弘治2年(1556年) ――。
斎藤道三、長良川にて討死。
明智一族は、道三を撃破した斎藤高政(斎藤義龍)に追い詰められてゆきます。
光安、城と命運をともにする
叔父である光安から家督を譲られ、新たなる明智家の当主となった光秀。
生き延びて、再び城を持つ身になって欲しいという叔父の願いを胸に、窮地におりました。
光秀は、叔父の忘形見となる明智左馬助とともに激戦の最中から抜け出し、尾張をめざそうとします。
ここで駒と菊丸が駆けつけて来て、尾張は無理だと告げます。
本作は【廟堂(為政者)】と【江湖(民衆)】の連携が見事なもの。駒が不要だのなんだの言われますが、彼女からの情報提供なしでは光秀は生き延びれなかった可能性は高い。
こういうことって実は大事。
「史実だけを追いかけろ!」
という姿勢ですと、民衆の提供する情報が抜け落ちてしまいます。
武将なり、為政者は、民草の動きを見て自らの行動を決める。かまどから立ち上る煙を確かめてこそよき為政者、お客様カードに目を通してこそよき店長です。
もちろんNHKだって「みなさまの声」を参考にしているわけです。そういう意味で、光秀はとてもセンスがある人物です。
光秀は、母の牧、煕子を導きつつ、逃げ延びようとします。煙で周囲がぼやけ、桔梗紋の旗印が燃え尽きてゆく。
左馬助は、父は城の最後を見届けるのだ、そなただけは逃げろと言ったと語るのでした。
牧は愕然とします。
「光安殿は……ああ……あの城に!」
大事な人の死に、慣れることはできない。嘆く母に「行きましょう」と言うしかない光秀。感極まった顔で、一礼するのです。
「エエヤアエエ! エエヤアエエ!」
そう声をあげる高政勢が迫る中、光秀たちは落ち延びてゆくのでした。
山中で出会ったのは伊呂波太夫
雷鳴の中、森を落ち延びる一行。少人数とはいえ、大変な状況になって来ました。
「捜せー!」
「はっ!」
落ち武者狩りが出ております。高政は本気で光秀たちを殺すつもりのようです。
そこまで怒ったわけですか。親友を殺すというのは苦しいでしょうが、そこまで高政は吹っ切ってしまいました。
そしてこの逃げる場面ですが、きっと最終回でもこの場面を思い出すのかもしれない。そんなところではあります。それが今年中か来年になるのかはわかりませんが、見られる時が来ると私は思います。ただの気休めでもなく、本気でそう思えるのです。
ここで、目の前に山伏のような連中が出て来ます。
伊呂波太夫です。
「明智十兵衛様……」
尾張の帰蝶様から、明智家の人を助けるよう命じられて来たと伊呂波太夫は言います。
「もはや逃げ道はひとつしかない……」
行き先は越前。抜け道があるそうです。山伏がそういうものを把握しているのでしょう。
太夫、あんた一体何者だよ!
そう何度も言いたくなる、まずは一回目。駒は太夫は親しいお方だと口添えをします。
「参りましょう」
光秀の性格としては、伊呂波太夫をホイホイと信じたかどうか、ちょっとわかりません。駒がいればこそ、この救出劇がスムーズになったわけです。
そして一行は、ボロ家にたどり着きます。
「明日は越前へ入ります。今夜はここで休みましょう」
伊呂波太夫は駒ちゃんはじめ皆を休ませ、食料調達に向かいます。左馬助を同行させるあたりが細かい。目立たないけれども、父に似た律儀な青年ですね。
美濃から越前へのルートは帰蝶が用意した
越前に入ったら朝倉様の元へ参ると言われて、光秀は伊呂波太夫が気になって来ます。
「駒殿……一度、道三様の大桑城ですれ違たことがある。どういう人か?」
そうそう、美濃から越前へのルートは、帰蝶が道三を逃すために確保させたものです。いきなりの思いつきではありません。
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駒は旅の一座の方で、姉のような方だと語ります。信頼できるとは思うけれども、やはり正体がわからないといえばそうです。
そしてもう一点、光秀は極めて真面目です。駒を軽んじず、あくまで丁寧に接しています。年下の女性で身分も低い相手でも尊敬する。そこが光秀の魅力ですし、長谷川博己さんの長所を出しているところだと思うのです。
横暴だったり、スカした役も悪くはありませんが、こういう端正な役を演じて、彼自身、生まれ故郷に戻ったような安堵感もあるんじゃないですかね。素顔の延長を見せられる照れ臭さと、安堵感と、喜びもあるんじゃないかなと。
ここで侍女の常が、煕子の腕の怪我を見つけて声をあげました。
「奥方様、そのお手をどうされました」
「お気になさりますな。藪を抜けた時、トゲに触ったのでしょう」
とはいえ、結構な大きな傷になっています。
駒は断りつつ、腕の治療を施す。血止めの膏薬を菊丸に取ってもらうのでした。そのうえで、駒は光秀に水を汲んでくるように頼むのです。
駒は役立つなぁ。やはりこういう時は医術を知る者が欲しい。
水を汲む光秀に菊丸はソッと近づいてきて言いました。
「越前はよい国と聞きますよ。海もあって山もあって」
そしてこう残念そうに続けます。
駿河の薬屋で仕事を見つけた。お駒さんに頼まれて、店に4~5日休むと言って来た。それがこう長くなるとは。駿河に戻ろうにも、お駒さんが心配だと言います。十兵衛様がいるから案ずることはないとはいえ、怖いもの知らずなことがあると不安そうです。
「あとでお伝えください。わしはどこまでもついて行きたかったと」
「どこまでもと、伝えればよいのだな」
「はい」
光秀に伝言を託し、菊丸はひとまず退場します。
美濃の恩人とは父の光綱だった!?
