井伊家

小野政次――権力争いの末に勝ち取った34日間の儚い天下【戦国直虎譚】

小野篁(たかむら)をご存知であろうか。

平安時代の公家であり、秀才として名を馳せ遣唐使の副使に就任。

大使の藤原常嗣(つねつぐ)とケンカをして同職務を放棄すると、嵯峨上皇の怒りに触れて隠岐に流されるも、優秀な人材であったため再び京に呼び戻され、その後も和歌や学問の才をいかんなく発揮――ということで現代にまでその名を轟かせている。

当連載は『おんな城主 直虎~人物事典』である。

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実は井伊家の重臣に、この篁の血を引くと伝わる者が名を連ねているのである。しかも井伊直虎井伊直親などの井伊宗家と権力争いを繰り広げ、2017大河ドラマでも高橋一生さんが演じ、ある意味主役以上に重要だったポジション。

それが小野政次である。

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遠祖をたどると、あの小野妹子に突き当たる!?

コトの真偽はさておき、井伊谷に勢力を保持していた小野氏は、小野篁(802-853)の後裔を主張していた。

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井伊氏の先祖は、1010年に生まれた井伊共保(ともやす・藤原共資の子)であるからして、歴史的には小野氏の方が200年長い。

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そんな小野家で26代小野政直の長男として生まれた政次は、生年は不明ながら1554年に家督を継ぎ、井伊家の家老に就任。

井伊直虎(ドラマでは柴咲コウさん)や井伊直親(三浦春馬さん)、直親の妻らと幼なじみであったという説もあるからして、同世代であったことは間違いないだろう。

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ともかく政次が家老についたとき、井伊家は宗主・直盛が今川義元に仕えており、同家と共に勢力を伸さんとしている状況でもあった。

生前の父・政直は、今川の忠臣でもあったため井伊家の状況は逐一、義元に報告されており、跡を継いだ政次も同様のポジションで活躍しようとしていたことが窺える。

そして井伊家と小野家の間に火種が投下される。弘治元年(1555年)のことだ。

 

桶狭間により御家安泰の神話が崩れ……

その年、政次(推定20歳)のときに、亀之丞(井伊直親の幼名)が逃亡先から帰国。

宗主・井伊直盛の養子として井伊直親を名乗り、奥山朝利の娘・ひよ(ドラマではしの)と結婚すると、政次の立場は少しずつ複雑になっていく。

というのも井伊直親の父・直満は、小野政次の父・政直の讒言により殺されており、直親自身も命を狙われ、10年間におよぶ逃亡生活を余儀なくされているのである。両者の仲がギクシャクすることは避けがたく、実際直親は、政次との接触を避けるため井伊谷から離れた祝田(ほうだ)に屋敷を建てたという。

そんな状況に拍車をかけたのが1560年5月のこと。
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今川方として合戦に参加していた井伊衆は約300人(研究者により200~500人)。その人的損害はかなり激しく、井伊家の主な家臣たちも16名が死亡し、宗主・井伊直盛も殉死している。

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出陣せずに井伊谷城を守っていた政次も弟の朝直を失うほか、他にも井伊家の有力家臣・奥平家で宗主・朝宗が亡くなった。

絶対王者・今川義元についていればお家は安泰――。

そんな安全神話が崩れ、三河・遠江の両国は「忩劇(そうげき)」とよばれるカオス状態に突入したのである。

 

直盛死して、井伊家の権力争いが勃発

『井伊家伝記』によれば、井伊直盛は殉死する前に以下の様な遺言を残している。

「養子の井伊直親を宗主とするが、小野政次と仲が悪いので、井伊領は井伊家庶子家の中野家の中野直由(ドラマでは筧利夫さん)に預ける」

この遺言が、いささか不可解な内容であることは読者の皆様も何となく想像がつくであろうか。

井伊直親は宗主になっても領主になれず不満はくすぶり、中野直由は受領名を井伊直盛と同じ信濃守に変えて、やる気満々。結果的に井伊領内では、井伊直親と小野政次の他に中野直由、奥山朝利というBig4が一触即発の権力闘争へ投入してしまったのだ。

『奥山家旧記』※1や『濱松御在城記』※2に、争いの様子が残されている。原文は記事末に掲載しておくので、ここではその内容をマトメで進めていこう。

まず今川氏真が小野政次を支援して奥山朝利を討ち取り、中野直由は三河国へ一時避難。

さらに政次は「井伊直親が徳川家康と組んでいる」と氏真に告発し、直親も死に追いやる(討ち取ったのは今川忠臣の掛川城主・朝比奈泰朝)。

続けて永禄6年(1563)には井伊家の重鎮・井伊直平が亡くなり、そして翌1564年には逃亡から戻って合戦に参加していた中野直由も死んでしまった。そして……。
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