です。
いかがでしょう?
まだ映画の中身は不明ですが、この『首』という、たった一文字に込められた敗者の怨念や恨みなど……そんな情念が感じられて、何やら恐怖のような感情が湧き立ってきませんか。
本来、敵将の首とは非常にナーバスな存在であり、時に祟りを恐れる対象でもありました。
それが『どうする家康』ではあまりに粗雑で、ならば過去の大河ドラマや歴史作品はどうだったのか?ということも気になってきます。
フィクションや史実における「首」の取扱を振り返ってみましょう。
首桶・生首・兜首
敗れた敵将の首はどのように表現されるか?
過去の大河ドラマでもしばしば登場してきましたが、主に3パターンでの表現が駆使されています。
まずはそれを確認してみましょう。
◆首桶
中に頭部が入っていることがわかる「桶」などの容器が用いられます。
塩などを用いた防腐処理が施されていて、重要人物の首が保管できるようになっている。
◆生首
文字通り、切ったばかりの生の首。
死者の尊厳を無視して晒すことにより、屈辱的な処罰を与えるという意味を伴います。
フィクションで作るとなると手間がかかるだけでなく、視聴者への刺激が強すぎるため、大河ドラマではそこまで頻繁には見られません。
◆兜首
兜を被った武将の首。
合戦では武将の首を討つことが武功であり、兜首はステータスシンボルとなります。
そのため首ごと取って報告することを「兜首」と呼びました。
『どうする家康』では、生首で討たれたはずの明智光秀が、いざ秀吉の前に出されたときは兜首になっているという不思議なシーンがありました。
では、上記3つの状態の首がドラマでどんな扱いになるか、一つずつ詳しく見て参りましょう。
生首:作るとなると大変だ
映画やドラマで生首を作るとなると、結構な手間がかかります。
演じる役者に似せて作らねばならず「型取り」などの手順が必要となる。
しかも見た目がグロテスクで、とにかく扱いづらく、あえて史実を再現しない場合も多々あります。
例えば『鎌倉殿の13人』で描かれた源実朝の暗殺事件については、暗殺犯の公暁が「実朝の生首をずっと抱えていた」と記録されています。
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だからといって、ドラマで生首を映し続けるのもよろしくない。
そこでドラマオリジナルの「源氏に伝わる頭蓋骨」を持ち歩く設定に変更されました。
『鎌倉殿の13人』では、頼朝に敵対して敗れた大庭景親の生首が一瞬映されるシーンはあります。
作る技術はあるし、やる気もある。
けれども、あえて配慮して映さないこともあるという例ですね。
逆に、生首がプロット上で重要な役割を果たすため、きっちり見せるように作られた例もあります。
NHK時代劇『柳生一族の陰謀』です。
この作品は、柳生宗矩が生首を抱えて「これは夢じゃ、夢でござーる!」と錯乱するラストシーンが大きな見どころ。
そのため手間暇かけて生首が作られ、印象的な登場を果たしました。
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首桶:演出が問われる
首桶は、パッと見たところで、一瞬はただの容器に思えます。
中身は何なのか?
イヤな予感はするけれど、まさか……だよな……と、曖昧な状況のため、演技する側、演出する側が工夫を凝らしてこそ見せ場となります。
『麒麟がくる』の例を振り返ってみましょう。
染谷将太さん演じる若い織田信長が「めでたいもの、父母にとっても喜ばしいもの」として、ある容器を差し出してきました。
無邪気で得意げな笑みを浮かべる信長。はて?それはなんぞ?と箱の中身を見て、母の土田御前は冷たい怒りを浮かべ、無言で立ち去ります。
父の織田信秀は激怒し、信長の頭を叩きます。
桶の中は家康の父・松平広忠の首でした。
信長はなぜ理解されないのかと嘆き悲しみます。
このやりとりから、信長が「うつけ」とされている意味も浮かび上がってきます。
両親とすら感受性が一致しない。遺体損壊は忌むべきものであると理解できなかったのです。
ドラマの後半でも、信長が箱づめにした首を周りに見せる場面があります。
このころ信長は強大な大名になっていて、周囲も反発は許されず、黙って受け止めるしかありません。そんな中で明智光秀だけが、隠しきれぬ拒否感を見せるのでした。
『鎌倉殿の13人』でも、首桶が効果的に使われていました。
源義経の首桶を前にして語りかけ、抱きついて泣く源頼朝。
本来ならば弟の戦功を聞きたかったのに、なぜ首なのか……うぅぅ。
と、兄弟の悲哀が伝わってきました。兄弟が初めて出会った「黄瀬川の対面」との対比となっていたのです。
満面の笑みと共に「源義高の首桶」を抱えて歩いてくる藤内光澄の姿も衝撃的でした。手柄を立てたと喜んでいたのに、この後、自身が斬首されてしまうのです。
「なぜだー!」
そう絶叫する光澄の運命は、理不尽そのものでした。
これ以外にも、首桶からチラリと髪の毛や剃った頭が見えるなど、衝撃的な場面が多かったのが『鎌倉殿の13人』です。
どれも印象的な場面でした。
兜首:名のある武将の首
首桶を効果的に使い、殺伐とした中世社会を描いた2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。
