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【麒麟がくる第18回】
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古典的な賢妻の気遣いがいい
この駒と煕子の組み合わせも、何気ないようで新機軸です。
手垢のついた盛り上げ方なら……
【正妻・煕子vs片思い・駒】
みたいな女の争いをやりかねないところです。そういうのはいらんから。
駒にせよ、本作の女性人物って、手垢のついたうっとうしい妄想まみれ造形でもないとは思えるのです。それなのに、そういう先入観から駒を小馬鹿にして受け狙いをするような投稿の流れがありますよね。
駒が邪魔。去年の落語パートみたい。ともかく駒をバカにしておけ。駒を笑い者にしろ。
これって、確たる理由は特にないように思える。駒を出せば笑っていい、そういういじめっ子心理めいたものすら感じるんですよね。
2017年大河を「おもんな城主」と書き込んでそれがおもしろくてたまらないと思い込んでいるような……冷笑をクールだと思っている、学校生活じみたノリを感じます。でも、そういう方の学生時代は、もうとっくに終わったんじゃないですかね。
「あの店主、相当ケチですよ。もう少し粘れば、あと20文取れたかもしれない」
駒がそう言いつつ戻ってくると、煕子はこう返します。
「もう十分。また世話になるかも」
なんでも質に入れたのは、煕子の帯だそうです。もう一本あると駒にいたずらっぽく語る煕子。帯の代わりはあっても、この数珠の代わりはないとも言います。
「この数珠は、十兵衛様が亡き父上から受け継いだ大切なものですから」
煕子のこの気遣いに、グッと来るものがある。
本作の人物像は古典的で、一周回って斬新ではあります。
こういう妻、まさしく賢妻の気遣いは、むしろ昭和前半の古典的時代劇にあったものではあると思えるのです。
そういう真面目な人物像を「おもしろくな〜い!」「ダサい」「説教臭い」とみなして、どこかの漫画で見たようなツンデレだの、ガサツさだのを取り入れることを、ナウなヤングの求める人物像であるかのように繰り返してきた部分があるとは思う。いつまでもスクールカーストの再生産みたいなことをするわけです。
そういうバブル期に大学生活を送った世代が好きそうな「楽しければいいじゃんね!」ノリが2020年代は古臭くて、生真面目さが受け入れられる時代の到来を感じます。
長谷川博己さんがそういう流れの総大将に選ばれたのも、さもありなん。生真面目で誠実なのです。彼がどういう人生を送ってきたか、わかるわけもありませんが演技から伝わってきます。
戦は勝っても負けても同じく悲惨
光秀は、母を前にして絞り出すようにこう言い出します。
「私は戦が好きではありませぬ。勝っても負けても、戦は戦でしかない……」
これまた古今東西の真理かもしれない。
夫(そ)れ兵は不祥(ふしょう)の器。これは老子。
「負け戦ほど痛ましいことはないが、勝ち戦もまた同じくに悲惨なのである」とは、イギリスの名将・初代ウェリントン公アーサー・ウェルズリーの言葉。
光秀は、そういう人物と同じ心根の持ち主なのでしょう。
本作の作り手だって、そこは意識していないとは思えない。本作は意識的に、日本の戦国時代だからということにこだわらず、人類普遍の心理と真理を追い求めている姿勢を感じるのです。
「戦に赴くことは、武士のさだめと思うてきた。田も起こせず、畑も耕さぬ、武士の生き方だと思うて……されど負けて全てを失うてみると、己の無力さだけが残るんです」
これまた、古今東西の真理をついてきましたね。
日本の武士階級は、東アジアでも特別でして。これがこの時代の明や朝鮮王朝ですと、科挙合格者が将として合戦の指揮を執ることもあるのです。
科挙って試験でしょ! 受験勉強をしてきた人が合戦で使えるの?
そうツッコミたくなりますが、これも文化と歴史の違いです。
兵法書をマスターしていればむしろできるでしょ。そういうことになります。世襲の戦争一族がいる日本の方が、科挙の国からすれば不思議なものにも思えると。
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そんな我が子に、母の牧は語りかけます。
「十兵衛。そなたの父上が、私に仰せになったことがあります。人には浮き沈みがある。武士には勝ち負けがある。沈んだ時にどう生きるか。負けた時にどう耐えるか。その時、その者の値打ちが決まると……」
そう言われ、光秀は父のことを思い出します。
馬は誇り高き生き物ぞ
名前と語られるだけだった光綱が、ここでやっと顔まで見えるようになってゆく。駒との思い出とつながったことで、まるで彼が再度蘇るような演出です。
「幼き頃、父上と馬を走らせたことがあります。その時父上はこう仰せられました」
十兵衛、馬は誇り高き生き物ぞ。勝っても負けても、己の力の限り走る。遠くへ。それが己の役目と知っているのじゃ。我らもそうありたい――。
誇り高く、誇り高く……そう光秀は、亡き父の言葉を思い出しています。そういう馬の駆け抜ける心と、自らを重ねることはあるものでして。
老驥伏櫪 老驥は櫪に伏すも
志有千里 志 千里にあり
烈士暮年 烈士暮年
壮心不已 壮心已まず
年老いた馬は馬小屋で寝ているばかりでも
千里を駆け抜ける意思がある
志あるものは年老いようが
元気な心が終わらないものだ
曹操『歩出夏門行』より
「誇り」こそ、光秀が重視するものです。道三には「揺るぎなき誇り」があった。義輝にも「将軍としての誇り」を訴えかけた。
それはそれでよいことのようで、不器用さにも繋がってはいる。
土岐頼芸の血統という「偽りの誇り」を押し出した高政を突っぱねる。「誇り」のせいで義景から金を受け取らない。
