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【生駒親正】
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まるで秘密基地な高松城
高松城は籠城戦を見越した設計になっていて、当時は船が直接城内へ入れるようになっていたともされます。
城の縄張りが一目瞭然になる空撮写真を見ると、それも納得。
![](https://storage.bushoojapan.com/wp-content/uploads/2025/02/d9635784055581606eaffd12645d9016.jpg)
高松城空撮
パッと見、完全に船を意識した作りですよね。
瀬戸内海に面した高松城は西国から上方への入口付近にあり、海上へ睨みを利かせるためには、船の機動性を重要視した城造りになって当然とも言える。
海防上の理由から、船と城を連携させない手はないですよね。
![](https://storage.bushoojapan.com/wp-content/uploads/2025/02/82bc3de06b7df6e932c886e0d6ba7926.jpg)
高松城の着見櫓と続櫓と水手御門
![](https://storage.bushoojapan.com/wp-content/uploads/2025/02/b9d5509fb682afe659613f9ea10c2b1f.jpg)
高松城内堀
それにしても……こんなウルトラ警備隊とかサンダーバードのような世界観の城をいったい設計したのか?
というと生駒親正ではなく、黒田官兵衛(孝高)や藤堂高虎、細川忠興など、諸説あります。
いずれも城造り名人として知られた武将ばかりですよね。
そりゃカッコよくなるわけだ。
と、思いきや……。
高松城は、江戸時代にかなり大規模な改修がなされた上、戦時中に空襲の被害も受け、さらに周辺の近代化に伴って工事されたといった経緯をたどったため、残念ながら親正時代の遺構はほぼうかがえなくなっています。
復元模型を見ると、
![](https://storage.bushoojapan.com/wp-content/uploads/2025/02/8fe99d9d9aaa7bc6e502a40db207c1ae.jpg)
高松城の復元模型
まず海城で間違いないと思うんですけどね。
市民や市議会によって天守の復元計画は立てられており、天守台の復元は終わっているとのこと。
三中老となるも無事に関ヶ原を乗り切った
移封後の生駒親正は、変わらず秀吉から信頼されていました。
文禄元年(1592年)の【文禄の役】では先陣として渡海。
同年、堀尾吉晴と中村一氏と共に【三中老】へ任じられたともされます。
![](https://storage.bushoojapan.com/wp-content/uploads/2025/02/0477bb8bfb8a853c35aaacb02dfb700f.jpg)
堀尾吉晴(左)と中村一氏/wikipediaより引用
当時、三中老という役職名は存在していなかったともされますが、この地味めキャラの三人が豊臣政権の中核にいたことは間違いないでしょう。
というわけで親正は秀吉に大きく取り上げられた大恩があるわけですが、関ヶ原の戦いではそうとは動いていません。
嘘か真か、当人は体調を崩していたとされます。
むろん完全無視とはいかないので、嫡孫の生駒正俊や家臣の萱生大膳らを西軍として丹波へ向かわせ、嫡子の生駒一正は東軍と、苦渋の決断がくだされました。
幸いにして一正の働きが認められたか、あるいは親正自ら隠居したのが家康に殊勝な心がけだと受け取られたか、慶長六年(1601年)5月に讃岐17万国を安堵されています。
そして親正は、慶長八年(1603年)2月13日に高松で死去。
享年78でした(『寛政重修諸家譜』の生没年を元に計算)。
親正は猛将でもなく、吏僚としても目立つタイプではありません。
しかし「激動の時代に真面目さで生き抜いた」と見ると、現代人にとっては身近でもあり、お手本になる人物なのかもしれません。
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長月 七紀・記
【参考】
菊地浩之『豊臣家臣団の系図』(→amazon)
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon)
谷口克広『信長軍の司令官: 部将たちの出世競争 (中公新書 1782)』(→amazon)
国史大辞典
日本人銘大辞典
世界大百科事典