絵・小久ヒロ

織田家

堀秀政は信長に寵愛され秀吉に信頼された「名人久太郎」38年間の武将人生

こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
堀秀政
をクリックお願いします。

 

秀吉に合流 秀満を自害させる

家康の接待を無事終えた秀政は、豊臣秀吉の援軍のため中国へ向かいました。

豊臣秀吉
豊臣秀吉 数々の伝説はドコまで本当か? 62年の生涯まとめ【年表付き】

続きを見る

しかし、備中高松城(現・岡山県西部)を囲む秀吉の陣につくと、そのタイミングで【本能寺の変】が起きるのです。

本能寺の変
なぜ本能寺の変で光秀は信長を裏切ったか?諸説検証で浮かぶ有力説はコレ!

続きを見る

信長自害の知らせを聞いた秀政は、中国大返し中の秀吉に参加。

山崎の戦いでは高山右近らとともに先陣を務めています。

中国大返しは可能か!? 秀吉&官兵衛による10日間230kmの強行軍を考察!

続きを見る

山崎の戦い
山崎の戦い(明智軍vs羽柴軍)で秀吉が勝てた理由!敗者の光秀は何処へ?

続きを見る

さらに、光秀の親族・明智左馬助明智秀満)を坂本城に追い込んで、自害させました。

この功績もあってか、清州会議の後は三法師(後の織田秀信)の代官・守役となります。

明智左馬助(明智秀満)
明智左馬助(明智秀満)史実ではどんな人物だった? 謎多き光秀の側近

続きを見る

織田秀信
三法師こと織田秀信は信長の孫! 運命の「清須会議」後はどう生きた?

続きを見る

秀吉からの信頼も絶大で、血縁者以外で初めて「羽柴」姓を名乗る許可をもらったといわれているほどです。

その後も柴田勝家(北ノ庄城攻め)や家康(小牧・長久手の戦い)に参加し、秀吉が関白になってからは正式な官位ももらい、ますます忙しくなっていきました。

秀政が留守の間は父や弟が城を預かっていたとか。

小牧・長久手の戦い(豊臣vs徳川の総力戦)複雑な戦況をスッキリ解説

続きを見る

九州征伐でも先鋒を務め、当然のように小田原征伐にも参加したのですが……その陣中で、突如病気になって亡くなったといわれています。

こんなにデキる人の最期としてはあっけなさすぎるというか、「???」が飛び交いますよね。

小田原征伐で秀吉相手に退かず! 北条家が強気でいた小田原城はどんだけ強い?

続きを見る

 

バリバリ働いていた屈強の武将がなぜか突然死

堀家では「(秀政から見て)親の秀重は長命だったのに、息子の秀治も孫の忠俊も若くして亡くなっている」という摩訶不思議な状態になっています。

戦国時代後半~江戸時代初期という時代背景を考えても、ちょっと不自然すぎやしませんかね……。

秀政みたいに信長時代からバリバリ働いてた人が、戦場でいきなりパタッと死んでしまうものでしょうか。感染症であれば、もっと病死者が多くなって記録も残るでしょうし。

「北条から刺客を送られた」とか「何者かに毒を盛られた」というほうが、よほど自然な気がします。

もしくは、秀吉政権の中核になることを危惧した誰かが……というのもありそうですね。

この頃には秀吉の弟・豊臣秀長(大和大納言)は病がちになっていますし、秀吉にはまだ鶴松が生まれたばかりで、他に子供はいませんでした。

豊臣秀長(羽柴秀長)
秀吉を支えた偉大過ぎるNO.2豊臣秀長(羽柴秀長)天下統一への功績

続きを見る

秀次は小田原征伐の副将を務めていたものの、他に政治も軍事も担えるような人がいるかというと、少々人材不足な面は否めません。

秀吉の子飼いたちはまだ30歳前後で、経験や外部からの信頼という点でやや懸念が残ります。

他の大名家からすれば、秀政さえ……と見ることもできたでしょう。

 

堀家の子孫たちは生き残った

よく知られているように、この後の秀吉は鶴松を失い、豊臣秀次は最悪の結果に――。

豊臣秀次(秀吉の甥)はなぜ自害へ追い込まれたのか? 28年の生涯まとめ

続きを見る

その後、豊臣秀頼が生まれたものの、信頼できる後見役が前田利家一人になってしまい、その利家すら秀吉の死からさほど時を置かずして亡くなっているわけですから、もし秀政が他の大名に(ピー)されたのだとしたら、そうさせた人物は驚くべき慧眼の持ち主ですね。

前田利家(織田家の重臣)血気盛んな槍の又左は加賀百万石をどう築いた?

