敵に塩を送る

絵・富永商太

武田・上杉家

敵に塩を送る(上杉→武田)の実態は単なる商売?敵対国で美談は成立せず

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塩がなければ信玄の“馬”も動けまい

もちろん心中穏やかではないのが今川であり北条。

彼らは甲斐や信濃へ続く物資や塩の輸出をすべて禁じた。

『塩がなければ、クソ信玄も、ヤツの“馬”も動けまい』

実は、塩を必要とするのは実は人間だけではない。

馬も大量消費する。

というのも馬は他の動物よりも汗っかきなため、少し運動すれば汗に含まれた塩分が外に出てしまい、その補給のための塩が必要となる(→JRA)。

これでは武田家名物とされる騎馬軍団もボロボロ。

同家の騎馬軍団は、一時期「物資を運ぶだけ」という見方も提示されていたが、最近ではやはり馬に乗って戦ったことが有力視されており、他ならぬ織田信長も『信長公記』の中で武田家の騎馬隊を警戒する様子が描かれている。

塩の運搬がなければ、いかに信玄であるとも終わり――。

と、そこで颯爽と現れたのが、ライバルである上杉謙信だった!

イラスト/富永商太

 

マジで塩を送っていた?

『敵に塩を送る』とは、実際に越後から信濃・甲斐へ塩が運ばれたことからきた言葉なのである。

マジだったとは驚かれるかもしれないが、実はコレには但し書きがついており、我々が妄想しがちな美談ではなかった。

今川や北条では国として塩流通を禁じたが、越後ではその措置を取らなかった。

要は商人たちが商売を続けた、単にそれだけのこと。

そもそも、信玄もバカではないので、大切な塩分確保のアテもなく駿河へ侵攻するワケがなく、このときはまだ同盟を結んでいた織田信長から塩流通の担保をとっていた。

さすが腹黒いというか、計算高いというか。

そういう黒い信玄ってやっぱりいいよね!

かくして風林火山の旗は今も人心にたなびいている。

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文・川和二十六

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