絵・富永商太

織田家

尾張統一に信長が費やした10年の軌跡をスッキリ解説!1552年から1562年まで

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「父親の位牌に焼香ならぬ投香した」
とか
延暦寺で女子供も殺しまくった」
とか
長島一向一揆で信徒2万人を焼き殺した」
とか。

インパクト大なエピソードばかりがまことしやかに広がっていく織田信長

事の真偽は後述しますが、この信長さん、当初は尾張一国どころか織田家すら掌握できておらず、四苦八苦していたのをご存知でしょうか?

父の織田信秀が42才で亡くなると、跡を継いだ19才の信長は「うつけ者」とされ、親類衆からも「アホに従ってたら滅ぼされるわ」と次々に裏切られていくのです。

その期間、実に1552年から1562年まで。
10年以上にもわたる尾張統一の戦いを五段階にスッキリ整理してみましたので、早速、内容を確認してみましょう!

 

尾張国内に群雄割拠の親類たち

まずは始まりと終わりの確認から。

天文21年(1552年)3月3日に父の織田信秀が死亡。
そして永禄五年(1562年)の今日11月1日、織田信賢を討って尾張統一と相成ります。

なぜ、かように織田家はバラバラだったのか?

というと尾張の中で織田家がいくつにも枝分かれしていたせいであり、信秀死亡時の勢力図を見てみると、こんな感じです。

上四郡(葉栗・庭・中島・春日井)は守護代の織田信安
下四郡(愛知・海東・海西・知多)は守護代の織田彦五郎
犬山は織田信清

※それぞれの家でも家臣の台頭や親子の争いがあったりしてバラバラ

信長が生まれた血筋は、織田家の中ではむしろ傍流であり本家から見ればオマケ程度でした。

が、父の織田信秀が商業を盛んにしたり、室町幕府や朝廷との渡りをつけたり、さらには今川や斎藤との合戦で頑張り、尾張国内の親類勢を押さえてトップにのしあがっていたのです。

織田信秀(信長の父ちゃん)は財テク名人で似た者親子!道三や義元相手に大暴れ

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戦国時代は、勝手に官位を名乗る大名が多かった中、外交力もある信秀は正式に朝廷から任官されるほど。
尾張統一まで目前でしたが、42才の志半ばで亡くなってしまうのでした。

 

尾張統一までの5ステップを確認

勇将・信秀が死に、跡を継いだ信長。
あらゆる意味でブッ飛んだ人ですから、尾張は大変なことになります。

信長は、その実力を周囲に理解してもらう以前に、あれよあれよと戦いの日々へ引きずり込まれたようで、特に1552年から1559年までは身内を相手に常に戦闘状態でした(桶狭間は1560年)。

漫画や映像作品では、ほとんど語られないところですので、まずは年表にてざっと説明しておきましょう。

【信長苦心の尾張統一】

◆第一段階

1552年 父・織田信秀が没する
1552年 赤塚の戦い……山口親子の裏切り

→若い信長は家臣たちにナメられ、父の死と同時に早速裏切られます

◆第二段階

1552年 萱津の戦い……坂井大膳らと合戦

→清州城の実力者・坂井大膳を相手に信長が快勝し、能力を見せつけましたが、まだまだ周囲は納得してくれない

◆第三段階

1553年 守護・斯波義統が殺害され、信長が息子の斯波義銀を引き受ける
1554年 清州城乗っ取り……坂井大膳は逃亡

→清州城を取り仕切っていた坂井大膳を城から追い出し、尾張の中心・清州城を手中におさめます

◆第四段階

1554年 村木城の戦い……対今川の戦い・斎藤家の安藤守就に加勢してもらう
1556年 長良川の戦い……斎藤道三斎藤義龍の戦い

→今川との戦いや、斎藤家の内紛で、結果的に後ろ盾の道三を失ってしまいましたが……

◆第五段階

1556年 稲生の戦い……弟・信行と対立し、林秀貞柴田勝家らと戦う
1558年 浮野の戦い……織田信賢との合戦
1559年 岩倉城の戦い……信賢を討って、尾張の大部分を掌握

→依然として尾張東部は今川の傘下にあったので統一とはなりませんでしたが、ようやく身内はほぼ押さえます

いかがでしょう?

息が詰まりそうなほど親類・家臣との戦いに忙殺されているのがわかりますよね。

 

実の弟・信行は殺すしかなかった

さらに個々の事象を超ザックリ説明しますと……。

【1552年 赤塚の戦い】で家督相続後に裏切られていきなりピンチを迎え、

赤塚の戦い、なんだかほのぼの~戦国初心者にも超わかる『信長公記』第10話

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【1552年 萱津の戦い】にて尾張内の強敵を倒したことで一段落着き、

萱津の戦いで勝家も活躍~戦国初心者にも超わかる『信長公記』第11話

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【1554年 清州城乗っ取り】でようやく基盤が安定してきて

清州城を乗っ取れ!~戦国初心者にも超わかる『信長公記』第17話

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【1559年 岩倉城の戦い】で実質の統一ができた――という感じです。

