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【戦国ブギウギ76話】
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年末挙兵
◆当時の柴田勝家さんの決定的な弱点って、地政的なものでしたよね。
冬場の北陸では進軍ままならぬこと明白。畿内と結ぶ要衝として「長浜城」を譲り受けはしたものの(清州会議で決定)、さほど効果的とも思える使い方はされなかったような。
そんな簡単じゃないこたぁわかってるんですけど……結果論だってことは承知なんすけど……。
結局、長浜城の柴田勝豊は秀吉に囲まれてアッサリ、これを受け渡し、返す刀で秀吉はスイスイと岐阜城へ。そして信孝は?
条件付き
◆柴田勝豊から長浜城を奪いとった秀吉は、自軍に加えて織田信雄なども引き連れ、岐阜城へ向かいました。
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城方の織田信孝はアッサリ降伏。山崎の戦いでは神輿として担がれ、清州会議でコケにされ、さらに再び蹴落とされたのですから、織田家の人間としては配下の秀吉に蹂躙されて、凄まじく腹の立ったことでしょう。
その証拠に信孝、凄まじい死に様を見せますが、それはまた後日の話。
いずれにせよ勝家を後見人とする信孝を決定的に追い落としたことで、次なる合戦の幕開けとなるのでした。
そうです。
【賤ヶ岳の戦い】です。
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著者:アニィたかはし
文:五十嵐利休
書籍版『戦国ブギウギ』です!
