これに対し、第1回放送から頻繁に「兜首」を登場させているのが2023年の大河ドラマ『どうする家康』です。
前述の通り兜首は、兜をつけた首であり、それなりの武将の首を指します。
取ったら素晴らしい――そんな意味もあるわけですが、どうにもその取扱がおかしいのが『どうする家康』。
・今川義元
・武田勝頼
・明智光秀
と実に三人もの大名クラスの兜首が映し出されてきましたので、一人ずつその状況を考察してみたいと思います。
今川義元:一体何キロあるのか
『どうする家康』は桶狭間の戦いから始まっているため、今川義元は第1回放送で討ち取られます。
驚きだったのは単に討ち取ったにとどまらず、織田信長が槍につけた義元の兜首を馬上から槍投げ選手のごとく投げたことでしょう。
◆大河ドラマ「どうする家康」第1話。 織田信長が槍と一緒に放り投げ、野ざらしになる今川義元の首(→link)
哀れ義元の首は戦場に投げ捨てられ、槍にはカラスが止まる始末。
死者に対する冒涜とすら思えますが、フィクションにしてもあんまりなのは、
「そもそも兜首のついた槍なんて投げるの無理だろ!」
ということでしょう。
・兜
・首
・槍
一体どのくらいの重さになるのか?
・兜:およそ3キロ
・首:およそ5キロ
・槍:およそ5キロ
ざっと計算してみると、おそらく10キロは超えるはず。むろん個体差はありますが、15キロあってもおかしくない。
実際、撮影時も重かったそうで、
◆「どうする家康」義元の首を槍投げ 重量なんの一発決め!演出も感動 ネット反響“岡田信長”初登場の裏側(→link)
迫力あるシーンを演出したかったのかもしれませんが、あまりに大仰すぎたため、かえってリアリティを失わせています。
せめて兜を外すという選択肢はなかったのか……。
そもそも戦国の革命児とは、政策や戦術戦略で才能を見せるべきであって、単に粗暴で無茶をする人物など魅力は感じられません。初回放送で、一気に本作の信長熱が冷めた方もいたでしょう。
こうした意見に対し、足軽が生首を槍に差した絵を示して「時代考証としては間違っていない」という反論もあるようです。
それ以前の問題です。どう考えても、あの槍は重すぎて遠くまで投げるのは無理。
陸上の槍投げ競技で使われるのは男子が800g以上で女子が600g以上とされています(→link)。
砲丸投げの砲丸が男子で7.26kg、女子で4kg(→link)。
それに対し信長が手にした槍&兜首は推定10kg以上です。
しかも馬上でバランスを取らねばならず、もはやSFの世界でしょう。ミュータント信長を描きたいのであれば、別の映画かドラマでやってほしい。
ちなみに、こちらの記事では兜と槍そのものの重さを換算していないようです。
◆『どうする家康』岡田准一の信長は大河史上最強で最弱だった 武道家が“岡田信長”を解説(→link)
武田勝頼:諏訪法性兜が
『どうする家康』では、フサフサした赤毛つきの兜で武田勝頼が登場しました。
◆大河「家康」赤毛兜の武田勝頼が恐ろしく強そう 9年後滅亡にネット「この武田が滅ぶのか」空城の計、若さ仇か(→link)
特徴的な色や形状をしたあの兜は「諏訪法性兜(すわほっしょうのかぶと)」といい、ヤクの毛が用いられています。
歌舞伎および浄瑠璃『本朝廿四孝』(ほんちょうにじゅうしこう)によって、この兜は非常に有名な存在となりました。

『諏訪法性兜と八重垣姫』歌川国芳/wikipediaより引用
◆“信玄が実際にかぶった”「諏訪法性兜」特別公開 下諏訪町|NHK 長野県のニュース(→link)
この兜は信玄の所有物ではなく、諏訪大社のものを借りていたと伝わっております。
『どうする家康』の勝頼は、さほどに由緒正しいものを色違いで複製して被っているんですね。
そもそも勝頼は、元の嫡男・武田義信を失った信玄にとって中継ぎ的存在で、勝頼には使用できないものがあったともされる一方、諏訪法性の兜については許されています。
つまり、厳密に言えば色違いではなく、信玄の死後、家督相続して父と同じものを被ることができたはず。
それをなぜドラマでは色違いにしてしまうのか。
あの兜は家の持つ権威、そして諏訪大社の加護を得るという意味もある。それなのに父の死後もまだ赤いレプリカをかぶっているということは、継承できなかったと考えられます。
勝頼は風林火山の旗は継承できず、兜は認められていた。その史実以下です。
そのくせ劇中の信玄は、こんなことを言っていました。
「そなたは、わしのすべてを注ぎ込んだ至高の逸材じゃ」
にも関わらず兜を継がせないのなら……ひどい親ですね。
それでも勝頼のあのバージョン違い兜もそれなりの価値があったとしましょう。だとしたら武田家の宝とも言える大事な兜を、生首に被せたままにするものか。
家臣団たちは「せめて兜だけは敵の手に落とすな!」と焦ったことでしょうし、討ち取った側も「見よ、これぞ諏訪法性の兜だ!」と大事にしたことでしょう。

『自刃する勝頼主従』月岡芳年作/wikipediaより引用
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勝頼の兜首についての疑念をまとめます。
・ヤクの毛は、赤ではなく白ではないのか?
