麒麟がくる感想あらすじ

麒麟がくる第6回 感想あらすじレビュー「三好長慶襲撃計画」

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麒麟がくる第6回
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この都では、松永殿は鬼か、蛇かと言われ、皆恐れている。その方に、易々と親しくなるとは。どういう経緯か知りたい好奇心を感じます。美濃に置くには惜しい御仁だと。

光秀は、松永殿は田舎者である私を面白がっているだけだと返します。それはどうでしょう。久秀は、はじめこそ「あのソウルメイト・斎藤山城守の美濃!」という態度でした。けれども今は、光秀個人を推していると伝わってきます。

「失礼ながら、私も面白がっておる。明智殿は、大層おもしろい」

藤孝はそう言ってしまう。

兄の館においでになり、大きな声でで将軍様は武家の鑑であり、棟梁であると申し上げられた。将軍殿が争うなとお命じにならねばと言われた。

その通りなのです。明智殿は当たり前の事を申された。しかし今、今日でそう思う方は僅かに過ぎぬ。そのうえで、あの館に義輝様がいたと告げ、じっと聞いておられたと言うのです。

「私は胸が痛かった! 口惜しかった! 明智殿のようなお方が、あと二人でも、三人でもいて、我らの味方となってくれればと。いかがです。美濃へ帰らず、しばらく京にいらっしゃいませんか」

あ……ここで、この話を聞いている駒は反応を見せるのです。駒が光秀に恋をしていることはわかる。けれども大胆なアプローチはしない。そこをうまく見せてきています。

「そうはいきませぬ」

光秀はそう言い切ります。美濃も京も同じ。美濃の頭であった土岐家は力を失い、家臣は皆バラバラになっている。

かろうじて斎藤山城守(利政)が美濃を一つにまとめてはいるが、国の者が土岐家に代わる柱として従っているかというと、そうではない。

心苦しい。私も力になりたい。

どうすればひとつになれるか? それがわからない。

それゆえ、美濃に戻り、考えなければならない。

五年先か、十年先か。美濃がひとつになれたおり、またお目にかかります。その折には、美濃をあげて、藤孝殿を支えます。今はそう言うしかない。光秀は誠心誠意そう返せるのです。

これが彼の怖いところではある。久秀が聞いたらショックを受けそうなセリフではあるのです。立場を抜きにして誠意でぶつかっていくからこそ、光秀は尊いと思えるのです。

「わかりました。争いを終え、ひとつになった諸大名が京へのぼり、将軍家を支えるならば、世は平かになるはず。それまで戦う他ない」

藤孝はそう言い切る。断られたとはいえ、藤孝も満足感はあるとは思います。これほどの男と、思いが通じ合う。そういう気持ちが伝わってくる。

決意を固めるように互いを見つめる二人。駒はそんな二人を見ながら、苦しい胸を抱えているのでした。

 


美濃に戦雲あり

そこへ東庵がやって来ます。

「十兵衛様、十兵衛様、戦じゃ! 山城守様がまた戦を始めたそうじゃ」

大柿城の戦い

提供者:美濃の油売り

場所は?:西美濃・大柿(大垣)城

敵は?:織田信秀、知らせを受け、大軍を率いて背後を衝こうとするが、結局城を守ることはできなかった

経緯は?:斎藤利政(斎藤道三)が急襲。大柿は豊かな穀倉地帯、要衝、奪回が宿願であった。

勝利:斎藤利政、大柿城は美濃の蝮の手に落ちた!

ここでもテロップだけではなく、ちゃんと実写にするところが細かい。

エエトウエエトウ!
そう声をあげながら、凝ったカメラワークで城門を突き破る軍勢がしっかりと出てきます。

慌てて駆けつけようとする織田信秀も。

美濃の蝮は強いし、それ以上にいやらしい敵だと思います。敵に回したくない何かがある。そうしみじみと思えるのです。

かくして、光秀も美濃に戻ることとなるのでした。

肩を押さえつつ、帰路に着きます。

「駒殿。もうよい。私は大丈夫だ。ここから京にお戻りなさい」

「どうしてですか!」

東庵殿を一人残してくることに罪悪感がある。駒が美濃まで来るのは大仰すぎる。そう打ち明けるのです。駒は、この旅を一人で行くのは無理だと言い返します。

けれども光秀は、そのことを東庵本人から直に聞いていないと戸惑っています。

光秀が恋愛に鈍い云々言われておりますが、そこは人徳の高さゆえに。

戦は終わったし、そう慌てることはない。とはいえ、戻れと言うのならば私と京都まで行けと言われると、光秀は困ってしまうのです。

「それは困る」

「では、美濃までご一緒します!」

 