こうなってくると「誇り」ゆえの【本能寺の変】も見えてくるのです。
あの事件の動機推理は盛り上がるのでしょうが、本作はもう答えを出してはいるのでしょう。
「誇り」を守ること。これも古今東西普遍的なテーマではあります。
『三国志演義』では、劉備が諸葛亮に「三顧の礼」をしたからこそ、「水魚の交わり」が成立します。
「三回来いとか感じ悪いよね〜」と劉備が思ったら、話はそこで終わります。諸葛亮は誇りがあればこそ偉大だし、劉備はその誇りを理解すればこそ素晴らしいのです。
『三銃士』のダルタニアンは、己の誇りゆえに、アトス、ポルトス、アラミスといきなり決闘を約束してしまいます。
バカじゃないのか、お前は空気読めとはならない。いろいろあったとはいえ、そういう折れないプライドが快男児として愛されるわけでして。
とはいえ、霞を食うて生きるつもりかと突っ込んだ伊呂波太夫のようなことを考える人物もいる。
シェイクスピア『ヘンリー四世』に出てくる騎士フォルスタッフは言い切ります。
「誇りって何だよ? ただの言葉だよな。その誇りって言葉がなんだってんだ? その誇りってもんによ? ただの空気じゃねえの」
誇りでは結局、腹が膨れません。誇りある道三だって結局討死したわけです。
光秀はこれからどう誇りと向き合うのでしょう。
歴史ものですから、実際の出来事や年表と照らし合わせてよいものではあるのです。それだけでなく、光秀たちの心がどう史実と向き合うか、ここも重要ではないでしょうか。
道三の死が尾張に与えた影響とは
駒は伊呂波太夫とともに出立することになります。明智の皆さんはお礼を言います。
「世話になりました。なんとお礼を申し上げたらよいか」
「私はただ、何もできなくて。自分の命を救っていただいたのはどなたかと、いつかお会いできたら恩返ししなければと、そう思っていたのに、何もできず無念でなりません」
そんな駒に、牧はあの中で駒が来てくれたことがどれほど力強かったかと言います。
煕子も、一緒に質に行けて楽しかったと、次はもっと粘ってみると言います。駒と出会えたことに感謝しつつ、明智一族は朝倉家の領国に落ち着くのでした。
はい、今週のあたたかいパートはこれまで。
こんなご時世にマッチする、そんな力強い展開がよかったですね。いわばこれは乱世をうまく生きる、助け合いの見本です。
では、ここからは……。
斎藤道三の死は、尾張情勢にも大きな変化をもたらしておりました。信長に不満を抱くものどもが、動き始めたのです。
信長の前には柴田勝家(演:安藤政信さん)がおります。
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「久々の御目通り、恐悦至極に存じます」
そう丁寧に切り出す勝家は、斬新な像だと思えるのです。
スマートで所作が丁寧で、そつがないタイプ。この人がどうしてあの陽キャ秀吉に負けるのか、気になります。コミニケーション能力の差かな? 想像するだけで楽しくなってきます。
そのスマートな勝家は、織田の内部にある謀反の兆しを持ち込んできました。
信長は即座に弟・織田信勝だと察知します。
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そのうえで「権六……」と切り出します。
信勝の背後には高政や義元が
勝家は信勝の重臣。
ともなれば、この知らせがどうなるかわかっているのかと念押しします。
「そちは信勝の重臣であろう。己の言葉が主君を斬る刃となることを知らぬわけではあるまい。首を刎ねて然るべきことを申し上げておるのだぞ」
もうヤダ、この信長。謀反情報を喜ぶどころか「余計なこと言いやがってテメー」みたいなオラつきすら感じる。
勝家は「その覚悟で参りました!」と返します。
尾張の行末を案じ、やむにやまれずと言う。そのうえで、信勝の背後には美濃の斎藤高政がいると言う。高政は今川義元とも通じている。尾張が挟み撃ちになりかねない。信勝が我が主君であるがゆえに、見逃せないと訴えます。
はい、信長は何かスイッチが入りました。
大好きな義父を殺し、帰蝶との結婚で成立した盟約を破棄する。そんな高政を好きになれる理由があるわけもなく……。
「先にも信勝が背いた……母上が許せと仰せになり、わしは折れた。権六、わしは愚かじゃな」
信長が何かを滾らせてゆきます。
このあと、帰蝶の膝枕で信長がくつろいでいます。
「信勝様はよほど殿が目障りなのでしょうな。先の戦で兵を失うた」
「周りの者におだてられ、己を見失うておるのじゃ。哀れな男だ」
信長が呆れそう言う。
彼なりに弟のことはわかっている。中身のない器に、自分が何かを成し遂げることではなく、周囲の称賛を満たした。調子に乗っているだけで、自分の実力すら把握できなくなったしょうもない奴だと見抜いているのです。
「哀れならお許しになりませぬか。その哀れな男が起こす愚かな戦に付き合うつもりか。いくら兵を失うつもりか」
信長は帰蝶の頬に手を伸ばしていたし、微笑ましいようで、そうでもない。
だってここで信長が起き上がってこれですよ。
「どうしろというのだ!」
怖いぞ。これが帰蝶だからよいにせよ、そうでなければ神経ガリガリに削られることでしょう。
「お会いなされませ。なんとしてもお会いなされませ」
「会うてどうする?」
「お顔を見て、どうすればよいかお決めになればよろしいのです」
帰蝶はそう促す。
これも織田信光に彦五郎暗殺を促した回と比較すると面白いとは思うのです。
殺せとは言い切ってはいません。
相手の性格を把握したうえで、帰蝶は態度を変えてはいます。
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