こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【豊臣完子】
をクリックお願いします。
お好きな項目に飛べる目次
67歳で亡くなるまでの後半生 平和では
完子は、祖母の秀吉姉・とも(日秀尼)とも交流を続け、完子の末娘・日怡が、ともの寺である瑞龍寺を継いでおります。
瑞龍寺は、ともが息子・豊臣秀次や孫達を弔うために作ったお寺でした。
秀次からすると、姪(完子)の子供、しかも豊臣家を滅ぼした徳川家の義理の家族(完子は徳川家光の異父姉にもあたる)が、自分の菩提を弔ってくれたことになります。
ややこしいですが、深イイ話……ですかね。
豊臣秀次はなぜ自害へ追い込まれたのか~殺生関白と呼ばれた秀吉の甥その最期
続きを見る
完子自身はそれ以降安泰に暮らしたようで、67歳で亡くなるまでの間は特に逸話が伝わっていません。
前半生はともかく、後半生は幸せだったとみていいのではないでしょうか。
「便りのないのは良い便り」といいますし、記録がないのは幸せな証拠なんですよ、きっと……。
まぁ、豊臣家の中で一人くらいは安穏な一生を送った人がいてもいいというか、むしろもう少しいて欲しかったというか。
あわせて読みたい関連記事
豊臣秀吉のド派手すぎる逸話はドコまで本当か~検証しながら振り返る生涯62年
続きを見る
なぜ徳川秀忠が二代目将軍に選ばれたのか 関ヶ原の遅刻は問題なし?
続きを見る
貞明皇后(大正天皇の皇后)と皇室を支えた近代皇后たち その功績とは?
続きを見る
豊臣秀次はなぜ自害へ追い込まれたのか~殺生関白と呼ばれた秀吉の甥その最期
続きを見る
戦国一の美女と囁かれるお市の方(信長の妹)浅井に嫁ぎ柴田と共に滅びる波乱の生涯
続きを見る
大政所(なか)は豊臣兄弟の母~天下人となった秀吉にどんな影響を与えた?
続きを見る
長月 七紀・記
【参考】
歴史読本編集部『物語 戦国を生きた女101人 (新人物文庫)』(→amazon)
畑裕子『「江」浅井三姉妹と三人の天下人 (角川SSC新書)』(→amazon)
豊臣完子/wikipedia
九条幸家/wikipedia