家康黒幕説

徳川家康/wikipediaより引用

どうする家康感想あらすじ

家康黒幕説で盛り上がる『どうする家康』どこまで根拠のある説なのか

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家康黒幕説はあり得るのか
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『鎌倉殿の13人』源実朝暗殺事件に黒幕はいない

重要人物の殺害事件となると、とかく語られやすい「黒幕説」は本能寺の変だけではありません。

2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも、非常に注目された一件があります。

源実朝の暗殺です。

この事件も、日本史上の興味深いミステリとされ、様々な黒幕説が語られがちです。

北条義時黒幕説

北条義時が体調不良を訴え、列から離れて源仲章と交替した――そんな場面で事件が起きたため、義時の自作自演だったのだろうという説です。

三浦義村黒幕説

小説家が提唱し、有力視されたこともある説です。ただし根拠に推察が多く、現在は否定されています。

こうした黒幕説は現在は否定され、怨恨をつのらせた公暁の単独犯行説とされ、ドラマでもそう描かれていました。

確かに『鎌倉殿の13人』での三浦義村は、劇中で幾度も不穏な動きをしています。

主人公である北条義時や、京都の朝廷など、さまざまな思惑で陰謀を企んでいましたが、実朝暗殺事件に関しては、あくまでひっかけでした。

鎌倉時代は史料が少なく、かつ史料批判しながら読むことが重要とされます。

三谷幸喜さんが「原作である」と見なしていたという『吾妻鏡』は、北条氏を正統とするバイアスがかかっているとされ、読解には注意を要する。

そのため三谷さんは、何度も綿密な打ち合わせをしつつ、脚本を書き進めていったと明かしています。

劇中では、むろん自由な創作もありました。

例えば、和田義盛ら一族を滅ぼす引き金となった【泉親衡の乱】を起こしたのは、源仲章を用いた朝廷側の策であること。

あるいは朝廷から毒を受け取った平賀朝雅が、北条政範を殺したこと。

こうした描写を史実とみなすことはできません。あくまで創作です。

しかし、視聴者がそう信じないよう、公式サイトやSNSでも情報の補完が行われていました。

『麒麟がくる』と『鎌倉殿の13人』には、歴史上の人物と関わる、重要な架空人物も出てきます。

ああした人物には「ファンタジーでありえない」という批判もつきものですが、創作上の味付けであり、マナーともいえます。

彼らがいることで、あくまでフィクションだと匂わせられる。

今年の『どうする家康』にも、小豆袋を擬人化した阿月のような人物がいます。

しかし彼女は、出番が少ないところから急に現れ、自身が死に至るまで戦場を走り抜け、画面を独占するような唐突さがあり、ウケ狙いの範疇にしか思えないのが辛いところでした。

 


本能寺の変の動機とは?

では過去の諸作品で、本能寺の変はどう描かれてきたのか?

というと、作品が成立した時代の価値観や、英雄願望が反映されたものが主流であり、その傾向をざっとまとめるとこうです。

◆怨恨説

江戸時代まで、織田信長の人気はさほど高くはありませんでした。

暴虐な人物像が強調され、そのパワーハラスメントに苦しんだ明智光秀が衝動的に犯行に至った――そんな前提で様々な創作が生まれています。

◆天下を狙う野心説

明智光秀には天下を狙う野望があり、千載一遇のチャンスで動いたというものです。

ただし、これは信長を討ってからの光秀の行動が拙いこともあり、あくまで動機づけとしてのバリエーションとも思えられます。

『どうする家康』の家康は、この野望説を少しかじったようなところも見受けられます。

「信長を殺す」と唐突に言い出した家康。しかも「信長の死=天下をとる!」と直結させているんですね。

あらためて『麒麟がくる』を見ますと、同作品ではこうした諸説を否定。

一年間の放送に渡って綿密に描かれた君臣間の齟齬という決着は、地味なようで斬新だったと言えるでしょう。

当初は、光秀の母・牧を演じる石川さゆりさんが酷い目に遭うのでは?という憶測もありましたが、光秀の母が亡くなる場面そのものがありませんでした。

こうした前提を踏まえ、「信長を殺す」という一言から盛り上がっている黒幕説についてあらためて見てゆきたいと思います。

 


本能寺の変黒幕説とは

戦国大名の人気は時代によって変わります。

江戸時代の織田信長は残虐で酷薄であるとされ、さほどの人気はなかった。

それが時代が進むにつれ徐々に高まり、戦後の昭和となると革命児としての理想が反映され、日本史上トップクラスの人物となっていきます。

そうなると、信長の最期が、単なる「本能寺の変」ではあまりにあっけない。

日本史を代表するような英雄があっさり斃されるはずがなかろう――そんな願望ありきの言論も湧いてきて、1990年代頃から黒幕説が提唱されるようになりました。

一口に黒幕説と言っても、いくつかに分類できます。

◆朝廷黒幕説

なかなかややこしい黒幕です。

織田信長は勤王であったか? それとも天皇にとって代わろうとしていたか?

そんな動機づけまで絡んでくるため、提唱された時期の皇国史観まで考えねばならなくなります。

◆幕府黒幕説

果たして足利義昭にそこまでの力があったかどうか?

◆イエズス会黒幕説

話としては面白いけれども、無理がある。

◆秀吉黒幕説

フィクションとしてなら非常に面白く、山田風太郎の『妖説太閤記』がこの説をとっています。

とはいえ、この作品は「モテない秀吉が、ハーレムを作るために天下をとるぞ!」というぶっ飛んだ奇想が根底にある物語。

タイトルにも「妖」と入っています。

大変すばらしい出来の作品とはいえ、これをまともに歴史上の説として取り入れるとなると厳しい。あくまでフィクションの範囲内のものでしょう。

作者の山田風太郎は江戸川乱歩の愛弟子であり、もとは気鋭のミステリ作家。彼の力量があればこそできるかなりの力技です。

古典的ミステリでは「この犯罪で最も利益を得る者が犯人である」という組み立て方がありました。山田の場合は、それを歴史ものに応用した結果といえます。

◆家康黒幕説

『どうする家康』が、この家康黒幕説を匂わせているのは前述の通り。

これに説得力を持たせられるなら「神算鬼謀も極まれり」と言えなくもありませんが、相応の背景が必要ですし、数多の伏線も重要となるでしょう。

劇中の創作は自由であり、新解釈も大歓迎ですが、話の展開に無理があれば途端に陳腐になってしまうリスクがある。

実際、家康黒幕説に持っていくならば、ドラマとして整合性に怪しい箇所がいくつも見受けられます。

瀬名の謀略に家康も同調していたのに、なぜか本人は見逃されていた

・瀬名を聖女にした結果、信長が悪いを誘導したいのだろう。しかし瀬名の策の規模を踏まえればむしろ信長の判断は寛大で、逆恨みされているようにも見えてしまう

・第26回放送「富士遊覧」の場面はセキュリティが甘く、信長もすっかり油断していて、殺すのであればそちらの方が確実なチャンスだった

・自身が提唱者ならば、伊賀越えが人生三大危機になるのがおかしくなる

歴史フィクションとしても、ミステリとして考えても、矛盾点が見受けられるのです。

ゆえに家康黒幕説では進められないとは思うのですが、ただそれならば、なぜわざわざ「信長を殺す」なんて言わせたのか?

信長殺しを実行する光秀は、常に家康を侮蔑している態度であり、事前に話し合いどうこうという関係でもありません。

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