駒は煕子の手当を終えました。
明日様子を見ると告げると、煕子に何故私たちを助けてくれるのかと聞かれ、駒は答えます。
「以前、美濃で明智の方々にそれをよくしていただき。戦と聞いて何かできることはないかと」
それから、美濃の恩人の話をします。あるお方が命の恩人なのだと。
三つだった時、戦で焼けた家の中から助けてくれた方。立派な方。麒麟のことを話してくれた人のこと。
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ここまで聞いて、牧がハッとしています。
戦は終わる。麒麟を連れてくる人が、必ず現れる――。
「駒さん、その話! その話、そなた腕にその時の傷がありますか?」
牧が驚いて聞いて来ます。逃げる途中、火の粉が飛んできて腕についた。牧がそう聞いて来ます。
何故牧様がそれを? 駒が不思議がります。
亡き夫・光綱様が話してくれたこと。土岐様のお側について京に登る折、火事にあった。燃え盛る家の中にいた小さな女の子を助け出し、旅の一座に預けたのだと。
ずっと気にかけていて、京に行くたび探していた――その女の子が見つかったのです。
「光綱様が……亡くなられた光綱様が……ではもう、お会いしたかった。お会いしてお礼を言いたかったのに……大きな手の人にまたお会いできると思って、ずっと捜して来たのに……」
「駒さん! 私はうれしゅうございます。光綱様の言葉をそなたから聞けて。私も信じます。いつの日か、必ず戦は終わる。麒麟がくると……」
光秀は、そんなやりとりを聞いていました。そして外に出て、叔父・光安の言葉を胸に刀を振り始めます。
一旦城を離れて逃げよ!
逃げて、逃げて生き延び、明智家の主として、再び城を持つ身になってもらいたい!
明智一族の誇りを胸に抱き、思い出しつつ、刀を振る光秀。
武士の誇りを忘れぬ男――キャストビジュアルで光秀はそう語られています。先週、光秀は道三を「揺るぎなき誇り」があると言いました。
誇りとは何か?
そのことをこの作品は体現してゆくのでしょう。
そういうことを、ニュアンスを、考えつつ刀を振らねばならない。そんな光秀の思いが光ります。
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争いとは無縁の綺羅びやかな都市・一乗谷
光秀の一行は、北の越前へ。
朝倉義景が治めており、畿内の戦乱をよそに確かな繁栄を築く国と紹介されます。
市場には越前蟹、そしてきらびやかな扇が売られています。堺や尾張の熱田よりも、上品な印象がありますね。
そして伊呂波太夫とともに、一乗谷の朝倉館に光秀はやって来たのでした。
インテリアも上品ですし、庭もお綺麗で。やっぱり、セットからして気品があるんですよね。道三や信長よりもお上品に見える。
足音を響かせて、視聴者が大注目の朝倉義景が登場します。演ずるのはユースケ・サンタマリアさんです。
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出て来た瞬間から彼独特の気配が出ていて、もう卑怯だと言いたくなるくらいお見事です。
これは演じるユースケさんがすごいということは言うまでもないのですが、演出をきっちり切り替えている、そういう没入感もあってよいものです。誰かが伸び伸びといきいきと仕事をしているというのは、とてもよいことです。
「この朝倉家へよう参った。面をあげよ」
そう言いつつ、太夫に不満があると言います。
伊呂波太夫はサラリと、待ちぼうけて居眠りをしようかと思っていたと言うのでした。太夫は一体何者なのよ!
義景に藤孝から手紙が届いていた
「近衛の姫君は顔を出さなんだか」
義景がそう聞いてきます。
どうやら近衛稙家の娘、近衛前久(演:本郷奏多さん)の姉妹、義景の継室ですね。
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伊呂波太夫はふてぶてしい様子で、この芸人風情が近衛家の養女だったとなどゆめゆめ申すはずもないと言い切ります。その物言いもよう似ていると義景はうれしそうにしております。
そして伊呂波太夫はなかなかえげつないことを言う。
朝倉家に嫁いで数年、まだ子を為されぬ。義景様がいつ近衛家にお返しになるのかと、頭を悩ませているのではないかと聞いてくるのです。
義景は近衛家から探りを入れるよう言われて参ったかと、ちょっとおもしろそう。伊呂波太夫は家出娘に探らせるほど落ちぶれていないと言い切ります。だから太夫は一体何者なのよ!
本当に本作って【江湖】側の人物の使い方がうまい。
歴史に名を残さないからこそ、自由に動かせるし、正体が気になってしまう。菊丸の正体だって、さんざん引っ張ったわけです。駒を助けた大きな手の人だって、そうしてきたと。
こういうロングパスを投げることで、物語をおもしろくするのは歴史ものの定番技法だとは思うのです。
教科書や『信長の野望』攻略本に掲載されている人物以外は出すべきではない、そんなルールはそもそも存在しません。
伊呂波太夫や駒をいらないと言い切るというのは、どういう考えなのか。クソレビュアーとしましては、理解の及ばぬところでございます。むろん、どんな意見を持とうと、そこは自由ですが。
伊呂波太夫は、明智光秀を匿って欲しいという願いを告げます。
すると義景が、一通の書状を目の前に投げました。
差出人は細川藤孝――どうやら同じ文を大量にあちこちへ送っているそうです。明智というものが美濃より落ち延びることがあれば、よしなにとりはかられたい。
律儀で情熱的です。藤孝本人の明智への情熱は極めてよい方向に出ております。が、藤孝さんのご子息から光秀さんの娘さんに向かうものとなると、いろいろありますようで……。
藤孝さんの息子が見たいかーッ!
光秀さんの娘さんが見たいかーッ!
エイエイオウ!
やはり、本作は打ち切りなんてないと思わないといけませんな。そこまで見届けないと!
