大河ドラマ『どうする家康』の第26回放送――そのラストで徳川家康が非常に印象的な言葉を発していました。
「信長を殺す」
これを受けてSNSや各メディアでは「本能寺の変は家康黒幕説か!」などと、ちょっとした騒ぎに発展。
一方で「明智光秀の怨恨説とからめてるんじゃないの?」とか「光秀のせいにするんじゃないの?」といった冷静な声もあります。
伏線を回収するようで、放り投げ、視聴者がひっかかることもある――それが『リーガル・ハイ』や『コンフィデンスマンJP』を代表作とする脚本家の持ち味だとすれば、一筋縄ではいかないのが「シン・大河」とされる『どうする家康』なのでしょう。
そこで気になるのが、果たして「家康黒幕説は可能性としてアリなのか?」という点です。
いくらフィクションと言えど、物語にあり得ない状況を持ち込むのは歴史作品のタブー。
逆に、いかに上手に視聴者を引き込めるか?というのが脚本家の腕の見せどころであり、こうした場合に比較参考になるのが過去の大河ドラマや信長登場作品です。
昨今の傾向や諸説と共に、家康黒幕説を考察してみましょう。
『麒麟がくる』が否定した黒幕説
直近の戦国大河といえば、やはり2020年の『麒麟がくる』でしょう。
最終回「本能寺の変」へ向けてドラマは進みましたが、脚本家の池端俊策さんも、どんな着地にするか?と悩みながら進んでいったとされます。
主人公の明智光秀は能動的でもなく、青年期は押しの強い主君の斎藤道三相手に、無言で困惑する場面も多かった。
もっと主役らしく目立ってもよいのでは?
光秀を演じる長谷川博己さんは、池端さんにそう訴えていたなんて話もあるほど。
それが徐々に大胆に動くようになった最終盤の光秀には大いに納得し、脚本の意図を掴んで張り切っていたそうです。
ドラマのクライマックスでは、光秀自身から揺るぎない意志が溢れていました。
確かに、本能寺に至るまでは「信長の横暴にもう耐えきれない」という負の感情を光秀に訴える人物がいました。
徳川家康も、築山殿と信康の処断を信長に依頼されたと、困惑しながら光秀に相談。
また、正親町天皇にしても、信長が親近感を抱いていたのに対し、天皇は逆に嫌悪感を抱くようになっていました。暴走を危惧した天皇が、光秀をこっそり呼び寄せ、そのことを伝えるほどです。
こうした権力者に加え、松永久秀と懇意にしていた伊呂波太夫のような民衆も、信長のやり方にはついていけないとこぼしていました。
では、信長の妻である帰蝶は?
夫の覇業を支えていた彼女は、かつては堺の商人相手に鉄砲の買い付け交渉を行うほどでした。
しかし、夫についていけなくなってその元を去り、光秀と再会したときには「亡き父ならば信長に毒を盛っただろう」とまで語っています。
つまり、多方面から様々な声が光秀に届いていたわけです。
ゆえに「光秀を動かす黒幕がいたのではないか?」という考察もありましたが、最終決定をくだしたのは光秀自身。
決定権は、あくまで彼にありました。
思えば、この作品の信長は承認欲求に飢えていました。実の母である土田御前よりも、帰蝶の中に母親の像を見出し、光秀にしてもまるで父親のよう。
信頼し、甘え、「天下が治まったら共に暮らして茶でも飲もう」と語りかけていたものです。
そんな光秀との信愛を試したかったのか。信長はおそるべき命令を下します。
足利義昭を殺すように命じたのです。
これはドラマ独自の要素であり、我慢が限界に達した光秀は本能寺へと馬を進めます。
瞳は悲しみに満ちる一方、当初は本能寺で唖然としていた信長も、軍勢の正体が光秀だとわかると微笑みを浮かべる。
さんざん翻弄しながら試しもしていたようで、ついに光秀は自分のことを見限ったのだろう――そう悟ったような顔でした。
信長が悟る理由も、この作品では描かれていたのです。
光秀は戦のない世――仁獣が到来する時代を望んでいました。
麒麟を花押に用いる信長は、乱世を平らげるだけの力はあった。しかしそれは「創業」の範囲にとどまるもので、次の「守成」は別の英雄がいなければ事は完全には為せません。
あの作品の光秀は、最終盤に信長を見限り、家康にその芽を見出しました。
安土城での饗応を準備する前、光秀と家康が楽しそうに談笑する姿を見て、信長が殺気だった目線を見せる場面もありました。
信長は己を見限る光秀がゆるせなかった。引き留めたかった。
しかし光秀はもう信長を殺してもよい。麒麟がくる世を作る英雄はここにいる。それを阻む信長はむしろいないほうがよい。
