個性的な絵師や戯作者がそろう大河ドラマ『べらぼう』において、ひと際異彩を放つ人物が第18回放送に登場しました。
片岡鶴之助さん演じる鳥山石燕(とりやま せきえん)です。
鶴太郎さんと言えば、本人も絵画を嗜む役者として知られ、NHKでも番組を持っていた程ですが、その彼が鳥山石燕を演じると言われても、多くの方が「はて?いったい誰だろう……」と戸惑われても不思議はない。
そうかと思えば、浮世絵には興味がなくても妖怪好きだったため「ああ、あの人か!」という反応もあったようで……。
ドラマの中では、幼い唐丸に絵を教えていた怪しい風貌の師匠。
史実でも喜多川歌麿や多くの有名な弟子がいることで知られるだけでなく、彼が描く「あやかしの絵=妖怪画」は水木しげるにも影響を与え、実は我々の目にも慣れ親しんだ存在だったりします。
鳥山石燕とは一体どんな絵師だったのか?
その生涯を振り返ってみましょう。

鳥山石燕『画図百鬼夜行 ぬらりひょん』/wikipediaより引用
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狩野派に師事する
鳥山石燕は正徳2年(1712年)頃に生まれました。
家は幕府の御坊主で、名は佐野豊房(さのとよふさ)とされます。
御坊主とは、江戸城で将軍や大名の世話をしたり、茶札や茶器を管理するなど、城内での様々な雑用をこなす役目のことです。
絵師としての技能は、狩野派で学びました。
狩野派の門人である狩野周信(かのう ちかのぶ)や玉燕(ぎょくえん)に師事したとされていますが、石燕は狩野派としての評価はされていません。
狩野派は、室町幕府と徳川幕府将軍家に愛された【御用絵師】として名高い流派。

唐獅子図屏風/wikipediaより引用
石燕は【町絵師】として名が知られています。
江戸の市井で描き、江戸っ子に好まれた絵師。
いわば御用絵師と町絵師を橋渡しして、【浮世絵】が大々的に広まる前に重要な役割を果たした人物と言えるでしょう。
町絵師として名を馳せる
鳥山石燕はなかなか評価の難しい存在です。
狩野派の御用絵師というには、そうした作品での名は残してはいない。
かといって【浮世絵師】と定義するのもどうか。石燕は、多数印刷して売る【錦絵】よりも、一枚ものの【肉筆画】や、神社の【奉納額】に注目すべき作品があったとされるのです。
確かに【奉納額】の題材として、画期的な【役者絵】を描いたこともあります。
役者絵は浮世絵でも定番、売れ筋のジャンルであり、石燕の画業はジャンルの枠を超越するセンスがありました。
町絵師としての石燕は、【版本】の挿絵を多く手がけています。
当時は、錦絵だけ出すような絵師はむしろ少数派で、版本への挿絵を描くことも非常に重要な仕事でした。
ドラマの中の蔦屋重三郎も、こうした話を持ちかけている場面が多いですよね。
石燕の門人にも、こうした版本の挿絵を習った文人も多く、そのうち一人は『べらぼう』前半において重要な役割を果たしています。
恋川春町です。

『吾妻曲狂歌文庫』に描かれた恋川春町/wikipediaより引用
狩野派出身の鳥山石燕から教わったのであれば、恋川春町が絵を描けても不思議ではありません。
春町は戯作者であり、かつ挿絵をこなすことができました。
売れっ子戯作者でありながら、絵は描けない朋誠堂喜三二とコンビを組むこともあった。
『べらぼう』での恋川春町は、鱗形屋の注文により【青本】を出版し、むしろ蔦重を嫌っている設定ですね。
蔦重は、春町を経由してのネットワークは広げられませんが、春町が喜三二と繋がっていることで道は広がります。
春町と喜三二という二人の戯作者のさらにその先に、石燕の影が見えてくる、そんな構図ですね。
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