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【殿中御掟と十七箇条意見書】
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悪いのは義昭かなぁ……
義昭は信長に対する感謝をさらに表すべく、副将軍の地位や管領への就任を勧めました。
しかし、信長は「ワシにそんな大それた役目はもったいないので、弾正忠の官位だけお受け取りします」(意訳)と断ります。
そして、二人の仲が表裏なく良かったのもこの辺りこまで。
その後、意見がかみ合わないことが出始め、徐々に間柄は壊れていくと、決裂へと向かっていきます。
専制を布きたい信長が『殿中御掟(でんちゅうおんおきて)』などで義昭をないがしろにしたからだ……とされていますが、その後に出された十七条の意見書を見ると、
「……義昭にもそれなりに理由があるんじゃね?」
と思われます。
そもそも現職の将軍に十七個もツッコミどころがあることが問題ですが、家臣の立場から主君に対して叱責する信長も相当失礼ではありますよね。
一体どんな内容だったのか?
出された順番で殿中御掟から見て参りましょう。
殿中御掟
まずは「殿中御掟」です。
このときはまだ、義昭の行動を制限するというより、将軍として「ちゃんと対応してくださいね」というもので、内容も簡潔・確認的なものがほとんど。
ですので後の「十七か条」は要約して記しますが、殿中御掟についてはウィキペディアを引用させていただきますね。
2回に分けて計14か条出されており、まずは【殿中御掟9か条】(1569年)から見て参りましょう。
◆御用係や警備係、雑用係などの同朋衆など下級の使用人は前例通りをよしとする。
◆公家衆・御供衆・申次の者は、将軍の御用があれば直ちに伺候すること。
◆惣番衆は、呼ばれなくとも出動しなければならない。
◆幕臣の家来が御所に用向きがある際は、信長の許可を得ること。それ以外に御所に近づくことは禁止する。
◆訴訟は奉行人(織田家の家臣)の手を経ずに幕府・朝廷に内々に挙げてはならない。
◆将軍への直訴を禁止する。
◆訴訟規定は従来通りとする。
◆当番衆は、申次を経ずに何かを将軍に伝えてはならない。
◆門跡や僧侶、比叡山延暦寺の僧兵、医師、陰陽師をみだりに殿中に入れないこと。足軽と猿楽師は呼ばれれば入ってもよい。
ウィキペディア「殿中御掟」より引用(Link)
そして一年後の1570年――。
以下の『殿中御掟追加5か条』が追加されました。
◆諸国へ御内書を以て仰せ出さる子細あらば、信長に仰せ聞せられ、書状を添え申すべき事
◆御下知の儀、皆以て御棄破あり、其上御思案なされ、相定められるべき事
◆公儀に対し奉り、忠節の輩に、御恩賞・御褒美を加えられたく候と雖も、領中等之なきに於ては、信長分領の内を以ても、上意次第に申し付くべきの事
◆天下の儀、何様にも信長に任置かるるの上は、誰々によらず、上意を得るに及ばず、分別次第に成敗をなすべきの事
◆天下御静謐の条、禁中の儀、毎時御油断あるべからざるの事
ウィキペディア「殿中御掟」より引用(Link)
追加の方が、より行動規制感が強くなっていますね。
次の十七条はかなり戒めるような内容もあって、義昭さんには気の毒ですが、かなり面白くなっていきます。
内容は、おおむね二つに分類できるかと思うので、以下にザックリまとめてみました。
左の番号①~⑰は十七条のうち何番目かを表しています。
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