日々穏やかに過ごしたい
さて、そんな藤孝の訴えを知りつつ、義景は面倒臭そう。余計な争いに巻き込まれず、日々穏やかに過ごしたいってさ。
「あの藤孝さんがそこまで情熱を込めて守りたいなんて、きっとスゴい人なんだ!」という方向性に向かわないんですよ。
これは光秀と信長の初対面と比較してもおもしろいとは思います。
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義景は好奇心が旺盛でないと言いますか。自分の知っている範囲のことだけで満足できるタイプとみた。
「楽しければいいじゃない……」
万事、そういうタイプなのでしょう。
そういう性格の人物のことを、斬新だとみなす意見もある。いちいち意識の高いことを考えずに、楽しいからやりたいことをやるっていいじゃん♪ そういうノリ。
それ自体は別に斬新でもなく、今時のナウなヤングの感覚でもないと思うのですが。この義景、そこまでクールで斬新でカッコいいと思います? ユースケさんは名演技ですけど。
伊呂波太夫は、光秀が織田家の奥方・帰蝶様の縁者だと念押し。もしも美濃が越前を攻めたら、尾張が美濃を背後から刺すと説明します。
義景はここで聞いてきます。
「太夫が申したことはまことか? そちのために尾張は動くと思うか? 答えよ」
「私に尾張を動かすほど力はございません……」
光秀はそう答えるだけで精一杯です。
「ふむ。このまま美濃へ返すわけにもいくまい。しばらくおればいい、そなたは運がよいぞ、この一乗谷は安楽の地だ」
義景はわかりにくいというか、普通の人なのでしょう。どういう思考プロセスでそうなるのか、出てきた中でもよくわかりにくい人物だと、私には感じられます。はっきり言いますと、こういうタイプは苦手なんじゃ……。
バカ殿でも悪人でもないがストレスも溜まる
なんだろう? 本作の朝倉義景は空っぽの器のような人。
ユースケさんご本人もこう語っています。
そんなキャラクターですから、僕もどう演じようか、迷いながら演じたら監督から「良かったです!迷っている感じがすごく良かった!」と。芝居って、何が正解なのかわからないですね(笑)。
道三や信長のように、芯がシャキッと通っている感じがない。見ていて不穏な気持ちになるかも。安定感がないものが机の上にあると、なんだかストレスが溜まる。そういう何かがある。
バカ殿とも思わない。悪人でもない。ダメだとも言い切れない。
ただ、不安定だ。
伊呂波太夫が「古の都を見るようだ」というほどの立派な領地運営をしているわけだけれども、つかみかねるんだなぁ……。ユースケさんはそういう人物像をうまくつかんでいる(のか、つかんでいないからこそなのか)。ピンクでどこかファンシーな衣装も、ぴったりハマっております。
義景はこう言い出します。それに対して、光秀はこうだ。
「そなたは金がいるのであろう?」
「は?」
「さしあたって今日の米代にも困るのであろう?」
「それは……」
「くれてやろうぞ」
「……それは頂けませぬ」
「ん?」
「頂く理由がござりませぬ」
「そうか」
光秀が全然心を開かない。道三相手には「ケチ!」と罵りつつ、心を割って話していたのに、不器用だなぁ、光秀よ。
なんとなくゆるっともらうとか。くれるものなら病気以外全部もらうと言い切るとか。借りは返すと念押しするとか。何か技能を発揮するとか。
そういうこともできるだろうに、光秀はできないのです。
これも、このあと生きてくるんでしょうね。不器用ゆえに、信長を止める方法が【本能寺の変】しか思いつけない光秀って、圧倒的な悲しみがあると思う。そういうフックは出てきてますね。
自分が世話になれば帰蝶や藤孝の迷惑になる
義景は怒るわけでも、怪しむわけでもなく、太夫に酒でも汲もうと言い切るわけです。ゆるりとしていけと。
そんな義景ですが、伊呂波太夫相手の言動を見ていると、なかなかゲスな軽薄さもわかると言いますか。
自分の継室といろいろある太夫と、差し向かいで酒を飲むって、なかなかひどい話です。
伊呂波太夫は子ができないと嫌味を放っていたし、意地悪な物真似もするし、二人揃って近衛の姫君を小馬鹿にしている可能性は感じます。
義景、実はそこまで善人でもないな。
斎藤道三のようなどぎつさはない。
一見善良に思えるけれど、割とゲスい噂話で盛り上がってしまうタイプ。よくいるタイプといえばそうなんですよね。
だからこそ、この義景、面白い!
