家康黒幕説

徳川家康/wikipediaより引用

どうする家康感想あらすじ

家康黒幕説で盛り上がる『どうする家康』どこまで根拠のある説なのか

大河ドラマ『どうする家康』の第26回放送――そのラストで徳川家康が非常に印象的な言葉を発していました。

「信長を殺す」

これを受けてSNSや各メディアでは「本能寺の変は家康黒幕説か!」などと、ちょっとした騒ぎに発展。

一方で「明智光秀の怨恨説とからめてるんじゃないの?」とか「光秀のせいにするんじゃないの?」といった冷静な声もあります。

伏線を回収するようで、放り投げ、視聴者がひっかかることもある――それが『リーガル・ハイ』や『コンフィデンスマンJP』を代表作とする脚本家の持ち味だとすれば、一筋縄ではいかないのが「シン・大河」とされる『どうする家康』なのでしょう。

そこで気になるのが、果たして「家康黒幕説は可能性としてアリなのか?」という点です。

いくらフィクションと言えど、物語にあり得ない状況を持ち込むのは歴史作品のタブー。

逆に、いかに上手に視聴者を引き込めるか?というのが脚本家の腕の見せどころであり、こうした場合に比較参考になるのが過去の大河ドラマや信長登場作品です。

昨今の傾向や諸説と共に、家康黒幕説を考察してみましょう。

 


『麒麟がくる』が否定した黒幕説

直近の戦国大河といえば、やはり2020年の『麒麟がくる』でしょう。

最終回「本能寺の変」へ向けてドラマは進みましたが、脚本家の池端俊策さんも、どんな着地にするか?と悩みながら進んでいったとされます。

主人公の明智光秀は能動的でもなく、青年期は押しの強い主君の斎藤道三相手に、無言で困惑する場面も多かった。

もっと主役らしく目立ってもよいのでは?

光秀を演じる長谷川博己さんは、池端さんにそう訴えていたなんて話もあるほど。

それが徐々に大胆に動くようになった最終盤の光秀には大いに納得し、脚本の意図を掴んで張り切っていたそうです。

ドラマのクライマックスでは、光秀自身から揺るぎない意志が溢れていました。

確かに、本能寺に至るまでは「信長の横暴にもう耐えきれない」という負の感情を光秀に訴える人物がいました。

徳川家康も、築山殿と信康の処断を信長に依頼されたと、困惑しながら光秀に相談。

また、正親町天皇にしても、信長が親近感を抱いていたのに対し、天皇は逆に嫌悪感を抱くようになっていました。暴走を危惧した天皇が、光秀をこっそり呼び寄せ、そのことを伝えるほどです。

こうした権力者に加え、松永久秀と懇意にしていた伊呂波太夫のような民衆も、信長のやり方にはついていけないとこぼしていました。

では、信長の妻である帰蝶は?