そういう動機付けを丁寧に何話もかけて、なんとなれば第一話、そしてタイトルから伏線を練りにねっていたのが『麒麟がくる』という作品。
本能寺へ至る動機は、信長の「覇道」についていけなくなったという流れでした。
その途中には、むろん数々の所業がありました。
佐久間信盛の理不尽な追放。
死へと追いやられていった三淵藤英や松永久秀。
かつての盟友たちが信長のせいで追い詰められながらも、光秀は簡単には諦めません。信長を引き戻そうとした。
例えば、松永久秀の遺品である平蜘蛛を信長が欲しがっていることを踏まえ、仁ある政を行う者にこそ手に入れるにふさわしいと説得したのです。
しかし、信長は「それなら要らぬ、売り払ってしまえ」と冷たく言い放つ。
あれほど信じ合っていた君臣の繋がりに、冷たいひびが入っていったのです。
光秀は、細やかな積み重ねを経て、本能寺へ向かってゆきました。
それがこのドラマのクライマックスであると設定されていたため、その後の光秀の挫折は描かれず、ドラマはどこか希望に溢れた終幕を迎えます。
結果的に『麒麟がくる』の本能寺の変は、従来の動機以外のものが見出されたとも言えるでしょう。
怨恨でもない。野心でもない。両者がすれちがい、理解できなくなっていたこと。互いへの失望感が根底にあった。
決定的な決裂をするこの本能寺を、私は「ブロマンス本能寺だった」と感じました。こんなやりとりも悲しいものでした。
「殿は変わられた……戦のたびに変わってゆかれた」
「大きな世を作れとわしの背中を押したのは誰じゃ。そなたであろう。そなたがわしを変えたのじゃ!」
男同士がロマンチックな絆を結び、それが決裂して終わる――あまりに切ない結末。
しかし、こうした描き方は、時代に即しているとも言えるのではないでしょうか。
登場人物同士が決定的な破綻をするというよりも、歯車の間に砂が挟まっていくように破綻する物語は近年増えてゆきます。
離婚という結末でも、不倫や暴力ではなく、日々のすれ違いだと描く。そうした漫画広告が、皆さんのスマートフォンにも流れていませんか?
『麒麟がくる』の徳川家康は冷徹だった
こうした光秀と信長に対し、『麒麟がくる』の徳川家康は徹頭徹尾、幼少期からドライであり、冷徹そのものでした。
前述の通り、この家康は「信長が妻子の殺害を強要してきた」と、困惑しながら光秀に打ち明けています。
かといって妻子に対する哀惜を示す場面はない。むしろ信長の理不尽とも思えた要求に、確固たる裏付けがあると理解すると、さっぱりとした顔で妻子の処断を振り返っていたものです。
この家康は、親族の命と利益を天秤にかけられる冷酷さを幼少期から持ち合わせていました。
例えば信長は、家康の父・松平広忠を殺害しています。家康はそれを知っても、今川に味方する父は嫌いだから仕方ないと、幼いながらも割り切っていた。
桶狭間の戦いを迎えるにあたっては、母の於大の書状を携えた忍びの菊丸が、家康のもとへやってきました。
於大が「今川に味方するな」と訴えてきたのですが、家康は母からの書状に感激しながらも、現時点で今川と敵対することは非現実的であるとして、その訴えを退けています。
冷酷な判断をくだし、他者からは理解しがたいようで、家康なりの優先順位の付け方は厳然としていた。
己の情よりも、世の中を動かす理を求め、重視していたのでしょう。
この家康は、決断の場面以外はむしろ優しく親切であり、医者である駒のような人物に対しても礼儀正しく接しています。
目の前の妻子の命より、民草の命の方が重い。天下万民を見据え、そう即座に決断して動く。
こういう人物こそ人の上に立つ為政者としてふさわしいというドラマでの描き方。
本能寺の変を経て、最後に差し込む光は、冷静な目で伊賀越えへと向かってゆく徳川家康が担っていました。
『麒麟がくる』という作品は、タイトルからして、乱世で乱れ切った日本人の心を儒教朱子学の倫理が変えるというテーマが示されていました。
徳川家康は儒学者である林羅山を重用し、江戸時代の道徳観念に朱子学を定着させる契機をつくった人物です。
ドラマ内での衣装は、当初、色合いが派手だという批判もありましたが、そんな派手さが目立つ中でも、落ち着いた色合いを着こなしていたのが、壮年期以降の徳川家康です。
彼の衣装は意識的に、江戸時代以降の落ち着いた色彩を先取りさせる設定にされていました。
家康の観念や美意識が、江戸時代の根底にあったと示していたのです。
では『どうする家康』の家康像はどうでしょう?
