織田信勝(織田信行)

織田家

兄・信長に誅殺された織田信勝(織田信行)そもそも当主の器だった?

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男色にうつつを抜かして勝家に呆れられて

この敗北により、しばらく鳴りを潜めた織田信勝。

それは軍事行動をしていなかっただけの話でした。

独自の判物発給や、斎藤義龍との連絡など、不穏な動きが続きます。

これでは「詫びを入れたのは口先だけ」と思われても仕方がありません。

さらに、永禄元年(1558年)3月、織田信勝は竜泉寺城の築城をスタート。

こんな態度を取り続けた上に、軍事拠点を作ろうとしたのでは、信長に再度ケンカを売るも同然です。

早速ぶっ潰す!

とはならず、信長公記では同じ頃、信勝が男色相手を寵愛し、他の家臣たちを軽んじ始めたため柴田勝家が虚しい気持ちを抱くようになり、信長に鞍替えしたとされています。

柴田勝家
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そこで信長が一計を案じたのです。

仮病で織田信勝をおびき寄せ、謀殺しました。

真面目に仕えてきて、実績も上げていた勝家をないがしろにした時点で、勝負は決まっていたのでしょう。

どうも信勝は「信長さえ戦で倒せばいい」というところまでしか見えていなかったように感じられます。

これでは仮に織田家を継いでも滅びたに違いありません。

信勝の人となりを伝える史料は少ないため、彼の価値観等については、信長公記その他のわずかな記述から推し量るしかないのですが……。

二つほど鍵になりそうな話が伝わっています。

 

鷹を使わずに鷹狩とは

一つの特徴は【鷹狩り】です。

鷹狩
信長も家康も熱中した鷹狩の歴史~日本最古の記録は仁徳天皇時代だった

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信長・信勝兄弟で、唯一共通しているのが「鷹狩りを非常に好み、上手かった」ということでした。

信長も少々変わったやり方で鷹狩りをしておりましたが、信勝はさらに独特で、なんと飼いならした百舌鳥(モズ)を用いていたというのです。

獲物を枝に突き刺す【はやにえ】をすることで有名な鳥ですね。割とグロいので、画像検索する方はご注意を。

残念ながら、百舌鳥を使ってどのように鷹狩りをしていたのかまでは不明です。

この漢字があてられている由来が「様々(百)の鳥の鳴き声を真似られる」といわれるほど複雑な鳴き方をするから、というものなので、鳴き声を活かすようなやり方だったのかもしれません。

本来なら鷹だけで充分なはずなのに、わざわざ百舌鳥を使うからには、その特徴を利用していたでしょう。

百舌鳥のような小さな野鳥の場合、野生での寿命は1年数ヶ月ほどです。飼育下での寿命は伸びる傾向がありますが、戦国時代当時の技術・知識ではさほど長生きはさせられない。

となると、織田信勝は複数の百舌鳥を飼いならして、常にキープしていたことになります。

よほど自分のやり方に自信があったのでしょう。

本人に能力や独自の価値観があり、父・信秀から一定以上の権益を譲られ、家臣からの支持もある……。

となれば「次の弾正忠家当主は当然俺だ!」と思うのは仕方のないことだったかもしれません。

逆に、そこまでピースが揃っていた信勝より、ボロカスな評判だった信長を嫡男とした信秀のほうが不思議に思われていたでしょう。

信秀の死因や没年には諸説あるのですが、もしかしたら焦れた織田信勝による暗殺だったりして……なんてのは飛躍しすぎですかね。

 

父の信秀と共に白山信仰に帰依する

もう一つは、白山信仰について。

白山信仰とは、

・加賀(石川)
・越前(福井)
・美濃(岐阜県)

にまたがる白山への山岳信仰のことです。

ここから九頭竜川・手取川・長良川など、四方へ流れる川の水で周辺地域の田畑が豊かになっていると考えられ、神格化しました。

信勝は、白山信仰と関わりの深い長瀧寺(ちょうりゅうじ・ながたきでら)に仏像を寄進したことがあったようで、その銘の写しが現存しています。

信秀も白山信仰に帰依していたため、親子で引き継いだのかもしれません。

ちなみに、白山信仰の主祭神は菊理媛命(ククリヒメノミコト・キクリヒメノミコト)といいます。

古事記では一瞬しか登場しない神様です。

どんな神様か?
と申しますと、ほんのチョットしか出てきません。

伊弉冉尊(イザナギノミコト)が、お産で亡くなった妻・伊弉諾尊(イザナミノミコト)を追って、黄泉の国へ行き、「私はもう現世には帰れません」と伝言されたとき、

【菊理媛命が「何か」を言ったとされる】

という、本当に一文しか出てきません。

具体的に何を言ったのかは書かれていません。

それを聞いた伊弉諾尊が菊理媛命を褒め、黄泉の国から帰っていったということになっているので、よほど説得力のある何かを言ったのでしょう。

このことから、菊理媛命は仲直り→縁結びの神とされています。

織田信勝の生涯や立場を考えると、なんとも皮肉なものです。

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長月 七紀・記

【参考】
太田牛一/中川太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon
日本史史料研究会編『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon
谷口克広『信長と消えた家臣たち』(→amazon
織田信行/日本人名大辞典
織田信行/wikipedia
白山信仰/wikipedia
長瀧寺/wikipedia
白山比咩神社(→link
モズ/wikipedia
日本野鳥の会-BIRD FAN(→link

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