武士の書道

現代に書状が残っているNo.1戦国大名と言えば伊達政宗/wikipediaより引用

文化・芸術

合戦だけ上手でもダメなのね~戦国武将も達筆に憧れた「武士の書道」に注目

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江戸時代以降:筆跡がステータスシンボルへ

文字なんて、書けて読めれば、それでいい。

そんな坂東武者たちの時代を経て、戦国時代の頃には自筆と祐筆を使い分ければOKとなり、書道はかなり身近な存在になってゆきました。

ただし「書」の掛け軸を飾り、芸術として楽しむまでには到達しておらず、文化芸術としての「書」は禅僧や文人が嗜むものでした。

江戸時代となると、識字率が庶民でまであがってゆきます。

武士は藩校で学び、庶民は寺子屋で学ぶ。

さらには大量の印刷物も出回って、書道が普及していくと、日本流の【和様】と、中国式の【唐様】に別れ、それぞれの書道家たちが文字の美しさを競うようになりました。

ただし、当然ながら江戸時代とは現代では学び方も全く異なります。

もしも今から書道を習うとすれば【楷書】から始めるでしょう。

【行書】や【草書】はしかるべき経験を積んでから、というのが普通ですが、江戸時代の手習ではむしろ【楷書】は習わない。

なんせ実際に書くとなると、速度が全く違います。

【楷書】は現実的ではなく【行書】や【草書】でサラサラと書きつけた方が実用的でした。

幕末の武士ともなると、書道についての審美眼も腕前もかなりのものとなります。

相手の書状をサッと見て、ほほぅと感心したという回想が残されているほど。筆跡までチェックされるなんて厳しい時代ですよね。

一例として豪農出身であり、呉服屋の店員経験もある新選組・土方歳三を挙げてみましょう。

彼の筆跡は現代人からすれば流麗で素敵です。

しかし当時からするとこうなる。

「なんていうか、俳諧が好きな町人の字だなあ。武士なら唐様でピシッと書かないと!」

要は、筆跡だけで教養から育ち方まで明らかになってしまうんですね。怖いものです。

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ゆえに武士だけでなく豪農も商人も背伸びして「立派な書を書きたい!」と習練に励んだのでした。

 


時代劇で書道を再現するなら

だいたい年に1~2度ぐらいの割合でしょうか。

「戦国武将◯◯の書状を発見!」

というニュースを目にするでしょう。

彼らの書状が額装され飾られたのは、あくまで有名人の筆だからであり、書道の腕前とは関係ありません。

豊臣秀吉の書状にしても、北政所淀殿に宛てられたものは、あたたかみがあり微笑ましいとして貴重とされます。

つまり、中身が評価されているのであり、筆跡が芸術的であるかどうかは別物。

大河ドラマなどの時代劇を見るうえで、書状などの小道具や、筆を持つときの所作は、大事な見どころの一つでもあります。

前述の通り『鎌倉殿の13人』では、坂東武者と京都出身者の違いが「書」ひとつでわかりました。

和田義盛の微笑ましい書状、上総広常の願文などなど、担当者が工夫を凝らしながら作り上げた小道具も、まさに神は細部に宿るを体現していました。

所作も端正です。

歌舞伎役者である中村獅童さん扮する梶原景時は、芯の入った姿勢で筆を握っていた。

現代人がペンを持つときとは異なる姿を見ていると、時代ものを味わう喜びが感じられたものです。

一方、非常に残念でならなかったのが『どうする家康』です。

ちょっと考えられないような描写がいくつか見受けられました。

 

◆筆なのに鉛筆持ち

徳川家康お市の死を知った時、ショックのあまり筆を取りおとし、それが横に転がってゆきました。

筆は立てて持ちます。そのため、落としたとしても下に倒れます。横に転がるのは鉛筆のように持っていたから。

小学校の習字でも習えるレベルのことが、なぜ大河ドラマで……と驚いたものです。

しかも、家康以外の人物でも、鉛筆のように筆を持つ姿が確認できます。

◆祐筆はいないのか?

出世した豊臣秀吉が、一人でせっせと大量に書状を書いている場面があります。

事務的な書状のようでした。

祐筆が書く方が自然ですが、何かあったのか。

◆書道の指導では途中から紙を引っ張らない

織田信長の幼少期、書道の指導を受ける場面がありました。

信長の字が汚いから、として平手政秀が引っ張りますが、これも色々とおかしかった。

→書道の指導は禅僧が定番では?

→紙は貴重。江戸時代でも裏紙を用いていることが当然。それをああも無駄にするのはリアリティに欠ける

→書道は精神性を大事にする。心を乱すような指導はありえない。書き終えてからどこが悪いのか説明するもの

◆地図の文字が楷書である

戦場で用意されている地図の文字が、かっちりとした楷書でした。

当時、あんなふうに手書きで楷書をしっかりと書くことはまずありません。

 

大河ドラマは日本を代表する時代劇です。

それが平気で現代劇のように描かれるとなると、文化芸術のレベルが後進していると見なされ、ドラマの質だけでなく大河ドラマの看板に泥を塗りかねない。

ドラマはフィクションだからこそ、時代に則したリアリティや整合性が重要となってきます。

筆を持つ緊張感。

墨の香り。

筆さきが紙の上を動く感触。

筆跡から伝わってくる人柄。

日本では、文字が伝わって以来、仮名を生み出し、【和様】と呼ばれる日本式の書道を磨き上げてきました。

【唐様】も学んで取り込んできました。

そうして独自に解釈した技術を使いこなしつつ、東アジアと繋がってきたのです。

王羲之の模本はその好例でしょう。

台東区にある「書道博物館」は、アジアからの観光客が是非とも訪れたいスポットになっているのをご存知でしょうか?

この書道博物館と国立博物館はしばしば有名書家の作品を集めた書道展を共催。そんな時は海外からの人々が大勢訪れます。

書そのものだけでなく、それを集めて鑑賞し、学んできた心そのものを見ているのだと私には思えます。

時代劇のロゴに書道家の作品が用いられることが多いのも、東アジアの特徴です。

字に込められた思いまで含めて、ドラマを作っているのでしょう。

歴史というのは、武将が戦い、天下をめぐるだけではなく、筆を握り、文化を高めることも重要でした。

そもそも筆がなければ歴史の記録ができていません。

大河ドラマであれば、合戦や政治だけでなく、文化の歴史も重視して欲しい。そう願うばかりです。


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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
新人物往来社『豊臣秀吉事典』(→amazon
歴史群像編集部『戦国時代人物事典』(→amazon
台東区書道博物館『王羲之と蘭亭序』(→link
『文徴明とその時代』(→amazon
『趙孟頫とその時代』(→link
最上義光歴史館『戦国武将墨跡展図録』(→link

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