冷酷で理解し難い家康像だった『麒麟がくる』と逆を進むがごとく、例えば「なぜ戦うのか?」と問われても理由を答えることができません。
愛妻である瀬名の陰謀が発覚した際、自害して始末をつけると語る彼女を前に、「天下や国なんてどうでもいいから二人きりで暮らしたい」と訴えていた。
一人の男、時代ものらしく呼ぶとすれば「匹夫」ならばそれでよいでしょう。
しかし、江戸幕府を開く人物としてはどうなのか?
「天下人も意外とこんなもんなんだよ」と親しみを狙ったゆえの描写なのでしょうか。
『鎌倉殿の13人』源実朝暗殺事件に黒幕はいない
重要人物の殺害事件となると、とかく語られやすい「黒幕説」は本能寺の変だけではありません。
2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも、非常に注目された一件があります。
源実朝の暗殺です。
この事件も、日本史上の興味深いミステリとされ、様々な黒幕説が語られがちです。
◆北条義時黒幕説
北条義時が体調不良を訴え、列から離れて源仲章と交替した――そんな場面で事件が起きたため、義時の自作自演だったのだろうという説です。
◆三浦義村黒幕説
小説家が提唱し、有力視されたこともある説です。ただし根拠に推察が多く、現在は否定されています。
こうした黒幕説は現在は否定され、怨恨をつのらせた公暁の単独犯行説とされ、ドラマでもそう描かれていました。
確かに『鎌倉殿の13人』での三浦義村は、劇中で幾度も不穏な動きをしています。
主人公である北条義時や、京都の朝廷など、さまざまな思惑で陰謀を企んでいましたが、実朝暗殺事件に関しては、あくまでひっかけでした。
鎌倉時代は史料が少なく、かつ史料批判しながら読むことが重要とされます。
三谷幸喜さんが「原作である」と見なしていたという『吾妻鏡』は、北条氏を正統とするバイアスがかかっているとされ、読解には注意を要する。
そのため三谷さんは、何度も綿密な打ち合わせをしつつ、脚本を書き進めていったと明かしています。
劇中では、むろん自由な創作もありました。
例えば、和田義盛ら一族を滅ぼす引き金となった【泉親衡の乱】を起こしたのは、源仲章を用いた朝廷側の策であること。
あるいは朝廷から毒を受け取った平賀朝雅が、北条政範を殺したこと。
こうした描写を史実とみなすことはできません。あくまで創作です。
しかし、視聴者がそう信じないよう、公式サイトやSNSでも情報の補完が行われていました。
『麒麟がくる』と『鎌倉殿の13人』には、歴史上の人物と関わる、重要な架空人物も出てきます。
ああした人物には「ファンタジーでありえない」という批判もつきものですが、創作上の味付けであり、マナーともいえます。
彼らがいることで、あくまでフィクションだと匂わせられる。
今年の『どうする家康』にも、小豆袋を擬人化した阿月のような人物がいます。
しかし彼女は、出番が少ないところから急に現れ、自身が死に至るまで戦場を走り抜け、画面を独占するような唐突さがあり、ウケ狙いの範疇にしか思えないのが辛いところでした。
本能寺の変の動機とは?