叶わぬ恋心

かくして、二人の旅へ。

ある夜、強い風の音がします。駒が、むしろを手にして屋内へ駆け込んで来ます。

「裏の小屋に一枚あったので、拝借してきました。これ掛けて寝てください」

駒殿は? そう気遣う光秀に、焚き火のそばで丸まって寝ると告げます。すぐ消えると言われても、体が犬のようにぬくい、子どもの頃からそう、ご案じなくと返すのでした。健気です。

握り飯を二人で食べて、強い風の音を聞きつつ、二人は休んでいます。

「駒殿」

「まだお眠りになれませんか?」

「駒殿が気になる。ここに入らぬか。頼む。入ってくれ。そうでなくては眠れぬ。早う入れ」

「ですが……」

「構わぬ。ここで寝よ」

何度か瞬きをし、目を泳がせて、光秀の横にそっと入り込む駒。その肩を抱き、やっと目を閉じる光秀です。

「東庵殿の家で気を失って、二日の間眠っていた。夢の中で、駒殿の歌が聞こえてきた。どこであのような歌を教わったのかと聞いた。駒殿は、旅の一座の親方様から教わったと。いささか気になっていた。子どもの頃か?」

「私、東庵先生に引き取られる前。伊呂波太夫という旅芸人の一座に拾われて、そこで育てられ、あちこちを旅して暮らしていたことが。五つか、六つのころ」

「そうか……それで今様を……」

ヨシナノワレラガヒトリネヤ

カバカリサヤケキ冬ノヨニ

コロモウスクテ夜ハサムシ

駒の声が響く中、目を閉じるのでした。

 


MVP:明智十兵衛光秀

序盤、最初のパートもそろそろ終わりでしょうか。ここまで描いて来た光秀の魅力総決算のような回でした。

光秀は知勇兼備、容姿端麗。紛れもなく素晴らしい人物。

木行を象徴するだけあって、竹のように真っ直ぐであり、清らかさが常にある。

あやしい魅力の長谷川博己さんでありながら、フレッシュ過ぎて女性視聴者がガッカリだとか、そういう記事も見かけました。

「木行」という時点で、そういうことは諦めてくださいとしか言いようがありません。あんまりこういうことを言いたくはない、けれどあえて言いますけれども。相手が女優だろうと、男優だろうと、過剰なお色気を期待するのはいかがなものでしょう。

見られるのが役者の宿命とはいえ、彼らは別に自分の色気を鑑賞されるためにカメラの前に立っているわけではないと思うのです。

自己表現、限界に挑むため、脚本で描かれた人物像を描くため――あまり過剰に色気をどうこうクローズアップする報道には疑問を感じます。

むしろ本作って、そういうこととは違う。

駒との場面が早速「キュン死」なんて取り上げられ方をしておりましたが、むしろあの場面は、色気でなく清潔感が彼の魅力だと思えました。駒を守るべき存在だと思っていて、いやらしさをにじませない。

そういう古典的な、色に迷わないところが本作光秀の真髄だと思えるのです。

彼に魅了される人物は大勢いる。色気ではなく、美貌でもなく、その知性、誠実さ、そして心を動かすところに魅入られていると伝わってくるのがすごいと思います。

駒と細川藤孝が魅了されるところを、同時進行させるのがすごい。足利義輝すら動かしているところもすごい。

彼が隣にいるだけで、自分が求めているものがわかるような。そういう未解明のすごさが光秀にはあると思うのです。光秀と会話するだけで、悩みがとけていって、何かにたどり着けそうな気がする。そういう稀有な人物だと思えます。

光秀の魅力は、まだ未解明なようで、古典的でもある。

普遍的で、ずっとこういう人がいればいいとは思われて来た。その秘密がどこにあるか明かされていない。神秘性すら感じてしまうのです。

 

総評

おそろしい回だったとは思えます。

光秀は素晴らしい。けれども、その透き通った心の奥にあやしげなものも時折見えてくる。

鉄砲を美しいと語る感性。

人を斬ると苦いと語る。それにも関わらず、いざとなれば繰り出される必殺の突き。

そんな彼は、失敗に終わった暗殺から、何を学んだのか?

