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【今川義元】
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今橋城の戦い
北条氏を相手とする泥沼の争いから解き放たれた義元。
さっそく三河方面の攻略に乗り出しました(一方の北条氏康も関東北部の平定に専念します)。
ターゲットとしたのは東三河地域です。
まずは雪斎を大将とする攻略軍を派遣し、戸田宣成を攻めました。【今橋城の戦い】です。
同合戦では、家臣の天野景泰らによる活躍で見事に勝利を収め、東三河の一部を占領。その地を足掛かりに、三河の敵を一掃しようと目論みます。
しかし、この今橋城の戦いによって今川の脅威を実感したのか。三河の先にある尾張国の戦国大名・織田信秀が西三河の松平氏に攻め込む構えをみせます。
西三河で一定の勢力を有していた松平氏は、天文6年(1537年)より義元に服属するような立場でした。義元の庇護によってなんとか勢力を維持していた松平広忠に、織田氏と争うだけの力はありません。
近隣の水野信元にも見限られ、松平氏は窮地に陥っておりました。
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広忠は、義元に救援を乞います。
知らせを受けた義元は「息子の竹千代(=徳川家康)を人質に入れよ」と回答。
嫡男を預けるのは心臓を掴まれるにも等しい行為ですが、弱小・松平家には他に選択肢はありません。
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結果、彼の息子である【竹千代】が義元のもとへと送られ……ることはありませんでした。
なぜなら道中で田原城を領有した戸田宗光・戸田堯光親子の計略にハマり、竹千代一行は織田信秀のもとに届けられてしまったのです。
義元は当然大激怒。
天野景泰らに命じて田原城を攻めさせ、包囲戦のすえに城を落としました。
こうして義元の勢力は三河に大きな影響を与えるようになり、同じく三河攻略を目論んでいた織田氏との対決は避けがたい情勢になっていったのです。
※竹千代の人質奪還騒動については「はじめから織田家へ送られた」という説も最近は有力になりつつありますが、ここでは従来の定説で進めます
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小豆坂の戦い
信長の父であり、尾張の虎とも称される織田信秀。
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義元は、この信秀との戦いに備え、東三河地域で戦の準備に着手しました。主に実務を担当したのは雪斎で、周辺勢力の服属や兵糧の確保を進めます。
そして、天文17年(1548年)に【小豆坂の戦い】が勃発、義元と信秀はついに直接対決することになったのです。
この両者は天文11年(1541年)にも戦を行ったという記述が『信長公記』の首巻にあり、そのときの戦いを【第一次小豆坂の戦い】、今回の天文17年を【第二次小豆坂の戦い】とする説もあります。
ただし、第一次については他に有力な証拠がなく、この時期に「岡崎方面で義元が力を有していた」という設定に無理があるとして、近年は事実ではないと考えられています。
第二次小豆坂の戦いに関しては、家康の家臣が編纂した『三河物語』に詳しく描写されています。
信秀は、岡崎城を襲撃せんと打って出ていき、義元は雪斎を中心とした軍勢を同地域へ送り込みました。
両軍は一進一退の攻防を繰り広げ、最終的には、損害がひどく戦を継続できなくなった信秀が安祥城へと退却したことで今川軍の勝利となります。
信広と竹千代の人質交換
敗戦した信秀は、安祥城に長男の織田信広を配置。西三河攻略への執念をみせました。
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一方の義元も早急に織田氏の勢力を三河から駆逐したいという思いがあり、再戦は時間の問題となります。
しかし、ここでまたも風雲急を告げる出来事が勃発。
天文18年(1549年)、松平広忠が死亡したのです。
側近の岩松八弥に殺害されたとも、病死だったともされますが、義元にとっては到底歓迎できる事態ではありませんでした。
広忠の息子・竹千代が織田氏に囚われている以上、残された松平家臣らが織田への従属を決めかねないからです。
【今川&松平】
vs
【織田&水野】
だった関係が
【今川】
vs
【織田&水野&松平】
となりかねません。
義元はこのリスクへ即座に対処し、松平家の岡崎城を接収すると人質を何人か確保する非情な対応を実行。その上で太原雪斎に命じて安祥城を攻めたのです。
「一家の存亡」がかかっていた松平家臣らも、今川に協力を惜しみません。
この戦では彼ら「岡崎衆」は先手役に命じられ、地の利を活かして奮戦、今川軍とともに安祥城を包囲します。そして無事に城を落とし、織田信広を生け捕りにしました。
今川にとって、この一戦は非常に大きな契機となりました。
・織田信広と竹千代を人質交換
・松平家跡取りの竹千代を確保し、三河を完全平定
・尾張への攻撃が可能に
大河ドラマ『麒麟がくる』で染谷将太さん演じる織田信長が、人質交換に対して激しく反発しておりましたのは、こうした背景があったからなんですね。
三河へ攻め込む気だった織田は、逆に尾張へ攻め込まれるピンチに追いやられたのです。
そのために今川義元が進めた鬼手とされるのが【甲相駿三国同盟】です。
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