将軍・足利義昭による攻撃に備え、元亀四年(1573年)に織田信長が琵琶湖に作らせた大船。
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元々が将軍対策ですから、その将軍が西国へ逃れてしまえば必要性は薄くなります。
そこで信長は、この大船を解体したことが『信長公記』に記されています。
命じられたのは猪飼野正勝
作業については猪飼野正勝(いかいの まさかつ)に指揮を命じ、解体後の材料で早船を十艘作らせています。
現代風にいえば、リサイクルですね。
猪飼野正勝は「猪飼昇貞(いかい のぶさだ)」など、別の表記も複数ある人物です。
彼の動向は少々複雑。
信長が義昭を奉じて上洛した頃から織田家についたと考えられていて、比叡山焼き討ちの後、明智光秀が周辺地域(滋賀郡)を任されたあたりで、光秀の麾下となったようです。
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その一方で、独自の勢力・指揮権を持っていたらしき行動もあります。
【大船解体&早船建造】という一連の作業も、彼個人に一定の動員能力がなければ、命じられなかったでしょう。
近江の浅井長政攻略において、琵琶湖上での水軍として活躍していたことが信長公記にも掲載されていました。
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なぜ光秀を使わなかったのか?
近江坂本を拠点として、琵琶湖沿岸や京都に勢力を持つ明智光秀。
その光秀にではなく、猪飼野を中心に解体の仕事が任されたのは、
「光秀がこの時期動きにくかった」
という理由もあるかもしれません。
この年4~5月、光秀は天王寺砦周辺での戦で疲弊し、5月下旬に過労で倒れて休養していました。
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いつ頃休養が明けたのかは定かではありません。
同じ時期に正室・明智煕子(ひろこ)が病に臥せっていたため、代役として正勝が選ばれたという可能性もあるでしょう。
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信長がそんなところまで気を回すか、というと少々不確実ですが……。
煕子はこの年11月、あるいはさかのぼって6月に亡くなっているという説もあり、同年の死亡説に従えば、この時期は今際の際といっても過言ではありません。
光秀ほどの重臣の妻となれば、信長も粗略には扱わないでしょう。
信長公記には書かれていませんが、信長はかつて、秀吉の妻・ねねの愚痴を聞いて気遣ったということもあります。
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煕子は光秀があちこち士官先を変える中でも、夫を支え続けてきたいわゆる「糟糠の妻」です。
信長から見れば、彼女も間接的に織田家を支える人間の一人であり、加えて、光秀は煕子以外に側室を置かないほど、彼女を大切にしていました。
これらのことを総合的に考えると「妻なんぞ放っておいて仕事をしろ」と言うのは、光秀に反抗心を芽生えさせるだけで、信長にとって全くメリットがありません。
光秀にしかできない類の仕事や、どうしても急がなければならないことでもないのですから。
赤松や別所が挨拶にやってきた
閑話休題。
11月4日、信長は勢田を経由して陸路で上洛し、妙覚寺を宿所としました。
12日には赤松広秀・別所長治&別所重宗、浦上宗景&小次郎といった播磨・備前の大名たちが上洛し、信長に挨拶をしています。
広秀と長治は、前年にも同時に上洛して挨拶をしに来ていたため、気になる方は(126話)もご参照ください。
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というか赤松広秀については「天空の城」として知られる「竹田城」で最後の城主だったことの方が有名かもしれません。
広秀のことは知らなくても、竹田城のことはGoogleのテレビCMでもお馴染みでしょう。
別所重宗は長治の叔父で、後見役だった人物です。
浦上宗景は備前の戦国大名で、尼子氏や毛利氏などの大きな勢力と対立しながらも、軍事・外交を駆使して独立を保っていました。
彼に関する人物として、暗殺の名人として有名な宇喜多直家(五大老・宇喜多秀家の父)がいます。
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毛利家との対立が本格化すると、直家も『信長公記』に登場します。
宇喜多ファンの皆様は、しばしお待ちください。
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【参考】
国史大辞典
日本歴史地名大系
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon)
日本史史料研究会編『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon)
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon)
谷口克広『信長と消えた家臣たち』(→amazon)
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峰岸 純夫・片桐 昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon)