どの職場や学校にもいるタイプだと想像できちゃう。そういう人をこうもおもしろく描くところが、本作の素晴らしさですね。
このあと、義景との面会を終えた伊呂波太夫は、光秀に対してチクリと嫌味を言います。
霞を食うて生きていくつもりなのかと。くれるというなら貰うておけばいい。朝倉家は国持大名、世話をするくらいどうということはないと。
しかし光秀は真面目です。
私がいただけば、藤孝様や帰蝶様がいただくことと同じになる。心苦しい。それはお受けできませぬ。そう言い切るのです。
伊呂波太夫は「なるほど」と納得しつつ、近衛の姫君の顔を見てくると去るのでした。光秀はそんな伊呂波太夫に「かたじけのうございました」と言います。
「うむ……もっと抉るように拭こう。このまま、ここまでな」
義景は床を拭く部下にそう命じています。大名らしいといえばそうですし、職場で部下にこういう調子で花瓶を飾らせる上司を思い出されると言いますか。
義景は、愚かでも悪人でもないとは思う。太平の世であれば、いいひととして生きていけるのでしょうけれども。
そうはならないので……。
形見の数珠を質に出す
明智一族は、ほぼ廃屋のような家に落ち着きます。
戸をくぐった途端、咳き込み始めます。かまどからは蛇が出てくるし、掃除しようにもホウキすらない。薪だってない。何もないのです。
光秀よ、カッコつけないでお金をもらえばよかったのに……そう突っ込みたくはなりますね。
どうにも不器用なのでしょう。コミニケーションや親密度もあって、道三にはそういうことを頼めたものなのですが。
で、思い出していただきたいのですが。
身分の差はあると前置きしますけれども、今川義元から豪華な料理をいただいても、特に貸し借りでもないと平然としていた松平竹千代(のちの徳川家康)。
初対面の駒にグイグイ迫って、字の読み方を聞いてきた藤吉郎(のちの豊臣秀吉)。
「銭はあるか、銭は?」と光秀に聞いてきて、相手の答えを待たずに金を渡してくる織田信長。
ものの受け渡しをとっても、個性がきっちり出ています。
駒はここで質屋へ行くと言い切ります。
それには質草がいると駒が言うと、光秀はこう言います。
「駒殿、それは数珠ではいけませぬか? 古いものですが」
「それは父上の大切な!」
そうなのです。光秀は父の形見である数珠を出してきました。
「持って行ってくれ。どうかお願いいたします」
そう頭を下げる光秀。煕子はこう言います。
「駒さん、私も連れて行ってください。質屋がどういうところか、私も知っておきたいのです」
「じゃあいっしょに参りましょうか」
そう二人が意気投合すると、明智左馬助が二人を守ると同行するのでした。
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古典的な賢妻の気遣いがいい
この駒と煕子の組み合わせも、何気ないようで新機軸です。
手垢のついた盛り上げ方なら……
【正妻・煕子vs片思い・駒】
みたいな女の争いをやりかねないところです。そういうのはいらんから。
駒にせよ、本作の女性人物って、手垢のついたうっとうしい妄想まみれ造形でもないとは思えるのです。それなのに、そういう先入観から駒を小馬鹿にして受け狙いをするような投稿の流れがありますよね。
駒が邪魔。去年の落語パートみたい。ともかく駒をバカにしておけ。駒を笑い者にしろ。
これって、確たる理由は特にないように思える。駒を出せば笑っていい、そういういじめっ子心理めいたものすら感じるんですよね。
2017年大河を「おもんな城主」と書き込んでそれがおもしろくてたまらないと思い込んでいるような……冷笑をクールだと思っている、学校生活じみたノリを感じます。でも、そういう方の学生時代は、もうとっくに終わったんじゃないですかね。
「あの店主、相当ケチですよ。もう少し粘れば、あと20文取れたかもしれない」
駒がそう言いつつ戻ってくると、煕子はこう返します。
「もう十分。また世話になるかも」
なんでも質に入れたのは、煕子の帯だそうです。もう一本あると駒にいたずらっぽく語る煕子。帯の代わりはあっても、この数珠の代わりはないとも言います。
「この数珠は、十兵衛様が亡き父上から受け継いだ大切なものですから」
煕子のこの気遣いに、グッと来るものがある。
本作の人物像は古典的で、一周回って斬新ではあります。
こういう妻、まさしく賢妻の気遣いは、むしろ昭和前半の古典的時代劇にあったものではあると思えるのです。
そういう真面目な人物像を「おもしろくな〜い!」「ダサい」「説教臭い」とみなして、どこかの漫画で見たようなツンデレだの、ガサツさだのを取り入れることを、ナウなヤングの求める人物像であるかのように繰り返してきた部分があるとは思う。いつまでもスクールカーストの再生産みたいなことをするわけです。
そういうバブル期に大学生活を送った世代が好きそうな「楽しければいいじゃんね!」ノリが2020年代は古臭くて、生真面目さが受け入れられる時代の到来を感じます。
長谷川博己さんがそういう流れの総大将に選ばれたのも、さもありなん。生真面目で誠実なのです。彼がどういう人生を送ってきたか、わかるわけもありませんが演技から伝わってきます。
戦は勝っても負けても同じく悲惨
光秀は、母を前にして絞り出すようにこう言い出します。
「私は戦が好きではありませぬ。勝っても負けても、戦は戦でしかない……」
これまた古今東西の真理かもしれない。
夫(そ)れ兵は不祥(ふしょう)の器。これは老子。
「負け戦ほど痛ましいことはないが、勝ち戦もまた同じくに悲惨なのである」とは、イギリスの名将・初代ウェリントン公アーサー・ウェルズリーの言葉。
光秀は、そういう人物と同じ心根の持ち主なのでしょう。
本作の作り手だって、そこは意識していないとは思えない。本作は意識的に、日本の戦国時代だからということにこだわらず、人類普遍の心理と真理を追い求めている姿勢を感じるのです。
「戦に赴くことは、武士のさだめと思うてきた。田も起こせず、畑も耕さぬ、武士の生き方だと思うて……されど負けて全てを失うてみると、己の無力さだけが残るんです」
これまた、古今東西の真理をついてきましたね。
日本の武士階級は、東アジアでも特別でして。これがこの時代の明や朝鮮王朝ですと、科挙合格者が将として合戦の指揮を執ることもあるのです。
科挙って試験でしょ! 受験勉強をしてきた人が合戦で使えるの?