・武田勝頼の死の状況からして、兜を被っていたとも思えない(もっともこの作品では首をとってから兜を被せる世界観のようなので)
・お宝兜をなんともったいない! どうせならもらっておきましょう
しかも『どうする家康』では、勝頼の死後、思わず眉をしかめたくなるシーンもありました。
勝頼の首を前に、明智光秀が徳川家康にこう語りかけるのです。
「徳川殿、憎き憎き、勝頼でございますぞ。蹴るなり、踏みつけるなり、気のすむまで、存分になさいませ」
「恨んではおりませぬゆえ」
【三方ヶ原の戦い】や長年の対立で散々苦しめられた相手を恨んではいない――家康にそう語らせることで持ち上げたかったのでしょう。
だからといって光秀にそこまでわかりやすい下劣なことを言わせますか。
真に冷酷な光秀を描きたいのであれば、腹の中では勝頼の死を喜びながら、表向きは涙を流して「武家の最期とはかくも哀しいものであるか……」とでも言わせた方がよいのでは?
光秀の安易な台詞により、勝頼の死という重要な場面も貶められてしまった気がします。
明智光秀:兜をまたつける几帳面さ
本能寺で織田信長を倒しておきながら、豊臣秀吉との戦いに敗れ、短期間で討ち果たされてしまう明智光秀。
その最期は「小栗栖の竹藪で落ち武者狩りに遭って殺される」という、呆気ないものとされています。

『山城小栗栖月』月岡芳年作/wikipediaより引用
『どうする家康』では、そんな光秀の兜首を見た秀吉はこう言います。
「今までで一番ええ顔してるね」
冷酷な秀吉という像を描きたかったのでしょうが、この場面が実におかしい。
落ち武者狩りに遭って討たれた時、光秀は兜をつけていませんでした。
それが首実検では兜をつけている。
つまり、首を打ったあと、わざわざ兜をつけられたことになる。その不自然さを現代に例えてみるとこうなります。
ある富豪が強盗にあい、殺害された。
犯人は被害者のバッグから高級腕時計を取り出し、腕にはめて死体を放置した。
前述の通り、光秀は落武者狩りに遭って討たれたと目されています。
そして落ち武者狩りでは、金目の物が奪われるのは当然のこと。
高価な鎧兜であれば喜んで略奪するに違いないのに、なぜわざわざ光秀の頭に戻すのか? 討たれたときはどこにあったのか?
あの場面は、襲う側が光秀だと確信を持っている演出ですので、兜以外にも「明智光秀である」という身元証明はできたはず。
つまり兜首にする必然性が一切ないのに、いざ秀吉の前に出されたときはそうだった。不自然極まりない。
あくまでドラマ制作上での、時間や予算の問題でしょう。
秀吉に首を見せて「今までで一番ええ顔してるね」と言わせたい。ならば首桶にはできない。かといって生首を作るだけの手間もかけたくない。
ではなぜ「今までで一番ええ顔してるね」と言わせたいのか?
