こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【信長公記120話】
をクリックお願いします。
織田信長は、高屋城を含めた河内国内の敵城を全て破壊させました。
康長はこれ以降、真面目に織田家臣の一員として働き、【本能寺の変】後は豊臣秀吉に仕えています。
没年は不明ながら、うまく生き残ったといえるでしょう。
なぜ光秀は信長を裏切ったか? 本能寺の変における諸説検証で浮かんでくる有力説
続きを見る
豊臣秀吉のド派手すぎる逸話はドコまで本当か~検証しながら振り返る生涯62年
続きを見る
お好きな項目に飛べる目次
お好きな項目に飛べる目次
岐阜へ帰還 武田との一戦に備える?
そのまま、石山本願寺攻囲にかかることもできたかもしれません。
しかし信長はここで引き返し、4月21日に京都へ戻って政務処理にあたっています。
おそらくは、武田軍の動きを気にしたのでしょう。もし大坂に長居していれば、いざというとき武田軍が侵攻してくるであろう三河&遠江エリアとは距離が離れすぎています。
全力で武田軍にあたるため、ギリギリまで京都での政務をこなし、一度岐阜に戻って体勢を整えようとしたのではないでしょうか。
27日には京都を出発。
坂本~佐和山間を明智光秀の船で渡る予定でしたが、風のため途中の常楽寺へ上陸しました。
史実の明智光秀は本当にドラマのような生涯を駆け抜けたのか?
続きを見る
そこから陸路で佐和山へ行き、28日の朝8時頃に岐阜へ到着しています。
『信長公記』ではここから半月ほどが経過。
そして次は、いよいよ有名なアノ戦のお話です。
あわせて読みたい関連記事は以下へ
細川藤孝(幽斎)は光秀の盟友だった~本能寺後の戦乱をどう生き延びたのか
続きを見る
武田勝頼は最初から詰んでいた?不遇な状況で武田家を継いだ生涯37年
続きを見る
将軍になった直後の義昭が襲撃される! 本圀寺の変で何が起きた?
続きを見る
三好三人衆の一人・岩成友通 なぜ彼らは執拗に信長と戦い続けたのか
続きを見る
野田城・福島城の戦い(第一次石山合戦)~超わかる信長公記73話
続きを見る
三好長逸―三好三人衆の長老格は信長の力を読めずに消えていく
続きを見る
なぜ光秀は信長を裏切ったか? 本能寺の変における諸説検証で浮かんでくる有力説
続きを見る
豊臣秀吉のド派手すぎる逸話はドコまで本当か~検証しながら振り返る生涯62年
続きを見る
史実の明智光秀は本当にドラマのような生涯を駆け抜けたのか?
続きを見る
信長公記をはじめから読みたい方は→◆信長公記
長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon)
『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon)
『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon)
『信長と消えた家臣たち』(→amazon)
『織田信長家臣人名辞典』(→amazon)
『戦国武将合戦事典』(→amazon)