そうツッコミたくなりますが、これも文化と歴史の違いです。
兵法書をマスターしていればむしろできるでしょ。そういうことになります。世襲の戦争一族がいる日本の方が、科挙の国からすれば不思議なものにも思えると。
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そんな我が子に、母の牧は語りかけます。
「十兵衛。そなたの父上が、私に仰せになったことがあります。人には浮き沈みがある。武士には勝ち負けがある。沈んだ時にどう生きるか。負けた時にどう耐えるか。その時、その者の値打ちが決まると……」
そう言われ、光秀は父のことを思い出します。
馬は誇り高き生き物ぞ
名前と語られるだけだった光綱が、ここでやっと顔まで見えるようになってゆく。駒との思い出とつながったことで、まるで彼が再度蘇るような演出です。
「幼き頃、父上と馬を走らせたことがあります。その時父上はこう仰せられました」
十兵衛、馬は誇り高き生き物ぞ。勝っても負けても、己の力の限り走る。遠くへ。それが己の役目と知っているのじゃ。我らもそうありたい――。
誇り高く、誇り高く……そう光秀は、亡き父の言葉を思い出しています。そういう馬の駆け抜ける心と、自らを重ねることはあるものでして。
老驥伏櫪 老驥は櫪に伏すも
志有千里 志 千里にあり
烈士暮年 烈士暮年
壮心不已 壮心已まず
年老いた馬は馬小屋で寝ているばかりでも
千里を駆け抜ける意思がある
志あるものは年老いようが
元気な心が終わらないものだ
曹操『歩出夏門行』より
「誇り」こそ、光秀が重視するものです。道三には「揺るぎなき誇り」があった。義輝にも「将軍としての誇り」を訴えかけた。
それはそれでよいことのようで、不器用さにも繋がってはいる。
土岐頼芸の血統という「偽りの誇り」を押し出した高政を突っぱねる。「誇り」のせいで義景から金を受け取らない。
こうなってくると「誇り」ゆえの【本能寺の変】も見えてくるのです。
あの事件の動機推理は盛り上がるのでしょうが、本作はもう答えを出してはいるのでしょう。
「誇り」を守ること。これも古今東西普遍的なテーマではあります。
『三国志演義』では、劉備が諸葛亮に「三顧の礼」をしたからこそ、「水魚の交わり」が成立します。
「三回来いとか感じ悪いよね〜」と劉備が思ったら、話はそこで終わります。諸葛亮は誇りがあればこそ偉大だし、劉備はその誇りを理解すればこそ素晴らしいのです。
『三銃士』のダルタニアンは、己の誇りゆえに、アトス、ポルトス、アラミスといきなり決闘を約束してしまいます。
バカじゃないのか、お前は空気読めとはならない。いろいろあったとはいえ、そういう折れないプライドが快男児として愛されるわけでして。
とはいえ、霞を食うて生きるつもりかと突っ込んだ伊呂波太夫のようなことを考える人物もいる。
シェイクスピア『ヘンリー四世』に出てくる騎士フォルスタッフは言い切ります。
「誇りって何だよ? ただの言葉だよな。その誇りって言葉がなんだってんだ? その誇りってもんによ? ただの空気じゃねえの」
誇りでは結局、腹が膨れません。誇りある道三だって結局討死したわけです。
光秀はこれからどう誇りと向き合うのでしょう。
歴史ものですから、実際の出来事や年表と照らし合わせてよいものではあるのです。それだけでなく、光秀たちの心がどう史実と向き合うか、ここも重要ではないでしょうか。
道三の死が尾張に与えた影響とは
駒は伊呂波太夫とともに出立することになります。明智の皆さんはお礼を言います。
「世話になりました。なんとお礼を申し上げたらよいか」
「私はただ、何もできなくて。自分の命を救っていただいたのはどなたかと、いつかお会いできたら恩返ししなければと、そう思っていたのに、何もできず無念でなりません」
そんな駒に、牧はあの中で駒が来てくれたことがどれほど力強かったかと言います。
煕子も、一緒に質に行けて楽しかったと、次はもっと粘ってみると言います。駒と出会えたことに感謝しつつ、明智一族は朝倉家の領国に落ち着くのでした。
はい、今週のあたたかいパートはこれまで。
こんなご時世にマッチする、そんな力強い展開がよかったですね。いわばこれは乱世をうまく生きる、助け合いの見本です。
では、ここからは……。
斎藤道三の死は、尾張情勢にも大きな変化をもたらしておりました。信長に不満を抱くものどもが、動き始めたのです。
信長の前には柴田勝家(演:安藤政信さん)がおります。
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「久々の御目通り、恐悦至極に存じます」
そう丁寧に切り出す勝家は、斬新な像だと思えるのです。
スマートで所作が丁寧で、そつがないタイプ。この人がどうしてあの陽キャ秀吉に負けるのか、気になります。コミニケーション能力の差かな? 想像するだけで楽しくなってきます。
そのスマートな勝家は、織田の内部にある謀反の兆しを持ち込んできました。
信長は即座に弟・織田信勝だと察知します。
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そのうえで「権六……」と切り出します。
信勝の背後には高政や義元が
勝家は信勝の重臣。
ともなれば、この知らせがどうなるかわかっているのかと念押しします。
「そちは信勝の重臣であろう。己の言葉が主君を斬る刃となることを知らぬわけではあるまい。首を刎ねて然るべきことを申し上げておるのだぞ」
もうヤダ、この信長。謀反情報を喜ぶどころか「余計なこと言いやがってテメー」みたいなオラつきすら感じる。
勝家は「その覚悟で参りました!」と返します。
尾張の行末を案じ、やむにやまれずと言う。そのうえで、信勝の背後には美濃の斎藤高政がいると言う。高政は今川義元とも通じている。尾張が挟み撃ちになりかねない。信勝が我が主君であるがゆえに、見逃せないと訴えます。
はい、信長は何かスイッチが入りました。
大好きな義父を殺し、帰蝶との結婚で成立した盟約を破棄する。そんな高政を好きになれる理由があるわけもなく……。
「先にも信勝が背いた……母上が許せと仰せになり、わしは折れた。権六、わしは愚かじゃな」
信長が何かを滾らせてゆきます。
このあと、帰蝶の膝枕で信長がくつろいでいます。
「信勝様はよほど殿が目障りなのでしょうな。先の戦で兵を失うた」
「周りの者におだてられ、己を見失うておるのじゃ。哀れな男だ」
信長が呆れそう言う。
彼なりに弟のことはわかっている。中身のない器に、自分が何かを成し遂げることではなく、周囲の称賛を満たした。調子に乗っているだけで、自分の実力すら把握できなくなったしょうもない奴だと見抜いているのです。
