麒麟がくる感想あらすじ

麒麟がくる第6回 感想あらすじレビュー「三好長慶襲撃計画」

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麒麟がくる第6回
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「あの者の後を追え……」

義輝の口から出た言葉。それは武士の誇りが、武士の棟梁を動かした瞬間でした。

光秀には、人の心を動かす力がある。

 


連歌会、そのルールと効能

さて、連歌会です。

「では、始めさせていただきます」

笛が響いております。

と、話を進める前に、連歌の説明でも。

茶道と比較して、連歌の映像化はそこまで多くないとは思っておりました。理由は想像ができます。連歌は茶道と比較すると衰退している。準備も大変。そこまでがんばったところで、連歌需要なんてあるのか?

なんのかんので、千利休ほど知名度のある連歌師もいない――そういう状況が、個人的にはとても残念だと思っておりました。

楽しそうではあるのです。コンペのように商品はある。食事も途中で入る。香を焚き染め、音楽も鳴る。風流で良いものです。

ルールについては以下の記事をご覧ください。

連歌
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前々回、織田信秀は、望月東庵にしみじみと語りました。

蹴鞠も和歌もつまらない。どうしてやるのか? 劇中ではステータスシンボルという誘導をしておりました。これはその通りではあります。

ただ、古今東西、イベントには裏の意味がありまして。

2019年6月末、トランプ大統領と金正恩が面会を果たし、世界中が度肝を抜かれました。この前段階を辿ってゆくと、2018年平昌冬季五輪での南北対話も見えてくる。

オリンピックはじめ、スポーツイベントはただの運動会だ、楽しいだけだと言い張る。そんなものは幼稚な言い訳に過ぎません。

犬猿の仲だろうが、文化イベントがあれば参加せざるを得ない。浮かれ騒いでルンルンやって来ちゃうから? それもある。イベントや文化にはそういう吸引力がある。

人間とは食事だ、宴会だ、文化のお披露目だ、スポーツだと理由をつけて集まるもの。

そこをプラスに利用する例が、前述の米朝対談や1970年代の「ピンポン外交」だとすれば。

マイナス利用の代表例は1972年「ミュンヘンオリンピック事件」でしょう。いずれも20世紀以降のものです。

遡れば「鴻門の会」等、イベントを利用した血腥い話は山ほど出てきます。幕末なんて、宴会といえば襲われるような状態ですもんね。

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伝統の奥ゆかしき悪用例として、ここでの連歌会を舞台にした暗殺劇を見ていきましょう。

そうだ。戦国武将も大好きなこの連歌において、堂々たるナンバーワン発句数は、細川藤孝です。

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二位の最上義光に大差をつけて堂々の一位! 細川藤孝、彼こそまさしく、文武両道なのです。

 


襲撃!

いとはやも 天の戸わたる 雁金や

祐筆が繰り返し、書き留めます。

そなたこなたに なき渡る声

万里小路、宗養……優雅な面々の中、筆を持って真剣そのものの三好長慶がおります。

そこへ向かう不逞の輩。車の前でお供たちが驚いております。

聞く人の遠き松山 波越えて

月に孤影の 愁いとむろう

そして刺客が向かうところで、音が全く入らなくなる――松永久秀が、「ん、うーん」とあくびをしてやっと気がつく。

と、ドターンと横の戸が倒れるのです。油断しおったな!

これぞまさしく杯盤狼藉はいばんろうぜき! 斬り合いの開始です。

屋内戦闘らしく、御簾みすやら何やかやが倒れるところがよろしい。どういう見映えにするか、日本の屋内戦闘らしさをきっちり考えていて、本作の殺陣チームは実にセンスが抜群であると毎回わかって嬉しいものがあります。

柳生一族の陰謀』に期待するしかない。なんか毎週期待が高まっている気がする!