では過去の諸作品で、本能寺の変はどう描かれてきたのか?
というと、作品が成立した時代の価値観や、英雄願望が反映されたものが主流であり、その傾向をざっとまとめるとこうです。
◆怨恨説
江戸時代まで、織田信長の人気はさほど高くはありませんでした。
暴虐な人物像が強調され、そのパワーハラスメントに苦しんだ明智光秀が衝動的に犯行に至った――そんな前提で様々な創作が生まれています。
◆天下を狙う野心説
明智光秀には天下を狙う野望があり、千載一遇のチャンスで動いたというものです。
ただし、これは信長を討ってからの光秀の行動が拙いこともあり、あくまで動機づけとしてのバリエーションとも思えられます。
『どうする家康』の家康は、この野望説を少しかじったようなところも見受けられます。
「信長を殺す」と唐突に言い出した家康。しかも「信長の死=天下をとる!」と直結させているんですね。
あらためて『麒麟がくる』を見ますと、同作品ではこうした諸説を否定。
一年間の放送に渡って綿密に描かれた君臣間の齟齬という決着は、地味なようで斬新だったと言えるでしょう。
当初は、光秀の母・牧を演じる石川さゆりさんが酷い目に遭うのでは?という憶測もありましたが、光秀の母が亡くなる場面そのものがありませんでした。
こうした前提を踏まえ、「信長を殺す」という一言から盛り上がっている黒幕説についてあらためて見てゆきたいと思います。
本能寺の変黒幕説とは
戦国大名の人気は時代によって変わります。
江戸時代の織田信長は残虐で酷薄であるとされ、さほどの人気はなかった。
それが時代が進むにつれ徐々に高まり、戦後の昭和となると革命児としての理想が反映され、日本史上トップクラスの人物となっていきます。
そうなると、信長の最期が、単なる「本能寺の変」ではあまりにあっけない。
日本史を代表するような英雄があっさり斃されるはずがなかろう――そんな願望ありきの言論も湧いてきて、1990年代頃から黒幕説が提唱されるようになりました。
一口に黒幕説と言っても、いくつかに分類できます。
◆朝廷黒幕説
なかなかややこしい黒幕です。
織田信長は勤王であったか? それとも天皇にとって代わろうとしていたか?
そんな動機づけまで絡んでくるため、提唱された時期の皇国史観まで考えねばならなくなります。
◆幕府黒幕説
果たして足利義昭にそこまでの力があったかどうか?
◆イエズス会黒幕説
話としては面白いけれども、無理がある。
◆秀吉黒幕説
フィクションとしてなら非常に面白く、山田風太郎の『妖説太閤記』がこの説をとっています。
とはいえ、この作品は「モテない秀吉が、ハーレムを作るために天下をとるぞ!」というぶっ飛んだ奇想が根底にある物語。
タイトルにも「妖」と入っています。
大変すばらしい出来の作品とはいえ、これをまともに歴史上の説として取り入れるとなると厳しい。あくまでフィクションの範囲内のものでしょう。
作者の山田風太郎は江戸川乱歩の愛弟子であり、もとは気鋭のミステリ作家。彼の力量があればこそできるかなりの力技です。
古典的ミステリでは「この犯罪で最も利益を得る者が犯人である」という組み立て方がありました。山田の場合は、それを歴史ものに応用した結果といえます。
◆家康黒幕説
『どうする家康』が、この家康黒幕説を匂わせているのは前述の通り。
これに説得力を持たせられるなら「神算鬼謀も極まれり」と言えなくもありませんが、相応の背景が必要ですし、数多の伏線も重要となるでしょう。
劇中の創作は自由であり、新解釈も大歓迎ですが、話の展開に無理があれば途端に陳腐になってしまうリスクがある。
実際、家康黒幕説に持っていくならば、ドラマとして整合性に怪しい箇所がいくつも見受けられます。
・瀬名の謀略に家康も同調していたのに、なぜか本人は見逃されていた
・瀬名を聖女にした結果、信長が悪いを誘導したいのだろう。しかし瀬名の策の規模を踏まえればむしろ信長の判断は寛大で、逆恨みされているようにも見えてしまう
・第26回放送「富士遊覧」の場面はセキュリティが甘く、信長もすっかり油断していて、殺すのであればそちらの方が確実なチャンスだった
・自身が提唱者ならば、伊賀越えが人生三大危機になるのがおかしくなる
歴史フィクションとしても、ミステリとして考えても、矛盾点が見受けられるのです。
ゆえに家康黒幕説では進められないとは思うのですが、ただそれならば、なぜわざわざ「信長を殺す」なんて言わせたのか?