「哀れならお許しになりませぬか。その哀れな男が起こす愚かな戦に付き合うつもりか。いくら兵を失うつもりか」
信長は帰蝶の頬に手を伸ばしていたし、微笑ましいようで、そうでもない。
だってここで信長が起き上がってこれですよ。
「どうしろというのだ!」
怖いぞ。これが帰蝶だからよいにせよ、そうでなければ神経ガリガリに削られることでしょう。
「お会いなされませ。なんとしてもお会いなされませ」
「会うてどうする?」
「お顔を見て、どうすればよいかお決めになればよろしいのです」
帰蝶はそう促す。
これも織田信光に彦五郎暗殺を促した回と比較すると面白いとは思うのです。
殺せとは言い切ってはいません。
相手の性格を把握したうえで、帰蝶は態度を変えてはいます。
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「わしはそなたに比べると醜い子であった……」
数日後――。
清須城に、末盛城から信勝が来ております。
なんでも信長が病で、国中から医師と祈祷師が集められているとか。左様な噂が漏れたら一大事、清須の者は何を考えておる。そうぶつくさ言っています。
ここで年長の侍女に促され、土田御前は別室に案内されてゆきます。
夫を失い、出家してはおらぬものの、服装も落ち着いてきました。帰蝶は廊下で金魚を見ています。
信長が一室で信勝を待ち構えています。脇息に寄りかかっているものの、当然ながら仮病に過ぎないのです。
兄に体調を尋ねる信勝は、美濃の白山に修験者にもらったという、万病を鎮める霊験あらたかな清き水を持ってきていました。
この水差しを見た時点で、信長の何かのスイッチが入ったようです。礼を言い、信勝は病のようで息災のようだと言います。
「病というのは偽りじゃ。そなたをおよびよせ、討ち果たすために偽りを申した。しかし、そなたの顔を見てその気は失せた。そなたを殺せば、母上がお嘆きになる。母上が悲しむ顔を見とうはないのじゃ。子どもの頃より、そなたはは上に可愛がられてきた……」
色白、素直、賢い。いつも手元に置かれる弟。それが口惜しかったと信長は語ります。
「わしはそなたに比べると醜い子であった……」
色が黒い。母上がお好きな和歌も詠めない。書の読まない。犬のように外を走り回り、汗臭い子じゃと母上から遠ざけられたのだと。
「あるときわしは、そのことに気づいた。そなたの美しさ、賢さに遠く及ばぬとわかった。妬んだ。殺してやろうと何度も思うた。わかるか?」
なかなかすごいところに突っ込んできました。
容姿の醜さに苦しめられる。嫉妬。母親への愛を求める心。この信長のあげたことって「男らしさ」とは真逆のものなのです。そこを、日本人が求めるヒーロー像である信長に言わせてしまった。
帰蝶vs駒だの、煕子vs駒だの、帰蝶vs土田御前だの、そういう女同士の争いを本作は描かない。
あいつの方が見た目がいい。きーっ、妬ましい! あの異性の愛を独占するのは私なんだから! なんなんだ、少女漫画家レディースコミックか。そうなりそうじゃないですか。そういう手癖の真逆を本作は突っ走ってゆきます。
それに、染谷将太さんのギラついた信長を見ていると、土田御前の気持ちもわかるというものです。
色黒とか。汗臭いとか。そういうことじゃない。おそろしいほどのギラついた何かが怖いのです。
土田御前は我が子を愛せぬ狭量な鬼母扱いをされてきました。けれども、本作の場合は信長側に好かれない理由があるときっちり描いてきて、染谷さんはそういう信長をズバリと演じています。
「飲め、飲め、飲め、お前が飲め!」
信勝は唾を飲み込みつつ、こう返します。
「私も兄上を妬ましく思うておられた。いつに兄上は、私より先を走っておられる。戦に勝ち、国を治め、私がせんと願うことを全て成し遂げてしまわれる。兄上が疎ましい。兄上さえいなければ……」
確かにこの信勝は哀れです。
弟は弟としての役目がある。そう割り切り、兄を支えることを目的としていればこうはなりません。
周囲が、彼だって戦に勝利して国を治められるはずだとささやいたからこそ、信勝という器に何かが流れ込みました。
「自我」を鍛え上げ、自分はあくまでサポート役だとわかっていれば、こうはならなかったでしょう。
「それゆえ高政と手を結んだか?」
信長が問いかけても、信勝は唾を飲み込むばかりです。
信長の目から涙がつっと一筋つたいます。これを撮影している側も、すごいものを見たと痛感したことでしょう。ほんとうに圧巻の演技です。
「我らは似たもの同士ということか」
信勝はまた唾を飲み込みます。
けれども、この兄弟の間には断絶がある。その象徴が、万病に効く水が入った青磁の水差しです。
「信勝。そなたはこれを飲め。白山より涌き出でたる清水であろう? ありがたき水であろう? どうした、飲んでみよ」
「申し訳ございませぬ。どうか、おゆるしくださいませ!」
信勝はここでやっと、そう絞り出します。
しかし信長は止まらない。
「そうか……飲め、飲むんじゃ。飲め、飲め、飲め、お前が飲め!」
ここで家臣たちが入り込んできて、戸を閉めます。
そのころ、土田御前は異変を察知したのか、顔を硬らせています。帰蝶は廊下で金魚を見ているばかりです。
そして閉じられた戸が開くと、信長が立っています。
「信勝、愚か者……」
足下には事切れた信勝の屍が転がっているのでした。
MVP:明智光綱
父上が光秀の生きる道、【誇り】の源泉としてクローズアップされる作りがお見事です。
美濃が終わり、越前に移るタイミングでこれが明かされたことがよい。引っ張り方が絶妙です。
朝倉義景も、織田信長も、そして光秀も、駒も素晴らしかったんですけどね。
総評前に問いかけ「水差しに毒は入っていた?」
今週の弟殺しは、斎藤高政のそれと対比になっているとは思えます。
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◆斎藤高政の「弟殺し」
・呼び出した時点で殺すかどうか決定済み
・自分は布団の中にいて、仮病を装っている
・殺す対象と対面で話していない
・殺害実行犯は家臣、殺害場面そのものは見ていない
◆織田信長の「弟殺し」
・呼び出した時点で殺すかどうか、保留している
・自分は布団の中にもおらず、病は嘘だと言い切る
・殺す対象と対面で話す
・殺害実行犯は不明、殺害場面は見ている
後者は不可解なところがある。
「水差しの中身が原因のように思えるのだが……」
信長が殺すと決めた原因は水差しの中身です。
ただの水なのか? それとも毒入りだからこそ飲めなかったのか?