ナンバ走りで、ざざざと駆けつける光秀や藤孝も素晴らしい。息があっていて、互いに気遣っているとわかるのです。

「殿ーっ、お逃げくださーい!」

久秀が必死で叫ぶ。

「いたぞ、逃すなーっ!」

喚声が響く中、乱闘になっております。この乱闘が素晴らしくて。暴漢が久秀に襲い掛かったところで、背中に刃が刺さる。それは光秀の突きでした。光秀の得意技は、鋭い突き。前回も藤孝相手に使っておりました。

光秀は、毎週新たな面が明かされてゆく。鋭い突きは先週出て、今週はそれが殺傷に役立つと証明されました。

鉄砲を美しいと言う感性は、松永久秀に通じるものがある。とてつもなく善良なようで、いざとなれば残酷な手段で目的を達成できるのかもしれない。そういう深みと凄みが出てきている。こんな複雑な人物を演じる長谷川博己さんに、幸あれとしか言いようがない。

藤孝もすごいものがある。やる気を持って暴漢を倒す。そういう血の気がわかる殺陣をこなしています。

「三好殿!」

「藤孝殿!」

光秀はそう叫び、屋内から庭へと飛びます。振り下ろされる光秀の一撃と、振り上げる藤孝の一撃を両側から浴びてしまう暴漢もいる。彼は不幸ではありますが、光秀と藤孝の息がぴったりとあった、凄まじい瞬間がそこにはありました。

目と目を合わせてうなずいておりますし、これはもう友情が生まれてしまっています。

本作は1970年代あたりと言いますか、ちょっとクラシックな要素を大胆に取り入れております。

一つ前のトレンドは最悪で、格好悪い。むしろ、二つ前まで遡ると斬新で格好良い。2020年代のトレンドは、1970年代リバイバルにしたい、そんな思いを見た。1980年代はひとまず横におきまして。1990年代から2000年代の流行は、最低最悪のものとして淘汰されると予測します。そこについていこう!

殺陣は本当に、今週も素晴らしかった!

紅葉が血のように散っている。この時点で圧倒的に美しい。屍が転がりっぱなしのところもよい。消えるゲームとの違いを見せつけていて生々しい。殺陣については、もう毎回満点以上を叩き出している感がある。抜群によろしい!

思えば殺陣は、迷走していましたね。2000年代以降、日本の武術や家屋に合わないワイヤーアクションぽいものと変な融合しちゃったりして。

しかし本作は、正統的な進化をしつつ、世界のトレンドにも追いつける。日本らしさも随所にある。正統進化を見ていると毎週噛みしめられて、もう言うことがありません!

新しさと伝統の融合って、本当に大変なことだと思う。けれど、本作はそこをちゃんとやりきるのだから、凄まじいものがあると思う。

「三好殿、松永殿! 表に馬が。松永殿、早く!」

そう促され、やっと標的二人は脱出に成功します。

刺客も撤収です。頑張って捕まえて、拷問していろいろ吐かせてもよろしいかと思いますけれども、黒幕は明白ですからね。遊女屋で漏らす程度ですから、ちんけな小悪党でしょう。

細川晴元は、潜んだ家屋の格子ごしに「しくじりおって〜!」と悔しがります。

金をケチりましたかね? 刺客は事前に計画を漏らしている地、入り口も塞いでいない。門を閉ざして火を放つとか。飛び道具も使うとか。そこはもっと頑張らないと!

あ、そうか……光秀は、こういう経験から効率的な暗殺を学び、本能寺でやるわけですね。

やはり暗殺にはセオリーがないと。【本能寺の変】は突発的なのか?

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ゆるい計画では失敗する。光秀がどうやって効率的な暗殺を学ぶのか、そこも考えてゆきましょう。

暗殺未遂事件の反省をしよう

・遊女屋で計画を話す程度のセキュリティではいけません。情報漏洩は阻止しましょう!

・そもそも計画を練る過程が粗雑ではありませんか? きっちり講習するくらいの気持ちで!

・退路を立ちましょう。門を閉ざし、逃げられないようにすること!

・飛び道具、火災もここは選択肢に入れたい。絶対に逃がさないためにも、そのくらいの思い切りは必要です!

