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堀秀政は信長に寵愛され秀吉に信頼された「名人久太郎」38年間の武将人生

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秀吉に合流 秀満を自害させる

家康の接待を無事終えた秀政は、豊臣秀吉の援軍のため中国へ向かいました。

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しかし、備中高松城(現・岡山県西部)を囲む秀吉の陣につくと、そのタイミングで【本能寺の変】が起きるのです。

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信長自害の知らせを聞いた秀政は、中国大返し中の秀吉に参加。

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さらに、光秀の親族・明智左馬助明智秀満)を坂本城に追い込んで、自害させました。

この功績もあってか、清州会議の後は三法師(後の織田秀信)の代官・守役となります。

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秀吉からの信頼も絶大で、血縁者以外で初めて「羽柴」姓を名乗る許可をもらったといわれているほどです。

その後も柴田勝家(北ノ庄城攻め)や家康(小牧・長久手の戦い)に参加し、秀吉が関白になってからは正式な官位ももらい、ますます忙しくなっていきました。

秀政が留守の間は父や弟が城を預かっていたとか。

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九州征伐でも先鋒を務め、当然のように小田原征伐にも参加したのですが……その陣中で、突如病気になって亡くなったといわれています。

こんなにデキる人の最期としてはあっけなさすぎるというか、「???」が飛び交いますよね。

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バリバリ働いていた屈強の武将がなぜか突然死

堀家では「(秀政から見て)親の秀重は長命だったのに、息子の秀治も孫の忠俊も若くして亡くなっている」という摩訶不思議な状態になっています。

戦国時代後半~江戸時代初期という時代背景を考えても、ちょっと不自然すぎやしませんかね……。

秀政みたいに信長時代からバリバリ働いてた人が、戦場でいきなりパタッと死んでしまうものでしょうか。感染症であれば、もっと病死者が多くなって記録も残るでしょうし。

「北条から刺客を送られた」とか「何者かに毒を盛られた」というほうが、よほど自然な気がします。

もしくは、秀吉政権の中核になることを危惧した誰かが……というのもありそうですね。

この頃には秀吉の弟・豊臣秀長(大和大納言)は病がちになっていますし、秀吉にはまだ鶴松が生まれたばかりで、他に子供はいませんでした。

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秀次は小田原征伐の副将を務めていたものの、他に政治も軍事も担えるような人がいるかというと、少々人材不足な面は否めません。

秀吉の子飼いたちはまだ30歳前後で、経験や外部からの信頼という点でやや懸念が残ります。

他の大名家からすれば、秀政さえ……と見ることもできたでしょう。

 

堀家の子孫たちは生き残った

よく知られているように、この後の秀吉は鶴松を失い、豊臣秀次は最悪の結果に――。

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その後、豊臣秀頼が生まれたものの、信頼できる後見役が前田利家一人になってしまい、その利家すら秀吉の死からさほど時を置かずして亡くなっているわけですから、もし秀政が他の大名に(ピー)されたのだとしたら、そうさせた人物は驚くべき慧眼の持ち主ですね。

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こう書くと一人しか当てはまらない気がします。

その名とは、い、い、いえ、いえや……ゲフンゴホン。

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まぁ、邪推ですね。
後世から見ているからこそそう思うだけで、実際は運命の悪戯なのかもしれません。

一つ気になるとすれば、彼の肖像画でしょうか。

戦国武将の肖像画は、後年になって描かれた想像図であることも珍しくありませんが、秀政の場合「自画像である」とされる絵が残っています。

それだけでもかなり珍しいものですが、この絵がなんというか……享年38とは思えない、剃髪した老人のような姿なのです。

自画像とされる堀秀政/wikipediaより引用

もちろん、秀政がいわゆる「画伯」だったからとも考えられますが。

うーん。

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長月 七紀・記

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【参考】
国史大辞典
歴史群像編集部 (編集)『戦国時代人物事典(学習研究社)』(→amazon
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon
峰岸 純夫・片桐 昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon
堀秀政/wikipedia

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