どうしたって、光秀には悪名がつきまといます。本作では聖人君子みたいだけど、ケチだの、冷酷だの、結局はなんだかんだで主殺しだという記事も見かける。

そこが本作の怖いところだと思う。

悪事を為すのが悪人だけだったら、どれだけ楽なことだろう?

そうではなくて、善良な人でも苦しみつつ、悪に向かっていってしまう。泣きながら悪事を為してしまう。

そういう心の葛藤に踏み込んでいくようで、本作はおそろしい。人間の心の持つ深淵に、毎週踏み込んでいくような感覚が深まっていくばかりなのです。

こと昨年と比較して、王道だの、年寄り向きだの、伏線がないだの、イケメン頼りだの、そういう意見はいくつか目を通したのですけれども。

それこそが罠だとここまで見て来て思えるのです。

この作品における光秀は紛れもなく素晴らしい。私は『三国志演義』における蜀の英雄のような像を思い出してしまう。そういう古典的な、人の道徳が求めるような像の中に、何かひびが割れていくようなところがあって目が離せない。気がつけばこの作品のことを考えてしまう。

長谷川博己さん以下、役者も神経を削るでしょうね。

彼らのコメントを読んでいると、皆聡明で、誠意があって。顔ぶれからして、役のニュアンスを丁寧に反映する――見た目以上に知性で選んでいると思えて来ます。

今週もがんばっていた細川藤孝なんて、これはもう、設定をもらっただけで演じる側は気が遠くなるほどすごい人物だと思うわけですよ。

そんな要求に対して、眞島秀和さんは、100やれと言われて、常に120、200を返すような誠意を感じてしまう。

これは彼一人だけでなくて、皆そうだと思う。駒の恋した心を目の動きで見せる門脇麦さんも素晴らしかった。彼らだけではない。三好長慶を見つめる薦を被った男まで、全員がすごい気魄。熱気を感じます。

100を120以上出せるような、そういう何かが現場にあるだろうと伝わってくる。なんだかものすごい作品になりそうで。

※編集注:なお鉄砲作りの名人・伊平次を演じられた玉置玲央さんは、技術指導を受け当時の鉄砲を分解&組み立てができるようになったとのことです

 

で、来週は織田信長がやってくる。

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こういうことを予想するのは気が引けるのですが、視聴者の8割が、最低3回くらい絶望する。そういう信長像だと予測します。

ピュアだと染谷将太さんはいう。

ピュアって何?
ピュアな気持ちで焼き討ちとか、あれやこれやをやらかす信長。ピュアな気持ちで細かい折檻状を出される佐久間信盛さんなんか、かわいそうすぎるでしょ。

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そんなもん何かの冗談だとしか思えない。染谷さんのインタビュー、他の方のコメントも読みました。とんでもない信長だということはわかった。

だいたい、キャッチコピーが「尾張の若きうつけ者」。

現代風だと「名古屋のバカなガキ」です。

最悪じゃないか! もう意味不明。胃が弱いくせに台湾ラーメンを食べて腹を壊してる。そういうアホを連想する。

予告動画も、なんか無駄に船の上に立っててなんなんだこいつ。だいたいキャストビジュアルの時点で三白眼でおかしい。他の写真だとニコニコしててやっぱりおかしい。

染谷将太さんがイケメンだから、パラダイスというニュースは読んだ。本気か?
いや、彼のビジュアルに文句はないです。けれども、あんな三白眼信長と恋をしたいの? 本当に? いや、どうでしょう。怖いよ!

これは私の持論ですが、『なつぞら』で染谷将太さんが演じた神地は、信長の予行演習を兼ねていると思いました。モデルがモデルであるからか、神地は変でした。締め切りと予算設定されただけで動揺する、社会人としてぶっ壊れた存在でした。腕はいいアニメーターですが、圧倒的におかしかった。

で、この神地は集中する顔がすごかった。背景にチラッと写る場面でも、集中していると伝わってくる顔がすごい。こういう一点集中、突破力が信長にもあると思うのです。

まったく新しい信長像――いろんなアプローチがなされて来ました。女体化。美少女化。現代人がタイムスリップ。けれども、どれも不要だということになるのかもしれない。

頭の中身を入れ替えればよい、思考回路をチューニングする。最新の、日本史以外の研究成果をふまえていじる。それで十分!

