源頼朝からのお墨付きを得て会津地方の統治者となった佐原義連(さわらよしつら)。
その子孫が土着して蘆名家となり、長い間、同地方を統治してきた――その詳細が以下の記事にありますが、
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東国武家にとって因縁深い会津|佐原義連に始まる蘆名一族と共に振り返る
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戦国時代に突入すると、野心あふれる男の出現によってその安寧は崩されます。
独眼竜こと伊達政宗です。
中央では豊臣秀吉の政権がほぼ決まり、大名同士の勝手な合戦を禁じる「惣無事令」も出しているという状況なのに、それを完全に無視したかのように会津を攻め、蘆名から奪い取る――。
なぜ政宗はそこまで執着したのか?
いったい会津の何が魅力的だったのか?
フィクションでは「天下も狙っていた」と喧伝されがちな政宗ですが、実は会津に執着していた――その行動履歴を振り返ってみましょう。

伊達政宗/wikipediaより引用
はしゃぐ政宗「ついに会津を手に入れた!」
豊臣秀吉の影がそこまで迫っている――。
にもかかわらず、伊達政宗は、斜陽の蘆名家とは対照的な、楽しい戦国ライフをエンジョイしていました。
その姿は、まさにノリノリ。
撫で斬り自慢書状を最上義光に送りつけたり。
浮かれて落馬骨折したり。
彼氏と激しく愛し合って、愛の証のために太ももを突いたり。
飲みすぎて二日酔いになったり。
家臣に雑な手紙を送りつけたり。
家臣の家に突撃訪問して遊んだり。
伊達成実から「マナーが悪い!」と怒られたり。

もう戦国の青春ここにあり!って感じですね、ハハッ。
まぁ、そんな政宗のエンジョイ青春時代の念願が会津蘆名家の撃破であり、その夢が叶ったのですから浮かれるのも無理はないでしょう。
天正18年(1589年)の1月7日に行われた「七草連歌」。
「若菜連歌」とも呼ばれる伊達家恒例の行事で、この年の政宗は次のような句を詠んでいます。
「七種を一葉によせてつむ根芹」
「七草を一気に積んじゃったよ、ウヒャハー!」
ウキウキの様子がダダ漏れで伝わってきます。
微笑ましいほどのノーテンキです。
しかし、戦国ファンの皆様なら、そろそろ気になられているでしょう。
伊達家ファンの方であれば、ヤキモキする場面です。
翌年の天正18年(1590年)は【小田原征伐】が行われる年。
秀吉の天下統一事業の仕上げは刻一刻と迫っているのでした。

photo by R.FUJISE(お城野郎)
困り顔の義光「惣無事令を知らんの?」
秀吉が関東にやってくる頃。
それはもはや戦国時代ど真ん中の頃とは勝手が異なります。
好き勝手に暴れられる時代は終わり、外交力が切実に問われる環境になっておりました。
政宗周辺の大名――特に伯父の最上義光あたりは、ツッコミたくて仕方のないところでしょう。

長谷堂合戦で直江兼続を追撃する最上義光『長谷堂合戦図屏風』/wikipediaより引用
「あのさ……政宗くん、惣無事令って知らんの? そういうイキリ倒したこと(蘆名討伐)をして、関白が見過ごすと思っているの?」
むろん秀吉が黙っているはずがありません。
会津を追い出されて常陸にいる蘆名義広だって、実家の佐竹義重や佐竹義宣を介して、関白・豊臣秀吉に「惣無事令の違反です」と訴え出ていることでしょう。
秀吉の耳に入るのは時間の問題なのです。
奥羽の大名は誰もが皆
「どうすれば関白にコンタクトを取れるのか?」
と知恵を絞っているところでした。
好例が津軽為信や蠣崎慶広でしょう。

津軽為信/wikipediaより引用
関白への取りなしを電光石火で成功させたがために、無事、大名としての地位を得ました。
もっとも津軽はこの一件で南部とは犬猿の仲となっておりますが、出し抜いた方としては「合戦? もう外交なんだよ、アホか」という時代です。
このとき、一番胃がキリキリしていたのは、最上義光でしょう。
彼は伊達家の監視任務を買って出ています。
義光が陰険な性格だからなのか?
そんな単純なものではないでしょう。なんせ伊達家は最愛の妹の嫁ぎ先でありますし、義光は義弟の伊達輝宗とはなかなか相性がよかった。

伊達輝宗/wikipediaより引用
政宗だって、なんだかんだで血の繋がった甥っ子。何かあれば首根っこつかんででも土下座させたかったのかもしれません。
むろん政宗もバカではありません。
外交において無策ではなく、コンタクトもしておりました。
惣無事令の発動で木っ端微塵
それでも政宗は、空気を読めなかった……というより読みたくなかったのでしょう。
蘆名を潰し会津をゲット。
その誘惑に負けてしまったのかもしれません。
かくして政宗のウキウキ会津ライフは、秀吉による惣無事令の発動で木っ端微塵になります。