信長殺しを実行する光秀は、常に家康を侮蔑している態度であり、事前に話し合いどうこうという関係でもありません。
黒幕説はスマホがあれば可能である
そもそも黒幕説には、乗り越えられない大きな壁があります。
治安の悪い乱世で、黒幕と光秀がどう定期的に連絡をとりあっていたのか?
そこの説明がつかない限り、フィクションだとしても納得のいく展開にはなり得ない。
近年のNHKが制作している番組に『(人物名)のスマホ』があります。
あの歴史上の人物がスマートフォンを持っていたらどう使うのか?
そんなアプローチの番組であり、本能寺黒幕説も、このスマホシリーズならば成立しますが、大河ドラマとは別のシリーズで放映すべき話でしょう。
通信手段の発達は、人の意識も変えてしまうことがあります。
過去の大河ドラマでも、登場人物の移動距離と時間がおかしく、ワープだのテレポートだの揶揄される展開はありました。
2020年代ともなれば「スマホで連絡取り合っているのかよ!」と突っ込まれかねない状況も発生し得る。
そういうことをやりたいのであれば、SF要素を取り入れる異色時代劇には向いていますね。
例えば『三体』以来SFブームが起きている中国では、歴史要素とSFを組み合わせた斬新な作品が多数生み出されています。
戦国武将が巨大ロボットを操縦するドラマなんてあれば、おもしろいかもしれません。
武則天ら中国史の人物がロボットを操縦するSF小説『鋼鉄紅女』は傑作ですので、その日本版はいかがでしょう?
聖女瀬名と、ちょっと情けない家康がペアを組んで、ロボットで天下を守るなんて、私はドキドキワクワクします。
もちろん大河ドラマという枠ではなく、別の時間帯でお願いしたい話ですが。
「信長を殺す」はミスリードの可能性
ならばなぜ、本能寺黒幕説は消えないのか――。
1990年代あたりから浮上してきたこの説は、何度否定されても亡霊のようにしつこく出てきます。
理由は単純、需要があるからでしょう。
陰謀論の類には爽快感があります。自分だけが真実を知っているんでは?というワクワク感。偉そうな頭でっかちの相手を言い負かし、論破できる! そんな甘い誘惑もあります。
何よりコンテンツとして売れる。
正確性よりも、ビジネスモデルとしての売れ筋路線として、受け入れられてしまうことも確かです。
だからこそNHKが大河ドラマでその手法をなぞるのは問題視されるのではありませんか。
NHK大河ドラマは、日本で初めて時代考証をつけた作品であり、勉強にもなるから、と鑑賞されてきました。
受信料を徴収する公共放送ですから、視聴率やスポンサー企業の意向に左右されない番組作りこそが使命といえます。
2023年にドラマ10で『大奥』が放映されると、民放放送局は嫉妬したと言います。
NHKならではの経験値と時代考証の存在により、SF要素がありながらも重厚感ある作品として仕上がっていたからです。大河ドラマで培ってきた強みがそこにはありました。
『どうする家康』は、民放ドラマでヒットを手がけた脚本家が前面に押し出されています。
宣伝文にはその代表作がズラズラと並び、あの民放ドラマのような切り口であると喧伝され、それがプラスどころかマイナスに出てしまったと思えます。
・シンガーソングライターが歌いながら戦場を駆け抜ける
・役者の境遇を人物設定に落とし込み、史実よりも重視される
・過去大河ドラマネタを使い回し、 SNSでの受けを露骨に狙う
・唐突なラブコメじみたシーン。性暴力や遺体損壊を入れる
ネットでの「バズ」現象を意識しているようで、同作品を褒め称えるWEBメディアでは毎週のように「ネットでは」という文言が入り、SNSのトレンド獲得に言及されます。
ジブリ映画『天空の城ラピュタ』が放送されるときの「バルス!」現象に似たものを狙っているのかもしれませんね。