そんな凄まじい信長にするとは思います。ただ、それが従来の信長像と違いすぎて、絶対に荒れることは予想できるのです。

うーん、でも私は、信長像には期待しかない!

『MAGI』の吉川晃司さんの信長を見て、『麒麟がくる』の信長には同情しました。あれを超える信長像はできるのかどうか。そう思ってしまいました。

 

本作は二枚看板で挑むらしい。

従来の信長像には、信秀の高橋克典さんを吉川晃司さんにぶつけて対抗する。そのうえで、染谷将太さんをオルタナティブ信長像としてぶつけるようだ。

今から来週が楽しみです!

 


おまけ:視聴率低下のワケ? まったくわからん!(わけでもない)

本作は観光効果抜群だそうです。

◆‪岐阜城「大河効果」きた 1月入場が初の2万人超え

ただ、視聴率は低い。これについては、私は予想済みです。第一回で書きましたが『真田丸』のマイナス1〜3%範囲でしょう。

なぜ視聴率が低下したのか?

このことについては、作品の出来そのものを考える必要性を感じません。

箇条書きにしてまとめましょう。

◆枠ごと沈没した

いくら『真田丸』が素晴らしいと言い張ったところで、視聴率ではあの『天地人』に及ばない。『独眼竜政宗』を今さら持ち出すことが適切とも思えません。

◆枠ごとの沈没傾向が、ここ数年で決定的になった

一昨年、昨年でかなりの視聴率を裏番組に取られました。視聴週間の変化は戻せません。若い層は、はなから見ることもないでしょう。

◆地上波そのものが減衰している

低視聴率をキーワードにしてニュースを探れば、答えは見えてきます。朝ドラも、民放も、低視聴率のものが多い。地上波全体に減衰傾向を見て取れるのです。

◆しかし、その現実を認められない

それなのに、的外れな役者色気不足云々のニュースが出てくるのはなぜなのか?

長いことテレビありきで人生を過ごしてきた層にとっては、テレビが終わる日を想像すらできないのでしょう。ゆえに、現実逃避をするのです。

そうした的外れの指摘であろうと、アクセスを稼げるのであれば記事になります。

◆人は「周囲がどう思うか」を気にする

本当にそこまで視聴率を気にしているのか。明智光秀、歴史、大河に興味があるのか。それはわからない。

ただ、人は「周囲がどう思うか」気になるものです。さして話題にならなくても、惰性で大河視聴率ネタを話のネタにしたくなる。そういう心理はあるのです。

◆テーマが明智光秀だから

それはそうとしか言いようがありませんが、光秀であることに意義があるとは思います。

本作の織田信長は、今までにない新しい像になる。

それを信長自身の目線で見るのではなく、

【側にいて、彼の理想についていくものの、何らかの齟齬が生じてついていけなくなった光秀】

の目線で見るところに、本作の斬新さがあるとは思うのです。

ちなみに、これは海外の歴史ものでは定番の描き方ではあります。英雄ではなく、誰かの目線で見た英雄像や権力闘争を描く。群像劇にすることもよくあるアプローチです。

悲しいことに、日本ではその視点が定着しておりません。しかし、だからといって日本独自のフォーマットで描き続ければ、大河、日本発の歴史ものに未来はないのです。

新たなものを作るためには、ある程度の出血は必要なのです。

そのことこそが、本作の挑戦なのでしょう。

私は「ドラマ通」であったことが生まれてこのかたない。このレビューさえ読めば、大河通になれるなぞ、大仰なことを言うつもりはございません。自分の無知と非力は自覚しております。

学校でもどこでも、ドラマの話の通じない、隠キャとしてぼっち飯を味わってきました。ドラマが好きだとか。テレビが好きだと思ったことはない。これからもない。

大河(と朝ドラ)の話を誰かとすることを想像するだけでゾッとするし、したら確実に人間関係が崩壊することくらい理解できています。流石にそのくらい、もう学びました。

得てしてそういう人間の方が、見えるものがあるのかもしれません。

絵の全貌は、少し距離をおいた方が見えることがあるのでしょう。

嫌な現実を踏まえて、次の一手を踏み出すことも大切ではありませんか?

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麒麟がくる感想あらすじレビュー

麒麟がくるキャスト

◆麒麟がくる全視聴率

文:武者震之助
絵:小久ヒロ

【参考】
麒麟がくる/公式サイト


 



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