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【なぜ兜首ばかりなのか】
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明智光秀:兜をまたつける几帳面さ
本能寺で織田信長を倒しておきながら、豊臣秀吉との戦いに敗れ、短期間で討ち果たされてしまう明智光秀。
その最期は「小栗栖の竹藪で落ち武者狩りに遭って殺される」という、呆気ないものとされています。
『どうする家康』では、そんな光秀の兜首を見た秀吉はこう言います。
「今までで一番ええ顔してるね」
冷酷な秀吉という像を描きたかったのでしょうが、この場面が実におかしい。
落ち武者狩りに遭って討たれた時、光秀は兜をつけていませんでした。
それが首実検では兜をつけている。
つまり、首を打ったあと、わざわざ兜をつけられたことになる。その不自然さを現代に例えてみるとこうなります。
ある富豪が強盗にあい、殺害された。
犯人は被害者のバッグから高級腕時計を取り出し、腕にはめて死体を放置した。
前述の通り、光秀は落武者狩りに遭って討たれたと目されています。
そして落ち武者狩りでは、金目の物が奪われるのは当然のこと。
高価な鎧兜であれば喜んで略奪するに違いないのに、なぜわざわざ光秀の頭に戻すのか? 討たれたときはどこにあったのか?
あの場面は、襲う側が光秀だと確信を持っている演出ですので、兜以外にも「明智光秀である」という身元証明はできたはず。
つまり兜首にする必然性が一切ないのに、いざ秀吉の前に出されたときはそうだった。不自然極まりない。
あくまでドラマ制作上での、時間や予算の問題でしょう。
秀吉に首を見せて「今までで一番ええ顔してるね」と言わせたい。ならば首桶にはできない。かといって生首を作るだけの手間もかけたくない。
ではなぜ「今までで一番ええ顔してるね」と言わせたいのか?
劇中では家康の妻である愛も、謀反をやりそうな顔だと小馬鹿にするように言いました。
このドラマは徹底的に光秀の顔を貶めたい。それがウケる定番ネタだと思っているのでしょう。
こうした外見至上主義は「ルッキズム」と呼ばれます。
外見のみを重視して人を判断することであり、容貌や容姿を理由に差別的な扱いをしたりする。時代遅れかつ有害で差別的だとされているのに、作り手はそれすら理解できない。
今川義元の場合は、インパクト重視の演出ゆえだと語られています。
仮に「考証的におかしい」という指摘があっても無視されたんですかね。
そして明智光秀は、よりにもよってルッキズムによる演出。
その時代錯誤と差別性は、見逃されたのでしょうか。
大河ドラマの時代考証・担当者はどこまで責任を負わねばならんのか?
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祟りが怖くないのだろうか?
名のある武将の兜首をとった――そんな報告が入り、首実検で確かめるのであれば、その時点で首はある程度の処理がされています。
首桶に入れれば、腐敗防止のメリットもある。
信長なり、秀吉が向き合う首となれば、その程度の処理はされていると考えた方が自然でしょう。
当時の人々は、現代人よりもずっと迷信深く、死者の祟りは恐れていました。
首を蹴ったり、踏んづけたり……なんて、普通は怖くてできないはず。
『麒麟がくる』の織田信長は、こうした祟りを恐れる気持ちがないという設定がありました。
母から罰当たりだと念押しされていたのに、仏具をぶちまけた過去が語られ、寺社との対立では仏の加護が嘘だと示すために仏像を背負って歩き回っていました。
◆大河「麒麟がくる」 染谷将太の“仏リュック”と長谷川博己の苦笑い(→link)
あの場面は、他の人々が神仏を信じていることに対し、信長はまるで違うと示す意味があった。
信長が石仏の頭をペチペチと叩く姿を見て、光秀が怪訝な顔をするシーンもそうです。
祟りを抜きにしても、遺体損壊は周囲の感情を悪化させるデメリットがあり、遊び半分でも名のある武将にさせるものではないでしょう。
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乱世だから遺体損壊OKでもない
2010年代以降の時代劇を語る上で、欠かせない作品がHBOのドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』です。
この作品ではショッキングな遺体損壊描写が続出しました。
時代劇だからこそできる残虐表現が話題となり、『鎌倉殿の13人』でもスタッフが意識していた作品とされます。
とはいえ、そんな作品でも遺体を粗末に扱うとなれば、一定の法則があります。
悪役の行為なわけです。
対比できるから効果的であって、誰もが揃いも揃って死体を粗末に扱うとなると、むしろわけがわからなくなり、単なる悪ノリで終わってしまいます。
『どうする家康』は首の扱い以外でも、遺体損壊描写が目立ちます。
中でもよくわからなかったのが、武田信玄の死です。
もはやこれまでと悟った信玄は、躑躅ヶ崎館ではなく謎の山中に座り込み、目を閉じた。
そしてその後、信玄のいた場所に白骨が転がっていた。
◆阿部寛は武田信玄の最期をどう演じた? 「気負うことなく表現したいと…」(→link)
謎の琵琶法師も付近にいたため、その死体という解釈もあるようですが、視聴者の中には「まさか信玄の遺体が放置されたわけじゃないよね……」と困惑した方もいたようです。
武田領では遺体や人骨がその辺に落ちているのか?とも思えた。
まぁ、そういう時代ではあると思えますが、山の中で転がっている死体を見せて何がしたいのか?
世の儚さを演出したい意図も理解できなくもありませんが、もっと他のやり方もあったはずです。
『どうする家康』では、弔いや追悼の描写がほとんどありません。
築山殿(瀬名)は悪女ではなく慈悲深い女性として描かれているというのが、この作品の触れ込みでしたが、彼女は、亡くなった両親のことも、親友であった田鶴のことも思い出しませんでした。
築山殿が弔いのために椿を植えたという伝承から、田鶴は「椿姫観音」もあるというのに、あまりに冷酷に思えたものです。
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そんな悪女でない妻を失ったのであれば、家康が弔う姿があってもよいはず。
ところが秀忠の母である愛と仲睦まじく明るく陽気に振る舞っており、妻のことはまるで忘れたよう。位牌に向かって合掌すらしません。
この作品は葬儀も法事も出てきません。
遺体をぞんざいに扱う。
仏事描写もない。
死者のことなんて忘れて、ハッピーな笑顔で振る舞う登場人物たち。
こうも重なってくると、集団健忘症にかかっているか、ただの粗野な集団に思えてくるのが『どうする家康』の世界観です。
考古学では、動物と人間の分かれ目として「追悼するかどうか」が重視されます。
骨の周囲から花粉が出てくると、花束を供えた後とみなされます――追悼の意が芽生えているから、人間に変わっていった、そう判断できる。
追悼の意とは、人間の証として重要です。
それがない『どうする家康』は、人間を描くドラマとして果たしてそれでよいのか。
どうする死者の尊厳――そう思えてなりません。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)