北条氏綱/wikipediaより引用

北条家

鶴岡八幡宮の戦い~北条vs里見は大軍同士でしょっぱい展開【戦国北条五代記】

こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
鶴岡八幡宮の戦い
をクリックお願いします。

 

鶴岡八幡宮は避けられない

そもそもなぜ、鎌倉を通ったのでしょう?

鎌倉から上陸して玉縄城を目指そうとすれば、どう考えたって鶴岡八幡宮は避けることができません。

地図を見ていただくのが一番わかりやすいのですが、鶴岡八幡宮から玉縄城までは、現在の道路で6km程度しか離れていないのです。

※赤い拠点が鶴岡八幡宮で、黄色の拠点が玉縄城(両者は直線距離で4km程度)

まあ、数百隻の大船団だっただけに、船着き場の確保が最も大変だったのでしょうね。

江の島辺りでも良さそうな気がしますが、西へ行けば行くほど北条勢力圏の色は濃くなっていきますし、北条氏としても、そういった海域には見張りを置くなどの警戒はしていたはずです。

 

「鶴岡八幡宮再建しようぜ!」

八幡原(川中島のハイライトになったといわれている所)にしても、八幡神に縁のあるところは戦が絶えません。

武家の神様なので当たり前といえば当たり前なのですけれども、にしても、鶴岡八幡宮は貧乏くじ引き過ぎな気がします。

源実朝の暗殺事件。

関東大震災での社殿倒壊。

近年ではシンボルだった大銀杏が倒れてしまったり、度々災難の舞台になってきました。

一方で、それでも生き永らえているというのも凄まじい話ですよね。

後に、北条氏が主導して「鶴岡八幡宮再建しようぜ!」と言い始めたとき、里見氏も協力せざるを得なくなってます。

盗んだバイクで走りだした翌朝にバイクを返しにいくような恥ずかしさがありますな。

なお、北条氏綱の父にして、後北条氏の礎を関東に築いたのは、かの北条早雲です(北条氏を名乗ったのは氏綱から)。

伊勢宗瑞という室町幕府のエリート武士というのが今の見方で、浪人から成り上がったとかそういうワケではなさそうです。

よろしければ北条早雲の記事も併せてご覧ください。

あわせて読みたい関連記事

北条早雲(伊勢宗瑞)は幕府のエリート出身!? 元祖・下剋上大名の生涯64年

続きを見る

北条氏綱が関東制覇へ向けて躍進!55年の生涯まとめ【戦国北条五代記】

続きを見る

北条氏康
北条氏康が関東制覇へ!謙信や信玄と渡りあった57年の生涯【戦国北条五代記】

続きを見る

北条氏政
北条氏政はなぜ最期まで秀吉に反抗した?その生涯53年【戦国北条五代記】

続きを見る

北条氏直
北条氏直が氏政の跡を継ぎ秀吉に滅ぼされるまでの生涯30年【戦国北条五代記】

続きを見る

厳島の戦い(毛利軍vs陶軍)で元就の奇襲作戦が炸裂!中国エリアの覇者へ

続きを見る

武田信玄
武田信玄 史実の人物像に迫る!父を追放し三方ヶ原後に没した53年の生涯

続きを見る

永享の乱で関東に火種を大量投下! そして鎌倉公方・足利持氏は切腹へ

続きを見る

享徳の乱
28年間もドンパチ続いた享徳の乱! 足利vs上杉で関東は戦国時代へ

続きを見る

立河原の戦いで戦国初期の上杉・足利・今川・北条が大乱闘スマッシュだ!

続きを見る

長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
『戦国武将合戦事典(吉川弘文館)』(→amazon
『戦国時代人物事典(学習研究社)』(→amazon
鶴岡八幡宮の戦い/wikipedia

TOPページへ

 



-北条家
-