浅井長政/wikipediaより引用

信長公記 浅井・朝倉家

信長の電撃攻撃が炸裂 浅井一族は切腹&磔へ~超わかる信長公記100話

前回でとうとう、越前の朝倉氏を片付けた信長。

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近江に戻ってきたその足で、さっそく浅井長政の始末に取りかかりました。

浅井家の本拠地・小谷城には、妹お市の方もおります。
いったい如何なる方法で攻めようとしたのか?

日を追いつつ振り返ってみたいと思います。

 

京極丸の久政と本丸の長政を分断せよ

朝倉義景の首が信長に届けられたのが天正元年(1573年)8月24日のこと。
それからわずか2日後の8月26日、信長は近江に戻ってきております。

信長の功績を見ていると「迅速第一!」の方針は本当に不変ですね。

そして、8月27日の夜。
羽柴秀吉(豊臣秀吉)が、小谷城の京極丸へと攻め込みました。

小谷城は、多くの曲輪や石垣、土塁をもつ堅固な山城です。

このときは当主である浅井長政が小谷城本丸、その父で隠居という立場だった浅井久政は隣接する京極丸におり、秀吉は二人(長政・久政)の分断を図ったのです。

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そして京極丸は程なくして秀吉軍の手に落ち、久政は切腹します。
日頃から久政に目をかけられていた舞の名手・鶴松大夫が介錯を務め、その後、彼も腹を切ったといいます。

鶴松大夫は忠義心も高かったようで、

「主と同じ畳で腹を切るのは畏れ多い」

と言い、庭で腹を切ったとも。

また、久政の近習だったとされる家臣・浅井福寿庵(惟安)も、このとき腹を切ったとか。

秀吉は久政の首を取って信長の元へ持ち帰り、首実検に臨みました。

 

長政と重臣・赤尾を切腹に追い込んで

翌8月28日には信長も京極丸へ入り、浅井長政と重臣・赤尾清綱を切腹に追い込みました。

『信長公記』にはこれだけしか書かれていないので、従来は「8月28日に長政らも切腹した」と考えられていました。

※小谷城攻略の詳細は、以下【小谷城の戦い】をご参照ください

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しかし、29日に発行された長政の書状が見つかったことにより、切腹は8月29日か、翌日の9月1日だろうという説が優勢になっています。

”8月29日の翌日が9月1日”というのは、旧暦のため31日がないこと、この年の8月が小の月=もともと30日がないことによるものです。
ちょっとややこしいですね。

『信長公記』で次に出てくる日付は9月4日であり、その前には次のような記録が記されています。

「浅井父子の首は、朝倉義景と同じく京都に送り、獄門にした」

「城から逃げていた長政の嫡男・浅井万福丸を探し出し、関が原で磔刑にした」

「旧浅井領は秀吉に支配させることとし、信長は朱印状にその旨を記した」

この記録にあることを実行するとなると、やはり長政の切腹は8月29日か9月1日あたりでしょう。

あくまで概算ですが、こんなカレンダーだったのかもしれませんね。

8/29 長政切腹
9/1 京都でさらし首
9/2 万福丸を磔
9/3 浅井領を秀吉に
9/4 以下に続く

字面だけ見ると非常に残酷ですね。
さて、その9月4日ですが……。

 

同時に六角退治も済ませて近江を完全平定?

9月4日。
信長は小谷城から直接佐和山へ向かい、鯰江城(東近江市)の六角義治攻略を柴田勝家に命じました。

おそらく、この連載の90話で述べたあたりからずっと粘っていたのでしょう。

【信長vs六角】鯰江城の戦いで百済寺も炎上!~超わかる信長公記90話

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しかし、六角が長期戦で粘れたのは、あくまで浅井・朝倉両氏との連携が成立しての話。

その両方が落ちてしまった以上、六角氏だけでは織田に対抗することは不可能です。

そもそも六角氏は、信長が足利義昭を奉じて上洛する最中(永禄十一年=1568年)の時点で、戦国大名としての力は地に落ちておりました。

信長と義昭の上洛
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それらを悟ったか、義治もここでは降参しています。

翌々日の9月6日、信長はやっと岐阜城へ帰還。
浅井、朝倉、六角を完全に片付け、これで美濃&尾張から北・西方面における近隣の敵は片付いたことになります。

しかし、戦いの相手はまだまだ残っておりました……。

長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon link
『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon link
『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon link
『信長と消えた家臣たち』(→amazon link
『織田信長家臣人名辞典』(→amazon link
『戦国武将合戦事典』(→amazon link

 



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