豊臣秀吉/wikipediaより引用
おまけに小田原征伐前夜には、
【蘆名家当主に据えるはずだった弟・政道小次郎を殺害した】
ともされているのです。
背景にあった義姫による政宗毒殺未遂も、現在は否定されております。
確かなことがあるとすれば、政宗の目論見通り小次郎が蘆名家当主となっていれば、それらの悲劇は起きなかったということでしょうか。
話をここで完結としてもよいところですが、無駄に粘着質な政宗は、会津にこだわりがあったようで……。
失われた何かを求めて、暴れる政宗
俺の青春、俺の会津――。
COOLな会津は、上方からやってきたよくわかんねースカした奴、レオン? 意味わかんね。
ともかく、そんな蒲生氏郷のものになってしまった……。
なんだかいきなりポエムを入れてすみません。
苦心して強奪した会津は、豊臣政権のもとに呆気なく没収され、以降、蒲生氏郷の領地とされました。

蒲生氏郷/wikipediaより引用
面白くない。やってられるか。
政宗がそんな蒲生氏郷に対して塩対応を取り、氏郷の方もイライラしていたことは確かです。
【葛西・大崎一揆】でも不信感は拭えない。
【九戸政実の乱】でも、政宗が露骨にやる気を見せない。
氏郷にとっても、迷惑極まりない話です。
生まれ育った場所から引き離された挙句、その先で政宗がオラついているのですから、ストレスが溜まることでしょう。
おまけに豊臣政権からは「お前ら、奥羽大名同士で仲良くしろ」なんてマトメられるものだから、政宗と氏郷は切りたくても切れない関係となってしまいます。
氏郷は行事の席次等で、政宗より義光を優先するようにしばしば進言しています。
足利一門かつ、伯父で、年齢も上。
そういう理屈が通りますが、政宗からすればただの嫌がらせです。
そんなギスギスした二人の近くに座らされる、最上義光にとってもいい迷惑であり、完全にとばっちりですね。
蒲生氏郷は文禄4年(1595年)に急死します。その死因は毒殺だったという説がありましたが、現在では否定されております。
政宗がその早すぎる死を、どう受け止めたのやら……。
伊達や最上の押さえとして景勝を
その後、関ヶ原の前夜へ。
晩年の豊臣秀吉、まだ幼い豊臣秀頼にかわって、石田三成らが策を練りました。
「伊達政宗や最上義光をおさえるのであれば、会津は上杉景勝に」
これは妥当な判断ではあるのですが、やはり政宗としては気に入らなかった様子です。
政宗の出生地・米沢まで上杉領ですから、ムカつきは半端ない。
そのためか、上杉家と伊達家にはいろいろと因縁がある。
直江兼続が伊達政宗をコケにした逸話も多くあります。

直江兼続/wikipediaより引用
こうした逸話がどこまで真実か不明なれど、ギスギスしていたのは間違いないでしょう。
政宗には、会津とその統治者に突っかかっていくオラつき傾向を感じます。
誰にでも喧嘩を売る性格とまとめれば、それはその通りではあるのですが。
人生最大の快勝。
若くして得た奥州の要。
会津抜きの奥州探題なんて画竜点睛だぜ!
やっぱり奥州を統治するのであれば、会津が欲しいんだよ!
米沢のような政宗生誕の土地でもなければ、仙台のように築き上げた土地でもない。
岩出山の方がずっと縁がある。
それでも政宗にとって、何かと因縁がある。
政宗が欲しかったもの。それは、天下よりも会津だった――そんな可能性も感じさせるのです。
興味深いことに現代では立派な観光資源
会津側から見たらいい迷惑でしかありません。
八つ当たりで殴られ、燃やされた、大災難。
そんな伊達家の仙台藩と会津藩が、幕末に手を組むのは有名な話ですね。
戊辰戦争に敗れた後、屯田兵として真っ先に北海道へ移住したのも両藩でした。
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『ゴールデンカムイ』門倉利運は会津藩士か仙台藩士か?そのルーツを徹底考察!
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当時は大迷惑であった、そんな会津にとっての政宗。
しかし、現代では立派な観光資源として、会津に恩恵をもたらす存在になっているのが興味深い。
2019年に入りVOD(動画配信サービス)がますます加熱していく中、あのNetflixが、伊達政宗も登場するドキュメンタリードラマ『エイジ・オブ・サムライ: 天下統一への戦い』を製作したのです。
このドラマでは三英傑の次に目立つ戦国大名として伊達政宗が登場。伊藤英明さんが熱演しております。
◆エイジ・オブ・サムライ: 天下統一への戦い(→link)
政宗が会津に執着する過程が世界に届くなんて――これは快挙ではありませんか。観光効果も期待できますね。

伊達政宗騎馬像(仙台城跡)
さぁ、政宗の恩返しを期待しようではありませんか。
会津旅行の際は、その息吹を感じてみたい。
もちろん、蘆名の息吹もお忘れなきよう。
会津を幕末だけと片付けては、あまりに勿体ない。
馬刺し、ソースカツ丼、蕎麦、喜多方ラーメン、日本酒、そして歴史。皆さんへオススメしたい食も歴史も色々とあるのです。
政宗――Netflixで会津、奥羽、日本どころじゃない、今度は世界制覇だ!
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【参考文献】
林哲『会津芦名四代』歴史春秋社・1982年(→amazon)
林哲『会津芦名一族』歴史春秋社・1979年(→amazon)
野口信一『会津ちょっといい歴史』歴史春秋社・1991年(→amazon)
遠藤ゆり子『東北の中世史4 伊達史と戦国騒乱』吉川弘文館・2015年(→amazon)
高橋充『東北の中世史5 東北近世の胎動』吉川弘文館・2016年(→amazon)
遠藤ゆり子『戦国時代の南奥羽社会』吉川弘文館・2016年(→amazon)
他