夫の覇業を支えていた彼女は、かつては堺の商人相手に鉄砲の買い付け交渉を行うほどでした。

しかし、夫についていけなくなってその元を去り、光秀と再会したときには「亡き父ならば信長に毒を盛っただろう」とまで語っています。

つまり、多方面から様々な声が光秀に届いていたわけです。

ゆえに「光秀を動かす黒幕がいたのではないか?」という考察もありましたが、最終決定をくだしたのは光秀自身。

決定権は、あくまで彼にありました。

思えば、この作品の信長は承認欲求に飢えていました。実の母である土田御前よりも、帰蝶の中に母親の像を見出し、光秀にしてもまるで父親のよう。

信頼し、甘え、「天下が治まったら共に暮らして茶でも飲もう」と語りかけていたものです。

そんな光秀との信愛を試したかったのか。信長はおそるべき命令を下します。足利義昭を殺すように命じたのです。

これはドラマ独自の要素であり、我慢が限界に達した光秀は本能寺へと馬を進めます。

瞳は悲しみに満ちる一方、当初は本能寺で唖然としていた信長も、軍勢の正体が光秀だとわかると微笑みを浮かべる。

さんざん翻弄しながら試しもしていたようで、ついに光秀は自分のことを見限ったのだろう――そう悟ったような顔でした。

信長が悟る理由も、この作品では描かれていたのです。

光秀は戦のない世――仁獣が到来する時代を望んでいました。

麒麟を花押に用いる信長は、乱世を平らげるだけの力はあった。しかしそれは「創業」の範囲にとどまるもので、次の「守成」は別の英雄がいなければ事は完全には為せません。

あの作品の光秀は、最終盤に信長を見限り、家康にその芽を見出しました。

安土城での饗応を準備する前、光秀と家康が楽しそうに談笑する姿を見て、信長が殺気だった目線を見せる場面もありました。

信長は己を見限る光秀がゆるせなかった。引き留めたかった。

しかし光秀はもう信長を殺してもよい。麒麟がくる世を作る英雄はここにいる。それを阻む信長はむしろいないほうがよい。

そういう動機付けを丁寧に何話もかけて、なんとなれば第一話、そしてタイトルから伏線を練りにねっていたのが『麒麟がくる』という作品。

本能寺へ至る動機は、信長の「覇道」についていけなくなったという流れでした。

その途中には、むろん数々の所業がありました。

佐久間信盛の理不尽な追放。

死へと追いやられていった三淵藤英や松永久秀。

かつての盟友たちが信長のせいで追い詰められながらも、光秀は簡単には諦めません。信長を引き戻そうとした。

例えば、松永久秀の遺品である平蜘蛛を信長が欲しがっていることを踏まえ、仁ある政を行う者にこそ手に入れるにふさわしいと説得したのです。

しかし、信長は「それなら要らぬ、売り払ってしまえ」と冷たく言い放つ。

あれほど信じ合っていた君臣の繋がりに、冷たいひびが入っていったのです。

光秀は、細やかな積み重ねを経て、本能寺へ向かってゆきました。

それがこのドラマのクライマックスであると設定されていたため、その後の光秀の挫折は描かれず、ドラマはどこか希望に溢れた終幕を迎えます。

結果的に『麒麟がくる』の本能寺の変は、従来の動機以外のものが見出されたとも言えるでしょう。

怨恨でもない。野心でもない。両者がすれちがい、理解できなくなっていたこと。互いへの失望感が根底にあった。

決定的な決裂をするこの本能寺を、私は「ブロマンス本能寺だった」と感じました。こんなやりとりも悲しいものでした。

「殿は変わられた……戦のたびに変わってゆかれた」

「大きな世を作れとわしの背中を押したのは誰じゃ。そなたであろう。そなたがわしを変えたのじゃ!」

男同士がロマンチックな絆を結び、それが決裂して終わる――あまりに切ない結末。

しかし、こうした描き方は、時代に即しているとも言えるのではないでしょうか。

登場人物同士が決定的な破綻をするというよりも、歯車の間に砂が挟まっていくように破綻する物語は近年増えてゆきます。

離婚という結末でも、不倫や暴力ではなく、日々のすれ違いだと描く。そうした漫画広告が、皆さんのスマートフォンにも流れていませんか?

 


『麒麟がくる』の徳川家康は冷徹だった

こうした光秀と信長に対し、『麒麟がくる』の徳川家康は徹頭徹尾、幼少期からドライであり、冷徹そのものでした。

前述の通り、この家康は「信長が妻子の殺害を強要してきた」と、困惑しながら光秀に打ち明けています。

かといって妻子に対する哀惜を示す場面はない。むしろ信長の理不尽とも思えた要求に、確固たる裏付けがあると理解すると、さっぱりとした顔で妻子の処断を振り返っていたものです。

この家康は、親族の命と利益を天秤にかけられる冷酷さを幼少期から持ち合わせていました。

例えば信長は、家康の父・松平広忠を殺害しています。家康はそれを知っても、今川に味方する父は嫌いだから仕方ないと、幼いながらも割り切っていた。

桶狭間の戦いを迎えるにあたっては、母の於大の書状を携えた忍びの菊丸が、家康のもとへやってきました。

於大が「今川に味方するな」と訴えてきたのですが、家康は母からの書状に感激しながらも、現時点で今川と敵対することは非現実的であるとして、その訴えを退けています。

冷酷な判断をくだし、他者からは理解しがたいようで、家康なりの優先順位の付け方は厳然としていた。

己の情よりも、世の中を動かす理を求め、重視していたのでしょう。

この家康は、決断の場面以外はむしろ優しく親切であり、医者である駒のような人物に対しても礼儀正しく接しています。

目の前の妻子の命より、民草の命の方が重い。天下万民を見据え、そう即座に決断して動く。

こういう人物こそ人の上に立つ為政者としてふさわしいというドラマでの描き方。

本能寺の変を経て、最後に差し込む光は、冷静な目で伊賀越えへと向かってゆく徳川家康が担っていました。

『麒麟がくる』という作品は、タイトルからして、乱世で乱れ切った日本人の心を儒教朱子学の倫理が変えるというテーマが示されていました。

徳川家康は儒学者である林羅山を重用し、江戸時代の道徳観念に朱子学を定着させる契機をつくった人物です。

ドラマ内での衣装は、当初、色合いが派手だという批判もありましたが、そんな派手さが目立つ中でも、落ち着いた色合いを着こなしていたのが、壮年期以降の徳川家康です。

彼の衣装は意識的に、江戸時代以降の落ち着いた色彩を先取りさせる設定にされていました。

家康の観念や美意識が、江戸時代の根底にあったと示していたのです。

では『どうする家康』の家康像はどうでしょう?

冷酷で理解し難い家康像だった『麒麟がくる』と逆を進むがごとく、例えば「なぜ戦うのか?」と問われても理由を答えることができません。

愛妻である瀬名の陰謀が発覚した際、自害して始末をつけると語る彼女を前に、「天下や国なんてどうでもいいから二人きりで暮らしたい」と訴えていた。

一人の男、時代ものらしく呼ぶとすれば「匹夫」ならばそれでよいでしょう。

しかし、江戸幕府を開く人物としてはどうなのか?

「天下人も意外とこんなもんなんだよ」と親しみを狙ったゆえの描写なのでしょうか。

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