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【堀秀政・名人久太郎】
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バリバリ働いていた屈強の武将がなぜか突然死
堀家では「(秀政から見て)親の秀重は長命だったのに、息子の秀治も孫の忠俊も若くして亡くなっている」という摩訶不思議な状態になっています。
戦国時代後半~江戸時代初期という時代背景を考えても、ちょっと不自然すぎやしませんかね……。
秀政みたいに信長時代からバリバリ働いてた人が、戦場でいきなりパタッと死んでしまうものでしょうか。感染症であれば、もっと病死者が多くなって記録も残るでしょうし。
「北条から刺客を送られた」とか「何者かに毒を盛られた」というほうが、よほど自然な気がします。
もしくは、秀吉政権の中核になることを危惧した誰かが……というのもありそうですね。
この頃には秀吉の弟・豊臣秀長(大和大納言)は病がちになっていますし、秀吉にはまだ鶴松が生まれたばかりで、他に子供はいませんでした。
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秀次は小田原征伐の副将を務めていたものの、他に政治も軍事も担えるような人がいるかというと、少々人材不足な面は否めません。
秀吉の子飼いたちはまだ30歳前後で、経験や外部からの信頼という点でやや懸念が残ります。
他の大名家からすれば、秀政さえ……と見ることもできたでしょう。
堀家の子孫たちは生き残った
よく知られているように、この後の秀吉は鶴松を失い、豊臣秀次は最悪の結果に――。
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その後、豊臣秀頼が生まれたものの、信頼できる後見役が前田利家一人になってしまい、その利家すら秀吉の死からさほど時を置かずして亡くなっています。
もし秀政が他の大名に(ピー)されたのだとしたら、そうさせた人物は驚くべき慧眼の持ち主ですね。
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こう書くと一人しか当てはまらない気がします。
その名とは、い、い、いえ、いえや……ゲフンゴホン。
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まぁ、邪推ですね。
後世から見ているからこそそう思うだけで、実際は運命の悪戯なのかもしれません。
一つ気になるとすれば、彼の肖像画でしょうか。
戦国武将の肖像画は、後年になって描かれた想像図であることも珍しくありませんが、秀政の場合「自画像である」とされる絵が残っています。
それだけでもかなり珍しいものですが、この絵がなんというか……享年38とは思えない、剃髪した老人のような姿なのです。
もちろん、秀政がいわゆる「画伯」だったからとも考えられますが。
うーん、これじゃない感……。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
歴史群像編集部『戦国時代人物事典(学習研究社)』(→amazon)
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon)
峰岸純夫/片桐昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon)
堀秀政/wikipedia
他