岩倉城の戦い~戦国初心者にも超わかる『信長公記』第32話

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上記の各記事に詳細がありますが、尾張の内紛で最も有名なのは弟・織田信行との争い【1556年 稲生の戦い】ですかね。

稲生の戦いで信長一騎打ち!~戦国初心者にも超わかる『信長公記』第19話

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簡単に図式だけ見ますと、

【弟・織田信行+柴田勝家+林秀貞】
vs
【織田信長】

という内容であり、兵数が少なくても信長が圧勝。
倍以上もいた林・柴田の両将に勝利するのです。

この一戦で柴田勝家は信長に感服したとされています。

というのも織田信行がもう一度、兄を裏切ろうとしたとき、信長に内通したのが柴田勝家だったのですね。
だからこそ信行も、信長の仮病を信じて疑わずに見舞いへ行き、謀殺されたのでしょう。

が、だからと言って信長を弟殺しの冷酷者とは呼べません。

なんせ信長と信行が最初に戦ったとき、勝利した信長が信行を赦しています。
二人の母である土田御前に頼まれたこともありますし、国内だけでなく周辺も敵ばかりという状況では、実の弟を簡単には殺せなかったのでしょう。

しかし、裏切りも二度目とならば……殺すしかなかったのです。

織田信行(信長に謀殺された弟)は当主の器だったか?生涯&スペック確認だ!

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お家騒動につけこんで尾張統一

その後、信長は「打倒本家!」と方針を定めて戦います。

まずは尾張を完全に手中に収めなければ、その先へ進むことはできません。
おそらく家督を継ぐ前から、一城の主で収まるつもりはなかったのでしょう。

時には妹を嫁がせて丸め込んだり。
怪しい動きをする者は先手を打って追放したり。

戦以外の方法も駆使しながら足場を固めていきます。
この頃は所領も少なく、動員できる兵も少なかったでしょうから、無理に戦を仕掛けないという点で非常にクレバーです。

そして家中統一の過程で最後に戦ったのが前述の織田信賢でした。

破竹の勢いに乗った信長の影響を受け、信賢の家でもお家騒動が勃発。
当主だった父・信安が長男の信賢を無視して次男・信家に家督を継がせようとしたのです。

そろそろ「信」の字がゲシュタルト崩壊しそうですね。織田家の通字(代々名前につける字)なのでもう少しご勘弁ください。

結局、信賢が「オレ、何もしてないのに長男無視するようなヤツは親父じゃねえ!出てけ!!」と信安を追い出して終結するのですが、一度乱れた家臣の結束はそう簡単に元には戻りません。

信長はこの機を見て攻め込み、城を取り囲んで待つこと数ヶ月。
ようやく信賢を降伏させ、残党を追放して【尾張統一】を成し遂げたのでした。

 

尾張統一事業の合間に桶狭間の戦いで勝利って

ときに信長28歳。
家督を継いでから10年にして、やっと一国を支配します。

有名な【桶狭間の戦い】はこの家中統一直後、1560年なんですね。

桶狭間の戦い 信長は奇襲していない!戦国初心者も超わかる信長公記36話

今 ...

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詳しくは上記の別記事に譲りますが、信長軍2,000という数字は半数近くが精鋭の馬廻衆等だったため、単純に今川軍との兵数だけでは比較できないと思います。

仮に3倍の兵力と正面から対峙したって、今川軍の中には雑兵・足軽も多く含まれていたわけで。
殺しのプロ集団である武士と半農民との戦いであれば、圧倒的に前者が有利なわけです。

いずれにせよ、家中や尾張をまとめきれないうちに【海道一の弓取り】こと今川義元という大大名を打ち破ったのですから、周辺へ能力を示す絶好のチャンスでした。

この後は徳川家康との清須同盟や美濃攻略を経て、信長率いる織田家は天下への階段を一気に駆け上がっていきます。

なお、文頭で例に挙げました

「父親の位牌に焼香ならぬ投香した」
「延暦寺で女子供まで殺しまくった」
「長島一向一揆で信徒2万人を焼き殺した」

ですが。
その字面のまま鵜呑みにできないような内容だったりします。

よろしければ以下の記事をご参考にしてください。

「位牌に投香」
→おそらく事実

焼香投げつけ、政秀自害~戦国初心者にも超わかる『信長公記』第9話

『 ...

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「延暦寺の虐殺」
→遺体や焼き跡が出土せず微妙

信長は【比叡山焼き討ち】をやってない!? 数千人の虐殺&大炎上は誇張か

織 ...

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「長島一向一揆の虐殺」
→おそらく事実だが、都合3度の戦いで織田軍も多数の武将を殺されており、そのまま2万もの信徒を野に放てば石山本願寺で復讐される危険性が見えていたという事情がある

長島一向一揆で2万人を虐殺! 信長が宗徒を徹底的に潰した理由とは

マ ...

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長月 七紀・記

【参考】
『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon
『織田信長の家臣団―派閥と人間関係(中央公論新社)』(→amazon
超わかる信長公記

 



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