劇中では家康の妻である愛も、謀反をやりそうな顔だと小馬鹿にするように言いました。
このドラマは徹底的に光秀の顔を貶めたい。それがウケる定番ネタだと思っているのでしょう。
こうした外見至上主義は「ルッキズム」と呼ばれます。
外見のみを重視して人を判断することであり、容貌や容姿を理由に差別的な扱いをしたりする。時代遅れかつ有害で差別的だとされているのに、作り手はそれすら理解できない。
今川義元の場合は、インパクト重視の演出ゆえだと語られています。
仮に「考証的におかしい」という指摘があっても無視されたんですかね。
そして明智光秀は、よりにもよってルッキズムによる演出。
その時代錯誤と差別性は、見逃されたのでしょうか。
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祟りが怖くないのだろうか?
名のある武将の兜首をとった――そんな報告が入り、首実検で確かめるのであれば、その時点で首はある程度の処理がされています。
首桶に入れれば、腐敗防止のメリットもある。
信長なり、秀吉が向き合う首となれば、その程度の処理はされていると考えた方が自然でしょう。
当時の人々は、現代人よりもずっと迷信深く、死者の祟りは恐れていました。
首を蹴ったり、踏んづけたり……なんて、普通は怖くてできないはず。
『麒麟がくる』の織田信長は、こうした祟りを恐れる気持ちがないという設定がありました。
母から罰当たりだと念押しされていたのに、仏具をぶちまけた過去が語られ、寺社との対立では仏の加護が嘘だと示すために仏像を背負って歩き回っていました。
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あの場面は、他の人々が神仏を信じていることに対し、信長はまるで違うと示す意味があった。
信長が石仏の頭をペチペチと叩く姿を見て、光秀が怪訝な顔をするシーンもそうです。
祟りを抜きにしても、遺体損壊は周囲の感情を悪化させるデメリットがあり、遊び半分でも名のある武将にさせるものではないでしょう。
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乱世だから遺体損壊OKでもない
2010年代以降の時代劇を語る上で、欠かせない作品がHBOのドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』です。
この作品ではショッキングな遺体損壊描写が続出しました。
時代劇だからこそできる残虐表現が話題となり、『鎌倉殿の13人』でもスタッフが意識していた作品とされます。
とはいえ、そんな作品でも遺体を粗末に扱うとなれば、一定の法則があります。
悪役の行為なわけです。
対比できるから効果的であって、誰もが揃いも揃って死体を粗末に扱うとなると、むしろわけがわからなくなり、単なる悪ノリで終わってしまいます。
『どうする家康』は首の扱い以外でも、遺体損壊描写が目立ちます。
中でもよくわからなかったのが、武田信玄の死です。
もはやこれまでと悟った信玄は、躑躅ヶ崎館ではなく謎の山中に座り込み、目を閉じた。
そしてその後、信玄のいた場所に白骨が転がっていた。
◆阿部寛は武田信玄の最期をどう演じた? 「気負うことなく表現したいと…」(→link)
謎の琵琶法師も付近にいたため、その死体という解釈もあるようですが、視聴者の中には「まさか信玄の遺体が放置されたわけじゃないよね……」と困惑した方もいたようです。
武田領では遺体や人骨がその辺に落ちているのか?とも思えた。
まぁ、そういう時代ではあると思えますが、山の中で転がっている死体を見せて何がしたいのか?
世の儚さを演出したい意図も理解できなくもありませんが、もっと他のやり方もあったはずです。
『どうする家康』では、弔いや追悼の描写がほとんどありません。
築山殿(瀬名)は悪女ではなく慈悲深い女性として描かれているというのが、この作品の触れ込みでしたが、彼女は、亡くなった両親のことも、親友であった田鶴のことも思い出しませんでした。
築山殿が弔いのために椿を植えたという伝承から、田鶴は「椿姫観音」もあるというのに、あまりに冷酷に思えたものです。
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そんな悪女でない妻を失ったのであれば、家康が弔う姿があってもよいはず。
ところが秀忠の母である愛と仲睦まじく明るく陽気に振る舞っており、妻のことはまるで忘れたよう。位牌に向かって合掌すらしません。
この作品は葬儀も法事も出てきません。
遺体をぞんざいに扱う。
仏事描写もない。
死者のことなんて忘れて、ハッピーな笑顔で振る舞う登場人物たち。
こうも重なってくると、集団健忘症にかかっているか、ただの粗野な集団に思えてくるのが『どうする家康』の世界観です。
考古学では、動物と人間の分かれ目として「追悼するかどうか」が重視されます。
骨の周囲から花粉が出てくると、花束を供えた後とみなされます――追悼の意が芽生えているから、人間に変わっていった、そう判断できる。
追悼の意とは、人間の証として重要です。
それがない『どうする家康』は、人間を描くドラマとして果たしてそれでよいのか。
どうする死者の尊厳――そう思えてなりません。
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文:武者震之助
※著者の関連noteはこちらから!(→link)













