著者の「れきしクン」と申します。
今回、注目させていただく主人公は「村上義清」さん。
あの武田家を相手に北信濃で粘り続けて二度も勝ち、川中島の戦いのキッカケにもなった名将なのですが、皆さんご存知ですかね。
実は元亀4年(1573年)1月1日が命日だったりします。
早速、その生涯を見て参りましょう!
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村上義清は信玄よりも20歳上
義清さんを“マイナー”扱いすると戦国時代ファンの方に怒られてしまうかもしれません。
しかし、色々なところでトークをしている時の体感としては、一般的には知名度が低い印象。
もっともっと知られて良い名将だと思っております。
なぜならこの義清さん、戦国最強とも言われる武田信玄相手に2度も大勝利を収め、後に武田信玄と上杉謙信が干戈を交える名合戦の「川中島の戦い」のキッカケとなったのです。
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存在感バッチリなんですよ!
義清さんの生年は1501年(文亀元年)と言われていて、武田信玄よりも20歳年上、織田信長より33歳年上と、主な有名武将より一世代上の人物です。
生まれた場所は、葛尾城(かつらおじょう)。
長野県坂城町にある葛尾山(標高805m)の山頂、尾根伝いに築かれた素晴らしい山城です。
そもそも「村上氏」は全国の様々な地域に存在しており、信濃村上氏は清和天皇を祖とする「清和源氏」の流れになります。
時の将軍家である足利氏や、後に宿敵となる武田信玄の甲斐源氏なども清和源氏の流れ。
村上氏については定かではない部分も多いですが、超名門武家の系譜なんですね。
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「大塔合戦」で国衆たちのリーダーに
その信濃村上一族、いつから活躍していたのか?
と言いますと、「鎌倉時代後期〜建武の新政〜室町時代初期」に頭角を表して地域の有力者となり、1400年(応永7年)に起きた「大塔合戦(おおとうがっせん)」で、国衆(地元の武士)側のリーダー的存在となります。
この合戦、室町幕府から任命された信濃守護の小笠原氏に反発する国衆たちがタッグを組んだ戦いでした。
つまり、キャリア組に現場が噛みつくような『踊る大捜査線』的な構図に近いような形かもしれません。
そうすると義清さんの家は織田裕二さんが演じた青島俊作ですかね。
結果、この戦いは、国衆たちの大勝利!
村上氏は名実ともに信濃の盟主となり、時は戦乱、村上義清さんの代へと移ります。
ちなみに私がかつてどハマりしていた『信長の野望 革新』の義清さん能力値は、
統率83
武勇85
知略65
政治53
でした。
強いでしょ! 強いのです!
能力値のベースとなったのは、合戦の経歴からでしょう。
海野平で名を轟かせ、信虎と同盟
まず、義清さんの名が轟いたのは1541年(天文10年)【海野平の戦い】です。
義清さんが戦った相手は小県(長野県東御市・上田市あたり)の国衆、例えば海野棟綱(うんのむねつな)などでした。
その中には真田昌幸の父で、真田幸村(信繁)の祖父にもあたる、真田幸綱(幸隆)が含まれています。
義清さんは武田信虎(信玄の父・義清さんとは同盟相手だった!)の協力もあって、小県エリアに領地を拡大。
村上氏は全盛期でまさに飛ぶ鳥を落とす勢いだったのです。
しかし、ここで想定外のトラブルが……。
甲斐武田の盟主・武田信虎がクーデターに遭い、甲斐(山梨県)から追放されてしまったのです。
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その政変の実行者こそが武田信玄。まだ出家しておらず、当時は「武田晴信」でした。
信濃への侵攻を企てていた信玄は、村上義清との同盟を破棄します。
そして甲斐国内の引き締めを断行すると、その武力をもって信濃へ。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……信濃に戦雲が……ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!
上田原で両軍激突!
天文17年(1548年)。
ついに義清さん(当時48歳)と武田信玄(28歳)は激突しました。
現在の長野県上田市で勃発した【上田原の戦い】です。
義清さんは当初、劣勢だったものの、隙を突いて奇襲をかけて武田軍は敗走。
武田家重臣中の重臣である板垣信方(末裔に板垣退助)や甘利虎泰(末裔に政治家の甘利明さん)などを討ち取り、大勝利を収めます。
つ、強い…!
しかし、これで黙っている信玄ではありません。
天文19年(1550年)リベンジを果たそうとして、義清さんが他の大名を攻撃している間に出陣、支城である砥石城を攻撃しました。
知らせを受けた義清さんは、すぐさま交戦中の敵と和睦を結び、砥石城の救援に向かいます。
この迅速な援軍に信玄も大慌て。
武田軍は撤退を図るも、激しい追撃を受けて再び大惨敗。
村上軍は、武田家重臣の横田高松(よこたたかとし)などを討ち取り、再び大勝利を収めました。
この戦いを【砥石崩れ】といいます。
ところが、です。
義清さんにとって真の宿敵は武田信玄ではなく、あの男だったのです……。
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