今川氏真/wikipediaより引用

今川家

今川氏真は愚将か名将か~敵だった家康や信長と友好的に振る舞えるのはなぜ?

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今川氏真
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信長「氏真に駿河国を与えるなら、ワシに返せ」

徳川家康が駿河国から武田軍を追い出すと、織田信長は、家康に駿河国を与えた。

上述のように、掛川城の開城の条件は「氏真を再び駿河国の国主とする」であったとされる。

家康は、その約束を守ろうとしたのか、『東照宮御實紀』の中には「駿河国を浜松にいる今川氏真に与えて、今川家を再興したらどうか」と信長に提案したとある。

現代人から見てもムチャクチャなこの要望に対し、織田信長は「取り柄もない氏真に駿河国を与えるくらいなら、わしに返せ」と気分を悪くしたので、家康は仕方なく自分の領地にしたという。

確かに、和歌が好きで、父の仇の前で蹴鞠を披露し、更には牧野城主すら務まらない人物に駿河を任せるのは危険であろう。

なお、このとき家康が今川家の「再興」という表現を使ったのは、氏真が出家しており、武家としての今川家が断絶したことを意味しているように思われる。

では大名・武家としての今川家は、一体ドコで滅んだと考えるべきなのか。

一般的にその滅亡は「掛川城の開城」を以て終わったとされる。

しかし、戦国大名としての今川氏は滅亡しても、氏真は生き続けた。それもかなりしぶとく人生を永らえた。

彼は戦国大名としての人生の前期に終止符をつげると、文化人としての後期になると、浜松を出て京都四条に住み、今川入道仙巌斎(仙岩斎)と名乗って思うがままに活動範囲を広げている。

山科言継(やましなときつぐ)の『言継卿記(ときつぐきょうき)』によれば、上冷泉家6代為満邸で開催される「月次和歌会」にも出席するなど、山科家を中心に、駿府で知り合った公家や文化人と交流して過ごしたという。

そして慶長17年(1612)4月。

今川氏真は、駿府で家康に面会すると、旧知行地である近江国野洲郡(500石)を再び与えられ、さらに品川に屋敷を得て京都から江戸に移り、「品川殿」と呼ばれた。

 

なかなかに 世にも人をも 恨むまじ 時にあはぬを 身の科(とが)にして

戦国大名としては二つと例のない数奇な運命をたどった今川氏真。

討死も切腹もせず天寿を全うし、夫婦仲も良好であった。

信玄から殺害命令が下されると、元は臣下であった家康に助けを求めて生き長らえ、父の仇の信長に蹴鞠を見せたのも、本当に「プライドがなく」「世渡りが上手だったから」なのであろうか?

もしかしたら妻の「何が何でも生きて欲しい」という願いに応えようとした――夫婦愛ゆえの忍耐だったのではなかろうか。

慶長18年(1613)2月15日、長年連れ添った妻(早川殿)と死別すると、翌・慶長19年(1615)12月28日、彼女を追うようにして氏真も江戸で死去。

享年77(78とも)であった。

遺体は市谷(現・東京都新宿区市谷田町)の萬昌院に葬られる。

萬昌院は、寛文2年(1662)に牛込(東京都新宿区牛込)へ移り、現在は中野区上高田へ。

赤穂浪士の討ち入りで有名になった吉良上野介の墓がある萬昌院功運寺だ。

寛文2年(1662)、萬昌院が牛込に移る時、氏真の孫(範以の子)の今川直房は、姉がいた武蔵国多摩郡下井草(現・東京都杉並区井草)の観音寺を上井草(現・東京都杉並区今川)に移し、氏真夫妻の墓を萬昌院から移し、氏真を観音寺の開基とした(後に観音寺は、観泉寺と改名した)。

今川氏真の辞世は以下のものである。

なかなかに 世にも人をも 恨むまじ 時にあはぬを 身の科(とが)にして

【大意】 世の中も、人も、恨むまい。「この時代に合っていなかった」ということが、この身の罪なのだから。

果たして戦国大名・今川義元の子に生まれたことは、氏真にとって吉だったのか、凶だったのか。

 

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著者:戦国未来

戦国史と古代史に興味を持ち、お城や神社巡りを趣味とする浜松在住の歴史研究家。

モットーは「本を読むだけじゃ物足りない。現地へ行きたい」行動派。今後、全31回予定で「おんな城主 直虎 人物事典」を連載する。

自らも電子書籍を発行しており、代表作は『遠江井伊氏』『井伊直虎入門』『井伊直虎の十大秘密』の“直虎三部作”など。

公式サイトは「Sengoku Mirai’s 直虎の城」https://naotora.amebaownd.com/

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