水のような無色透明のものに毒を入れるのは、かなり難しい話ではあります。液体で毒殺するのであれば、茶や薬酒あたりが無難だとは思いますが、状況的に毒をそうやすやすと飲むかも疑問です。もちろん、仮病と知らないからこそ飲ませるのが難しいとはなるのですが。
「毒入りでないと仮定すれば、何が悪かったのか?」
美濃の白山のものであるということは、信長が嫌っている高政の影がちらつくことは確か。これで信長の地雷を踏んづけた可能性は考えられます。
もう一点、性格の断絶です。
「似た者同士」と言った後で信長は飲めと迫り出します。信長は迷信が大嫌いであると、史実のみならず本作でも描かれています。
そういう自分にこんな霊験あらたかな水を見舞いに持ってくる? バカじゃないのか? ふざけてんのか、なめてんのか?
そういう愚かな弟ばかりを愛する母にすら呆れ果てるし、もう世界の全てが大嫌いだからぶっ壊すというあたりまで、この信長なら吹っ飛んで行きかねないとは思います。
本当によくもこういうことをするもんだと思います。
素直に毒入りだとわからせればいいでしょうに。それこそ土岐頼純のように、口から真っ赤な血を流して死んでいれば、納得できるわけです。
それが死んだことはわかるけれども、死因までは明確ではない。
信長が無茶苦茶怒っていることはわかるけれども、何が地雷を踏んだのかわからない。
信長のこうした積み重ねのひとつひとつが、禍々しいものとして浮き彫りにされてきてはいます。
何が原因でいつ怒るかわからない。怒れば自らの手を汚そうが、相手を殺す。殺した上で愚か者と言い切る。
水差しの中身に毒が入っているのかどうか?
そこはわかりません。ただ、信長という器には毒が入っています。才能とともに、人を殺す毒が入っている。だからこそ、信勝や土田御前は恐ろしかったのです。
こんな信長と敵対する相手が気の毒。それこそ穏やかに行きたい朝倉義景は、不幸の極み。
NHK内部には、才能が周囲をどれだけ傷つけ、不幸にするのか描きたい誰かがいるようです。
染谷将太さんが2019年上半期朝ドラ『なつぞら』で演じた神地は昭和のアニメーターです。
そんな設定ながら、不穏な戦国武将じみたことをやたらと言う変な奴でした。アニメーターとして圧倒的な才能があるのですが、その才能を披露するだけで周囲は傷ついてしまうのです。
彼の作品と比べて自分はなんて平凡なんだと、隣にいるだけで落ち込んでしまうのでした。
2019年下半期朝ドラ『スカーレット』のヒロインは、炎に惹かれる女性陶芸家でした。その才能ゆえに夫は傷つき疲れ果て、才能がある人が隣にいるつらさをしみじみと語り出します。そして夫婦は壊れてしまうのです。
「天才! すごぉい! そんなダーリンの横にいる私すごぉい!」
そういう世界観をまだ振り回しているNHK看板ドラマもあります。放映中の今期朝ドラとか。けれども薄っぺらい才能の描き方だと古くてもうダメだと悟ったことを本作から感じます。
総評
まずは放送休止につきまして。
6月7日(日)でいったん休止だそうです。
この報を受けて、悲劇の大河だのなんだの、そういうニュースもありますけど。
悲劇というのは壮心を失った状態です。やる気、挑戦する気を失った状況です。
本作はそこから遠い、千里を駆け抜ける馬のような気持ちがあるから、悲劇からほど遠いことはわかります。
今日、信長と信勝が目に涙を溜めて見つめ合っていた。光秀が叔父の言葉を思い出しつつ、刀をふるっていた。
ああいう場面は、よいものを作るという壮心がないとできないものだと思えるのです。
なので……本作に悲劇という言葉は似つかわしくありません。
「水差しの中身」を飲まないライフハック
ここで終わりでもよいのですが、「悲劇だの本作は終わります♪」だの、ネタとしても言うからには覚悟をしているのかどうか、ちょっと問いかけたいとは思います。
ネットニュース等では悲劇だのなんだの簡単に言いますが、その言動には責任がありましょう。
【アビリーンのパラドックス】という名前の現象がある。
「みんなアビリーン(地名)に行きたいよね!」と、集団でわやわや盛り上がって実際に行ってみると、そこまで楽しくもない。実は誰もアビリーンに行きたいわけでもなかった……場の空気に流されたよ。そういう現象です。
ドラマのレビューをしてきて感じておりました。ドラマの評価にせよ感想にせよ、誘導は割合楽な話なんだと。
実際に視聴者がそう思っているのか、楽しんでいるのか?