続きを見る

こう書くと一人しか当てはまらない気がします。

その名とは、い、い、いえ、いえや……ゲフンゴホン。

まぁ、邪推ですね。
後世から見ているからこそそう思うだけで、実際は運命の悪戯なのかもしれません。

一つ気になるとすれば、彼の肖像画でしょうか。

戦国武将の肖像画は、後年になって描かれた想像図であることも珍しくありませんが、秀政の場合「自画像である」とされる絵が残っています。

それだけでもかなり珍しいものですが、この絵がなんというか……享年38とは思えない、剃髪した老人のような姿なのです。

自画像とされる堀秀政/wikipediaより引用

もちろん、秀政がいわゆる「画伯」だったからとも考えられますが。

うーん。

あわせて読みたい関連記事

丹羽長秀は信長に最も信頼された織田家重臣の一人~その生涯65年まとめ

続きを見る

織田信長
織田信長 史実の人物像に迫る!生誕から本能寺まで49年の生涯まとめ年表付

続きを見る

織田信忠(奇妙丸)信長の跡継ぎってどんな人? 最後は光秀に命を狙われ

続きを見る

斎藤道三(利政)マムシの生涯63年まとめ! 最期は息子に殺された

続きを見る

柴田勝家(織田家の重臣)当初は信長の敵だった鬼柴田62年の生涯まとめ!

続きを見る

足利義昭(覚慶)61年の生涯! 信長と共に上洛し京を追われてどうなった?

続きを見る

滝川一益こそ信長家臣で最強のオールラウンダー! 62年の波乱万丈な生涯

続きを見る

越前一向一揆は信長自ら鎮圧! キッカケは旧朝倉家の内紛 信長公記125話

続きを見る

紀州征伐と太田左近
紀州征伐で太田左近が信長と秀吉に徹底抗戦! 雑賀衆の矜持ここにあり!

続きを見る

斎藤龍興(道三の孫)が信長に敗北! 国を追われてネチネチ攻撃やり返す

続きを見る

豊臣秀吉
豊臣秀吉 数々の伝説はドコまで本当か? 62年の生涯まとめ【年表付き】

続きを見る

本能寺の変
なぜ本能寺の変で光秀は信長を裏切ったか?諸説検証で浮かぶ有力説はコレ!

続きを見る

中国大返しは可能か!? 秀吉&官兵衛による10日間230kmの強行軍を考察!

続きを見る

山崎の戦い
山崎の戦い(明智軍vs羽柴軍)で秀吉が勝てた理由!敗者の光秀は何処へ?

続きを見る

明智左馬助(明智秀満)
明智左馬助(明智秀満)史実ではどんな人物だった? 謎多き光秀の側近

続きを見る

織田秀信
三法師こと織田秀信は信長の孫! 運命の「清須会議」後はどう生きた?

続きを見る

小牧・長久手の戦い(豊臣vs徳川の総力戦)複雑な戦況をスッキリ解説

続きを見る

小田原征伐で秀吉相手に退かず! 北条家が強気でいた小田原城はどんだけ強い?

続きを見る

豊臣秀長(羽柴秀長)
秀吉を支えた偉大過ぎるNO.2豊臣秀長(羽柴秀長)天下統一への功績

続きを見る

豊臣秀次(秀吉の甥)はなぜ自害へ追い込まれたのか? 28年の生涯まとめ

続きを見る

前田利家(織田家の重臣)血気盛んな槍の又左は加賀百万石をどう築いた?

続きを見る

高山右近
戦国キリシタン武将・高山右近はなぜマニラに没したか? 63年の生涯まとめ

続きを見る

信長→秀吉→家康のリレーで復興と伝統が繋げられた式年遷宮

続きを見る

長月 七紀・記

【関連記事】

【参考】
国史大辞典
歴史群像編集部 (編集)『戦国時代人物事典(学習研究社)』(→amazon
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon
峰岸 純夫・片桐 昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon
堀秀政/wikipedia

TOPページへ

 



-織田家
-,

© 2021 BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)