作戦が雑すぎる。やはり、現時点で本作ベスト暗殺は、蝮(斎藤道三)のお茶会でしたな。当時の京都でどれだけ暴れられるか、そこは難しいところですが。

そしてここでもやはり、再来年まで覚えておくと良さそうです。鎌倉武士は、特に計画性や理由もなく、ムカついたから標的の周囲ごと殺害するくらい、ともかくアバウトです。

連歌会で暗殺なんて野蛮に思えるかもしれませんが、それでも鎌倉武士よりは洗練されています。そこに人類の進歩を感じたいところです。

 


光秀、倒れる

光秀は粗い息遣いになっております。ここで安心して、肩の傷に気がつくところに、リアリティを感じます。アドレナリンがほとばしっている間は、痛みに気づかない。安堵してきたところで、やっとわかる。そういうことです。

肩の負傷を三淵藤英に気遣われる光秀。

お気遣いなくと言うものの、結構な深傷です。医者の手配を申し出られて、光秀は望月東庵の名前を出します。

東庵の名前もちょっと微妙かもしれない。藤英はわからない。東庵が将軍を診察してから、年月が流れているのでしょう。配下の定永貞四郎という者はわかると言います。

案内を頼まれて、彼と光秀は東庵の元を目指すのですが、光秀は途中で座り込んでしまうのでした。

ヨシナノワレラガヒトリネヤ カバカリサヤケ……

駒の歌声が響く中、駒に支えられ、光秀が倒れ込む映像が流れます。ここで光秀は目覚めるのでした。

「十兵衛様! 十兵衛様、気づかれましたか? 先生、東庵先生!」

「駒殿……昔の今様かな? 誰かが歌っていた……」

「私です」

「誰に教わった?」

「子どもの頃、旅芸人の親方様に」

「旅芸人?」

ここへ東庵が顔を出します。

「おお、気づかれたか よかったよかった。ハハッ! ずいぶん熱が下がった。うん。これなら大事ない。大事ないぞ。脈を取ろう」

「ここはどこですか?」

「うむ、わしの家じゃ」

「十兵衛様は家の前で倒れ、気を失われていたのですよ」

「高熱でな。ほっておけば命に関わるところであった。肩の傷が、思いの外悪うてな。駒がこの二日間、ずーっと付きっきりで手当てをしてくれたのだ」

「二日? 私は二日も?」

「ずっと眠っておいででした」

「もう大丈夫。あとは傷がどれくらいで塞がるかじゃ」

「よかった。本当によかった!」

金瘡(切り傷)の場合、出血はそこまでなくとも、発熱はありえます。光秀も何か悪いものが入ったのでしょう。駒は喜んでいます。

「先生が初めて薬師如来のように見えます」

「ん? いつもはな何に見えるのじゃ」

「それは申しません」

どうせ双六大明神といったところじゃろう。そう軽口を叩きつつ、薬はいつも通りだと指示を出す東庵なのです。

「だめだめ、動いてはいけません」

「二日も。さほどに長く。かたじけない」

「二日ごとき、どうということはありません。三日でも四日でも、ずっとお側にいますから。そうずっと。変だけれど、ずっと楽しうございます。こうしてずっとお側にいるのが」

そう言いつつ、手当てをする駒。そこには幸せがあるのでした。

これは駒の恋心でよいとは思います。それはその通りなのですが、そう単純なだけでもない。その証拠に、もう一人誰かが登場するのです。

 

心をひとつに、世を平かに

十日後――。

細川藤孝がそっとお見舞いに来ます。そして壺を丁寧な手つきで差し出しました。

松永久秀から、明智殿へ。兄・藤英に託されたものだとか。万里小路では命拾いをした、明智殿のおかげ、今は動けず顔を拝せず、よしなにお伝えください。

光秀はご丁寧に、恐れ入りますと受け取ります。壺の中身は水飴でした。

「水飴? 大好きです!」

駒は思わずそう言ってしまい、頭を下げて出て行くのでした。

はしゃぐのも無理はありません。当時、まだ日本では甘味が貴重。庶民の味わえる甘みはせいぜい干し柿ぐらいです。水飴にせよ、砂糖にせよ、輸入便りの高いものであり、水飴を入手できる松永久秀は、リッチなのでしょう。

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藤孝は、松永殿が明智殿は酒をあまり嗜まぬので、甘いものにしたと言っていたそうです。藤孝は光秀に興味津々に思える。光秀は、松永殿がそう仰せならばそうなのでしょうと笑い飛ばします。

もう藤孝は、光秀に興味が湧いていてしょうがない。そう伝わってきます。駒も、藤孝も、光秀が好きで好きでしょうがない。そういう気持ちが伝わってくる。光秀め……。

そんな藤孝は、明智殿は不思議な御方だとしみじみと言います。なぜなら……。
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