冷静に考えたら「もっといいドラマあったよね」「別のことをしていてもよかった」と思えるのだけれども、見ながらハッシュタグ投稿でもしていると、なんだか楽しんだように誤認してしまう。
SNSの発展により、そういうテクニックは使いやすくなったわけです。
親切なことに、主題歌でそういう現象を宣言したドラマもある。
2018年下半期朝ドラ。主題歌で、主人公が「ダーリンから感情をもらっている」と歌い上げられておりました。私には洗脳としか思えず、恐怖すら感じた。しかし「私は感情をもらうあのヒロインにそっくりです!」という投稿を見かけて、人間の意識が操られる様を目撃しちまった――そんな不気味さを感じました。
まあ、仕組みさえわかればなんてこと無いんですが。
今日の信長も確かに怖いですが、気持ちはわかります。信勝は中身がないのに、コミュ力だけで調子こいてる。そういう奴は痛い目にあってしまえ……そんな気持ちはわかる。わかりみしかない。
いや、そうでなくて。あの場で死なないテクニックもあると思いますし、光秀なら割とすんなりそうできたと思うところではあるのです。現時点では、ですけれども。
「飲みませんッ、飲んでたまるか! 飲む理由もない、帰ります!」
道三相手にだって怒り出す。義景の金銭援助も断る。そういう光秀ですよね。
義景の金のことだって、
「こんなに偉い人に断ったらまずいし……」
と普通はなりそうだけど、光秀は断っちゃう。自分の「誇り」を優先できます。
今週確信できました。このレビューで使っている「自我」を本作では「誇り」と呼んでいるのだと。
「共感」という言葉では出てこないけれども、対立概念としてもこれはある。
高政にせよ、信勝にせよ。「誇り=自我」ではなく、周りの称賛や「この人はわかる!」という「共感」を己の器に注いでしまったとわかります。
そういうことをすると、流されやすいし、とっさにきっぱり断るようなことができなくなってしまう……。
もう少し考えてみたい。
人間とは道徳心や人生経験、知識によって物事を決めると思いたいものです。
しかし、それはどうでしょう。
世の中には意地悪な実験をする人がいます。
「人を動かすにはどうするか?」
導き出された結論は、道義心でも、金銭的な利益でも、社会全体の利益でも、未来への好影響アピールでもなく、こんなアピールが最も効果的だったとありました。
「あなたの隣の人もそうしていますよ」
このご時世です。
想像してみてもください。
一年前でも、半年前でも、
「実際に対面で作業するよりも、アプリを使い、ネットを通して交流した方が、うまくいくと思うんですよね」
なんてことを言う友人知人が周囲にいたら、どう感じたでしょう。
何甘ったれてんだ。空気読め、バカなの?
そんな風に思ってしまいそうなところではありませんか。
しかし現在は、むしろこうしたリモートワークが奨励されるようになった。みんながすることならば、それが正しいということになる。
戦国時代ならば、さしずめ鉄砲の導入がリモートワークなのでしょう。
時代と共に常識は変わるのです。
昨年、あのドラマの感想でこういう趣旨のことを書いて、えらい不評をかいました。
この作品を最高だと絶賛している層だって、ハッシュタグや周囲の評価、スタッフや出演者がかぶる別作品と「共感」しているだけではないか?
だから、その「共感」をマイナスにいじれば、どれだけ最高と言い続ける人数がいるか疑問だと。
「共感」なりハッシュタグでつながることって、敵からすればある意味ラクではあるのです。
つながっているということは、延焼する。そこに火を放てば一気にまとめて燃える。
『三国志演義』の「赤壁の戦い」では「連環の計」が出てきますね。船をつなげることです。
なんで繋ぐかって? 火を放ったとき、より燃えるから。
つながることはとても気持ちがいいけれども、繋がることによるリスクもあるのです。
極めて意地の悪い話ではあるのですが、別にクソレビュアーの妄想でもなんでもなくて、一応理論ありきの邪悪さだったんです。
「共感」に頼って生きるのは、悪いことじゃありません。
風向きを読んでこそ、人間は生きてゆける。自分の頭で考え続けると疲れるから、エネルギー消費を抑えるためにもよいことです。
ただ、「自我」をぶん回して「共感」に頼らず、考えて物言う人のことを否定するのはおかしい。人それぞれ考え方、アプローチがあります。
正直、こんな小難しいことを大河ドラマのレビューに記述するのはアホかと思います。
しかし、たかがドラマレビューでも「自我」が必要かもしれない……というのも、あるレビュアー氏が、あまり気乗りしない様子でしている連載に、ファンがコメントを連日つけていて、驚いてしまいました。
「恨みでもあるのか? ちゃんとドラマ見ているのか?」
(ちゃんと見た上でつまらない人間は想定外?)
「私はこう思うのに、どうしてわからないの?」
(わからんものはわからん!)
「私は不愉快です」
(じゃあ読まなければよいのでは?)
そのレビュアー氏は、私よりはるかに穏当で履歴もしっかりしていて、人間的に真っ当な方。にも関わらず批判を浴びせられる。
まぁ、説明はつきますよね。
レビュアーに求められるのって「共感」なんですね。読者の感情をやさしく慰撫しろってことです。
でも……敢えて言いますが、そういう誰かから感情をもらうことばかりしていると、危険ではないでしょうか。
流されてしまう危険性ですね。
例えば肩書きが立派な人を信じたくなり、大切な中身は置いてきぼりになるかもしれない。何かを考えるとき「自我」なくしてはどうにもならない。
己の芯に「自我」があれば危険はある程度防げる。
たかがドラマでも、自分がどう思うかが一番大事ではないでしょうか。
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【参考】
麒麟がくる/公式サイト

























