べらぼう感想あらすじレビュー

背景は喜多川歌麿『ポッピンを吹く娘』/wikipediaより引用

べらぼう感想あらすじ

『べらぼう』感想あらすじレビュー第44回空飛ぶ源内

早産のあと、一命をとりとめたてい。

しかし医者は懸念しています。

体は無事なようでも脈が弱い。どうやら食欲がなく、ろくに食べていないようです。

すっかり弱ったていは、腹の子が呼んでいるのだと思っている。

生きる力を失ったていを、どうすれば救えるのでしょうか。

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決裂した蔦重と歌麿

喜多川歌麿が、吉原の忘八親父殿たちの前で、蔦重の囲いをやめたと宣言しています。

次郎兵衛が「喧嘩でもしたのかい」と問いかければ、大文字屋も「兄弟喧嘩ってなぁ犬も食わねえよ」と続ける。りつが何があったのか?と尋ねると、歌麿はこう返します。

「長い間にはいろいろとありまして」

取り付く島もない歌麿に、扇屋は吉原で絵を描く話はどうなったのか、と念押ししてきます。

蔦重の借金百両分です。歌麿と組んだ万次郎が、それも引き受けると言い出しました。

なんでも歌麿は、吉原への恩返しのために格安で描くそうです。彼なりに吉原へ恩返ししたい気持ちはあるんですね。

このあと駿河屋の親父とりつに鶴屋喜右衛門も加わって、「歌麿との仲立ちをする」と蔦重に言い出しました。

しかし蔦重は生気を失った目つきのまま、静かに頭を下げます。

「吉原のため、地本のために、いいようになさってください」

鶴喜が、いま歌麿を手放したら店を畳むことになると警告し、駿河屋が堪えきれずに近寄り、こう言います。

「おめえよぉ、日本橋を出て、吉原の誉になるんじゃなかったのかよ! んじゃ悪いけど、よそと組ませてもらうぜ」

返事すらできない蔦重。りつと鶴喜もそう続けるしかありません。

「吉原もゆとりがないんでね」

「うちも遠慮なく、歌麿さんと組ませていただきます」

その上でみの吉に対し、身の振り方を考えるならば雇うと誘う鶴喜。りつと駿河屋も後に続くのでした。

それにしても、なかなか残酷な場面といえます。

蔦屋が持たないとなれば、日本橋を保つために鶴屋はみの吉確保へと向かいます。

そのあとにりつと駿河屋が続くことで、彼らは吉原として日本橋に詳しい人材を得たいようにも思える。

蔦重という重石が軽くなったことで、鳴りを潜めていた対立の構造が浮かび上がってきています。

それほどまでに彼は弱ってしまいました。

 


重田貞一、のちの十返舎一九登場

そのころ耕書堂では、滝沢瑣吉が菩提を弔う宣言をしていました。

亡きオババ様ことつよと、亡くなった子を弔うんだとか。写経までしてますぜ。みの吉はその努力の方向に困惑しています。

するとここへ、旅姿の男が入ってきて、仁義を切り出しました。

「仁義を切る」とは渡世人や任侠特有の挨拶でやんす。かつては『寅さん』シリーxズや時代劇で馴染みがあったものですが、最近は見かけなくなりましたね。

演じる井上芳雄さんの仁義の切り方がこれまたサッパリとしていてよいものです。

この重田貞一(さだかつ)は後の十返舎一九です。

十返舎一九/国立国会図書館蔵

ヤクザ者だと誤認したためか、滝沢は「去れー!」と塩を撒きながら追い出そうとする。

と、貞一が「こんなものを書いている」と浄瑠璃本を差し出しました。なんでも上方で芝居も手がけていたとか。

蔦重が、その本に目を通します。

みの吉が、ここで書きたいという貞一の希望を伝える一方、滝沢は「天下の耕書堂で書けると思うな!」と凄む。

蔦重は貞一に本を返し、よそへ行かれるほうがよろしいと告げました。

即座に追い出しにかかる滝沢。しかし、実力不足などではなく、蔦重にはもう気力がないようで、どこでも通用するから他へ行くようにと告げるのです。

貞一はそれでも蔦屋に恋焦がれていると言い張る。そして背中につけていた相良凧を持ってきました。

凧は凧でもただの凧じゃない、平賀源内が作ったものだ――相良は田沼領です。なんと源内には生存説があるのだとか。

 


平賀源内生存説

その晩、蔦重は、ていに源内生存説を語ります。

歴史ものでお約束の、密かに逃げ延びて生きて匿われているというやつですな。源義経やら豊臣秀頼でおなじみの伝説でやんす。

旧田沼領である相良に匿われ、お礼に考えたのが相良凧っていうことでさ。

蔦重は、鳥山石燕の描いた雷獣の髷が源内先生に似ていると指摘。さらには妖(あやかし)の姿を借りているのかもしれねえと言い出しました。

「源内先生は、実は生きていると伝えていた?」

「いや……ねえか、んなことは」

蔦重がそう返します。

この場面は心底ゾッとしました。狙いはなんなんでしょう?

何が恐ろしいか……って、陰謀論に陥る過程そのものに見えるのです。歴史上の人物生存説はロマンゆえに人気があるといえばそうですが、本気で信じては危険でしょう。

何かの由来を強引に有名人と結びつけることもよくあります。「ずんだ餅の発明者は伊達政宗」といったものです。

しかし、これも場合によっては混乱を招くのでよろしくない。相良凧もこの類ではありませんか?

そして、錯覚に過ぎないかもしれぬ画像を証拠として持ち出す。しかも根拠はオカルト。

聡明で理詰めなおていさんでも騙されかけているのはなぜか?

身体的な不調ゆえのことでしょう。元気であれば「怪力乱神を語らず」と返しそうなところですが。

こういうオカルト思考は、心身不調をとらえてくるから危険なのです。

止める側も、あまり強くいうと傷つけてしまいかねないし、ただでさえ相手は弱っているし、どうしたものかと悩んでいるうちに事態は手遅れになっていることもあるわけでして。

まさか大河ドラマでそんな酷い事態にしない。果たしてそう言い切れるのか。

源内生存説は手っ取り早く解決できるといえばそうなります。

平秩東作が源内の遺体を引き取ったとされているのですから、本人は亡くなっているにせよ、関係者に聞き取りをすればよい。

しかし、それはしない。そうすることで明らかになるのは、生存説の否定に繋がる。

自分にとって都合の悪い事実から目を背け、曖昧で突拍子もないことでも都合がよければしがみつく。甘い嘘に絡め取られることで人はどんどん堕落してゆく危険性がある。

それこそ『べらぼう』の平賀源内その人だって、ありもしないエレキテルの効果が「ある」と思い込むことによって、自分自身を追い詰めて破滅へ向かってゆきました。

平賀源内作とされるエレキテル(複製)/wikipediaより引用

平賀源内の名前が出てきて喜んでいる場合じゃねえ! 苦い教訓を引き出すことこそ、重要なのではないですか。

恐ろしいことに、史実を辿りますとただでさえ経営が順調とはいえないところで、大博打である東洲斎写楽売り出しをして、失敗するというのが初代蔦屋重三郎の人生でやんす。

それをそのままドラマにしたら、精神的石抱に耐えきれねえ人もいるのではないか? そう思ってしまいますが。

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武者震之助

大河ドラマレビュー担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

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