宣伝戦略としてはありかもしれませんし、現に『どうする家康』はこんな記録を残しました。
◆松本潤主演NHK大河ドラマ「どうする家康」が上半期全国推計視聴人数ランキングドラマ編で1位(→link)
ただし、これには注意が必要でしょう。
あくまで第1回での集計であり、前作『鎌倉殿の13人』の人気を引き継いだ可能性が高い。最終回では『吾妻鏡』を読む徳川家康を出す、サービス精神にあふれていました。
番宣に加えて、期待を込めた記事も多く、さらには脚本家が同じ映画『レジェンド&バタフライ』も大々的に宣伝され、「ヒットするしかない!」という風が吹いていたものです。
しかし、この風は瞬く間に萎んでしまいました。
第二回放送以降は、視聴率の低迷が始まり、今では二桁10%を割るかどうかの瀬戸際。
この傾向はNHKのもう一枚の看板とも言える朝ドラ『らんまん』と比較すると顕著です。
前作『舞いあがれ!』の視聴率低迷の影響で序盤は苦戦していたのが徐々に盛り返していき、上昇傾向を維持しています。
だからなのか。数字狙いで「家康黒幕説」を匂わせたのでは?という指摘も耳にします。
というのもNHK公式ガイドブック(→amazon)の“あらすじ”には「信長を殺す」というセリフが無いのです。
大河のレビューを書いている私は、先入観を避けるためガイドブックの類を見ることはありませんが、同書を確認した編集によると
「信長を殺すというセリフはなく、安土城の饗応役で光秀が信長に叱られる設定だから、怨恨説に近いのかな?と思っていたら、放送後は家康黒幕説で盛り上がっていて驚いた」
とのこと。
大事なセリフだからあえてガイドブックには掲載しなかったのか。
それとも数字狙いで後から付け加えたのか。
私にその真相はわかりませんが、まさか「信長を殺す」というセリフで瞬間的に沸騰すればよい――そんな安易な発想だとしたら、家康黒幕説で盛り上がる世間に対しても酷いミスリードでしょう。
いずれにせよ、本能寺の変は、日本人の興味を最もそそる戦国事件の一つ。
どんな展開になるのか?
というと、どうやら引っ掛けのようで、NHK公式メディアともいえる「ステラ」で第27回のあらすじが公開されています。
◆ 本能寺で信長(岡田准一)を討つという家康(松本潤)の決意に、家臣たちの意見は分かれ……。(→link)
そこには、以下のように記されています。
京の本能寺で信長(岡田准一)を討つ計画を家臣たちに明かした家康(松本潤)。
並々ならぬ家康の決意に、家臣たちの意見は賛成と反対で真っ二つに割れるが、忠次(大森南朋)は、家康の決断を信じようと家臣団を諭す。
やがて家康たちは信長に招かれ、安土城へ。
だが酒宴の席で、家康は供された鯉(こい)が臭うと言いだした。信長は激高し、接待役の明智(酒向芳)を追放する。その夜、信長と家康は2人きりで対峙し――。
これを読んだ時点で引っ掛かります。
本能寺の変は、偶然に偶然が重なり起きた事件とされます。
たまたま警備が薄くなり、しかも織田家の跡継ぎ・織田信忠も同じ京都に滞在していた。稀なタイミングで、武装した明智光秀が京都周辺を通った。
そんな偶発性ゆえに、現在は光秀の気が揺らいだとされることが多い。
それがこのプロットでは、織田どころか徳川家臣団まで、危険極まりないノーガード宿泊が漏れていたことになります。
戦国時代のセキュリティ体制は、そこまで緩くてよいのでしょうか。
前提からして何やら引っかかるのですが……。
こうなると「信長を殺す」の一言は、やはりウケ狙いだったのか?と疑念が深まるばかり。
放送を待ちましょう。
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文:武者震之助(note)
【参考文献】
呉座勇一『陰謀の日本中世史』(→amazon)
出口治朗『自分の頭で考える日本の論点 』(→amazon)
他




