武田信繁

武田信繁(歌川国芳・作)/wikipediaより引用

武田・上杉家

信玄の実弟・武田信繁は理想の補佐役か?川中島に散った古典厩の生涯

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山本勘助など、数多の有力武将を失ったこの戦いは、フィクションでの誇張があまりに大きく、かえってわかりにくくなっている部分も多くあります。

その点を踏まえつつ、同合戦を振り返ってみましょう。

 

信繁の陣へ上杉軍の猛将たちが!

信玄を二度も撃退しておきながら、ついには信濃から越後へ追い出された村上義清

上杉謙信に仕えると、戦国の頂上決戦、越後の龍と甲斐の虎の激突は不可避と言えました。

両国は、幾度かの対戦を経て永禄4年(1561年)――上杉謙信は1万3千の兵を率い、妻女山に布陣します。海津城に迫るためです。

対する信玄は2万の兵と共に出陣。

両軍の睨み合いが数日に及ぶ最中、武田軍では山本勘助の戦術が採用されます。俗に「啄木鳥の戦法」と呼ばれる戦術であり、以下のような手順となります。

山本勘助と馬場信春が二手に分かれる

別働隊を妻女山に接近させる

夜明けに攻める

慌てて山を降りた上杉勢を、本隊が挟み撃ちにして勝利

啄木鳥が嘴で木を叩くと、虫が中から飛び出すことから名付けられた――と、伝説的に語られますが、膠着する事態を打開したかったことは間違いないでしょう。

しかし、作戦とは何かのきっかけで失敗するものでもあります。

濃霧が立ち込め視界がハッキリしない中、作戦を察知した上杉勢は妻女山を降りてゆきます。

武田信繁はこのとき鶴翼の陣の左側。

まだ布陣が完全に整っていないところへ、突如、上杉家の誇る猛将、柿崎景家と新発田重家が押し寄せてきました!

800の兵を率いて、自ら槍をふるい、奮戦する信繁。

血みどろの戦いの中、本陣に目をやると、上杉勢はそこまで迫りそうな勢いです。

「我に挑むもの、誰ぞある!」

「おぉ、あれぞまことの勇士よ……いざ!」

兄を救うべく、身を捨ててでも的を引きつけようとした信繁。

天晴れな武者ぶりに、敵も感嘆しながら討つべく殺到します。

副将らしく前立てを煌めかせて、槍を振るい続けるも……大軍を前にして永遠に続くわけもなく、やがて力尽き、討死を遂げたのでした。

信玄は弟の遺骸を抱きしめると、号泣しました。

その姿を見て家臣団たちも「惜しむべき将を失った」ともらい泣きが止まらない。

結局、両軍互いに大きな損害を受けながら、その後も明確な決着は最後までつきませんでした。

 

信繁の名は真田を通して現代に轟く

武田の家臣団は、その後も折に触れて武田信繁のことを思い出しました。

信玄が嫡子である義信と対立し、死に追いやったとき――もしも典厩様がおられたら、このようなことにはならなかったと嘆息する者もいたとか。

武田信玄という戦国時代屈指の名将は、兄弟で一心同体とも言えたのでしょう。

なまじ兄と事績がかぶるだけに、かえって目立たない信繁。

その不在により、重要性を示したとも言えます。

主君である武田信玄を敬愛していた信濃の国衆である真田昌幸も、武田信繁を慕い、惜しんだ一人でしょう。

昌幸は、次男の諱を「信繁」としました。

真田幸村の名で知られる真田信繁であります。

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兄を支え、家を守って欲しいという切実な願いが、そこにはこめられたのでしょう。

真田昌幸の願いは、確かに叶えられました。

関ヶ原の戦いの折、兄と弟は二手に分かれますが、兄と弟はその後も支えあってそれぞれの道を歩んでゆきます。

兄の信之が真田を大名という実として残し、弟・信繁は勇猛果敢な武士として花のような名を残しました。

武田信繁は、若くして川中島に散ったものの、その芳名は残されたのです。

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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
『武田氏家臣団人名事典』(→amazon
歴史読本『甲斐の虎 信玄と武田一族』(→amazon

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