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【水野勝成】
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奸臣・光秀の官位を喜んでもらい受ける
ところが、和解もつかの間、なんと父・忠重は石田三成の手により暗殺されるという事件が起こってしまう。
関ヶ原の戦いを目前にひかえ、勝成は刈谷三万石を継ぐこととなってしまったのである。
水野家当主となった勝成は、大垣城攻めという見事な武功を上げた。
戦後、勝成は従五位下に叙任され「日向守」の官位を受けた。
実は、この日向守は奸臣・明智光秀が名乗っていたため、欲しがる者がいなかったのだが、勝成は喜んで貰い受けたという。
以後、彼はその勇猛さから「鬼日向」と呼ばれることとなった。
勝成は、大坂の陣でも活躍した。
まずは前哨戦、道明寺の戦いで猛将・後藤又兵衛を軽くひとひねり。
本戦では家康から、「絶対に一騎駆けはするなよ!」と言われていながら、やっぱりしてしまい、見事、大阪城一番乗りを果たした。
このとき齢五十二。何一つ人生を反省しない男であった。
どうして世に広まらないのか
その他、家康が風紀を乱すと禁止した歌舞伎興行を、勝手に京都でおこなったり(つまり、本物の傾奇者である)。
大坂の陣では剣豪・宮本武蔵を配下にしていたり(『大坂御人数付 水野家分限帳』という書に名前がある)。
七十五歳になっても島原の乱に参戦していたり(本州から唯一の参陣)。
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他にも凄まじいエピソードが目白押し。
なぜ、この人の名が世に広まらないのか、本当に不思議に思うくらいである。
本多忠勝や井伊直政らと比べて、ほんの少しだけ世代が若いことや、徳川家の大事なときに全国を放浪していたことが影響しているのだろうか。
そこで自分は、水野勝成の人生を『天を裂く 水野勝成放浪記(→amazon)※Kindle読み放題対応』として、一冊の小説にさせていただきました。
現在、学研パブリッシングからが発売中であり、どうかよろしくお願いいたします(以上、宣伝です。失礼しました)。
最後に。
初代福山藩主としての水野勝成は、名君として知られている。
政治手腕は確かであり、上水道の整備や治水工事、税の免除など、多数の功績が残されている。
「全ての武士に貴賤はない。主君も家臣も、互いに頼り合ってこそ、世は成り立つ習いである。そなたたちは、私を親と思われよ。私も、そなたたちを子と思おう」
家臣には常に、そのように言っていたという。
若い時にした苦労が、勝成を大器として成長させたのだろう。
現在、福山の地に伝えられる勝成は、「優しいお殿様」のイメージだという話である。
※編集部注:本書は、史実ベースで描かれた小説『天を裂く: 水野勝成放浪記(→amazon)』の著者・大塚卓嗣氏にご寄稿いただいたものです。
同書でリアル傾奇者の生き様、底抜けのバカさに涙してください。
著:大塚 卓嗣
監修:武将ジャパン
大塚卓嗣氏の作品掲載
『くるい咲き~越前狂乱(→amazon)』
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