溝口秀勝

溝口秀勝像(新潟県新発田市)

織田家

信長・秀吉・家康が重宝した尾張の戦国武将「溝口秀勝」皇室にも血脈を残す

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江戸時代を通して溝口家が藩主を務めた

その後、新発田藩は、徳川家から大きな信頼を得た溝口秀勝さんの功績もあり、幕末まで溝口家が藩主を務めています。

改易や転封が相次いだ江戸時代で、これは非常に珍しい!

また溝口秀勝さんの孫(溝口宣直)時代の承応3年(1654年)には新発田城が完成。

全国でも類を見ない3匹の鯱を載せた三重(現在は復元されたもの)が建てられました。

上から見るとT字型の屋根をしているのが超特徴的です。

本丸の一部と二の丸のほとんどが、現在は自衛隊の駐屯地(新発田駐屯地)として使用されている珍城でもあります。

平成18年(2006年)には名城の証である「日本100名城」に選ばれていますね。

ちなみに拙著『ヘンテコ城めぐり』(→amazon)にもピックアップしているので、ぜひ手に取ってみてくださいませ。

『ヘンテコ城めぐり』12/24に柏書房より発売(予約受付中→Amazon

 


天皇陛下の御先祖様にあたる

そんな溝口秀勝さんの命日は、前述の通り慶長15年(1610年)9月28日。

実は、上皇陛下と天皇陛下の御先祖様にあたります!

ザックリと系譜をまとめますと……。

4代末裔の女性(溝口かい)が、豊後臼杵藩(大分県臼杵市)の藩主・稲葉家(稲葉)と結婚。

その孫娘が公家の家(勧修寺顕道)と結ばれ、さらにその孫娘(勧修寺)が光格天皇に嫁ぎます。

光格天皇の孫にあたるのが孝明天皇で、そこから明治天皇、大正天皇、昭和天皇と続き、上皇陛下と天皇陛下に繋がるのです!

新発田でしか知られていないかもしれないご当地武将が、まさか現在の皇室に繋がっているなんて……これまた「歴史は面白い!」と感じる要素の1つかと思います。

まだまだ……まだまだ興味深いマイナー武将たちはたくさんいます。

次回もご期待くださいませ!


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文:れきしクン(長谷川ヨシテル)

◆れきしクンって?

れきしクン(おんな城主直虎出演時)

元お笑い芸人。解散後は歴史タレント・作家として数々の番組やイベントで活躍している。
作家名は長谷川ヨシテルとして柏書房やベストセラーズから書籍を販売中。【著書一覧】
『あの方を斬ったの…それがしです』(→amazon
『ポンコツ武将列伝』(→amazon
『ヘッポコ征夷大将軍』(→amazon

◆Youtubeも絶賛放映中「それいけ!れきしクンTV」

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