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【金地院崇伝(以心崇伝)】
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崇伝は明神様を推していたが、結局、権現様に
崇伝と天海が喧嘩する火種になったのは、家康の神号でした。
一般人からすると「なぜ仏教のお坊さんが神道の祭り方に口を出す?」と言いたいところですが、江戸時代の時点で千年以上神仏習合をやってる日本ではよくある話ですね。
真面目に考えると、僧侶としてではなく家康・幕府の重臣として話し合っていたということなのでしょうけども。
崇伝は「明神」という号がいいと考えていました。
これは神様の中でも特別に祀られる場合に用いられる名称で、神田明神や稲荷大明神などが有名です。まあ江戸幕府の開祖ですし、無難といえば無難ですね。
これに対し、天海は「権現」にしようと主張していました。
権現とは「仏様が日本の神様の姿で現れた」ということを意味するもので、山王権現や愛宕権現などが有名です。
どっちもそれなりの理由があって「こっちがいい!」と言っていたので揉めたわけですが、ここで大問題が発覚します。
豊臣秀吉が「豊国大明神」になっていたことです。
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これでもし、家康を同じ明神号で祀ってしまうといろいろマズイですよね。
秀吉からすれば息子を殺しくさったヤツと同じ号になるなんて真っ平御免ですし、世の人からしても「一時は主君だった人の家を滅ぼしたくせに、同じ神号にするなんてどこまでタチが悪いのかしらー、いやーねー」(※イメージです)とか言われかねません。
そのため家康は明神ではなく、権現として祀られることになったのでした。
忠興宛の手紙に「ありえないわー」
いわば崇伝側の負け。
よほど腹に据えかねたのか、崇伝は細川忠興宛の手紙で「前代未聞でありえないわ」と不満を綴っています。
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もちろんこの一件で徳川幕府からの信頼がなくなるようなこともありません。
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朽木元綱に「娘の結婚式をいつの日取りにしたら縁起がよいですか?」と相談されたり、あるいは九鬼守隆や丹羽長重らから頼まれて芸術品(絵画や茶道具)の鑑定に携わったり。
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当代一流の知識人だったことがわかりますね。
紫衣、勝手にもらったら島流し
そんな崇伝が関わったもので、最も大きな一件が【紫衣事件】でしょう。
江戸時代初期の幕府と朝廷のゴタゴタで、ことの発端は、朝廷がやたらと紫衣を与えるようになってしまっていたことでした。
紫衣とは、お寺の中でも高僧だけが朝廷から賜ることのできるもので、朝廷にとっては収入源の一つでもあります。
上記の通り、崇伝は若い頃実力で紫衣を賜っていますから、怒りもひとしおだったことは想像に難くありません。
このとき紫衣を取り上げられた僧侶達から抗弁書が出たときも突っぱね、離島への流罪を主張しています。彼よりは温厚だったと思しき天海らによって、これも軽減されてしまうのですが。
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多分こんな感じで天海に頭を抑えられるようなことが何回かあったせいで、崇伝のほうが知名度低いのかもしれません。
あるいは天海=明智光秀説なんてのもありますので、天海のほうが有名なのかも。
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個人的には正体不明すぎて怪しい(というか胡散臭い)天海より、ちょっとキツくても現実味がある崇伝のほうが好きです。
当時は「大欲山気根院僭上寺悪国師」とか「天魔外道」とか散々な言われようだったようですが、政治の世界で意志が強くなければ何もできない気がします。
幕府設立の功績からすると多大なものがあり、単純にブラックとは思えないですよね。
亡くなった(遷化した)のは寛永十年(1633年)のこと。
腹や背中の痛みに身悶え、病に苦しみながら亡くなったことが記録されています。
享年65でした。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
日本史史料研究会『戦国僧侶列伝 (星海社新書)』(→amazon)
崇伝/Wikipedia