中国大返し

絵・富永商太

豊臣家 豊臣兄弟

光秀の謀反を知った秀吉~直後に強行した「中国大返し」は本当に無茶な行軍だった?

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10日間で230kmは不可能ではない

本能寺の変から山崎の戦いまで、秀吉がどんな動きをしたのか。

時系列で確認してみましょう。

【2日早朝】本能寺の変で信長自害

【3日夜~4日未明】秀吉が信長の死を知り、毛利側と交渉を進める

【5日】光秀に味方しそうな武将にウソの手紙を書いて時間を稼ぐ

【5~6日】高松の陣を引き上げて姫路城へ向かう

この間、山陽道最大の難所とされる船坂峠を通過

【7~9日】姫路城到着・明石へ

【9~10日】明石到着後、兵庫へ

【10~11日】兵庫を出発して尼崎・富田へ、池田恒興や高山右近らと合流

【13日】山崎の戦いで明智光秀に勝利

その道筋を地図で確認すると以下のようになります。

中国大返しルート(書籍『秀吉の虚像と実像』等を基に制作)

上記の通り、

「京都から230kmも離れているのに、なんでたった1日で信長の死がわかったんだ?」

「行軍早すぎでは?」

という点が以前から取り沙汰されてきました。

秀吉は、間もなくやってくる予定だった信長の動きを事前に把握しておくため、道中に多くの情報用兵員を置いていたとされます。

常に自分のところへ情報が届くようにしたのですね。単に信長のご機嫌取りだけでなく、軍事面からしても大事なことでしょう。

そしてそれが、まさかの場面で功を奏し、凄まじい速さで情報を掴んだとされます。

絵・富永商太

しかし、秀吉ひとりが事情を把握したとはいえ、いきなり「直ちに東へ向かうぞ!」なんて言われたら、ほとんどの将兵は大混乱するはず。

「まだ城を落としていないのに、うちの大将は一体何を考えてるんだ???」

なんせ備中高松城には直接攻め込まず、水攻めからの降伏を待っている段階でした。

後は監視だけしておけばよい……という段階で行軍を急かされても、そう簡単には動けないほうが自然です。

秀吉はどうやって将兵たちの尻を叩いたのか?

残念ながら不明ですが、やはり指揮能力の高さなのでしょう。

例えば、大坂から四国へ渡る予定だった織田信孝丹羽長秀らの軍では、本能寺の報せを聞いて兵たちが大混乱。

信孝たちは、津田信澄(信長の甥で光秀の娘婿)が明智軍の共犯者だということにして血祭りにあげ、どうにか収集を図っていました。

 


実は無理な早さでもない?

秀吉の行軍速度そのものについては、他の例と比較してみましょう。

中国大返しと近い時代の長距離かつ高速行軍の例としては、大坂冬の陣における徳川秀忠の軍が挙げられます。

徳川秀忠/wikipediaより引用

関ヶ原の戦いのとき、上田城に釘付けられて大戦に参加できなかった秀忠は、今度こそ遅れるワケにはいかない。

と、気合が入りすぎたのか、凄まじい速度で進軍したため兵がついてこられず、徳川家康にこっぴどく叱られることになったとされます。

当時の道程とは違いますが、仮に東名高速経由での東京~京都の距離を計算してみましょう。

これだと東京~京都間は468km。

秀忠は17日間で踏破しましたので、一日27km進んだことになりますね。

秀吉は230kmを10日ですから、一日あたり平均23km。

あれ?それほどムチャではない?という気もしてきますね。

逆に、秀忠がやりすぎに見えてきます。

中国大返しも梅雨のど真ん中でなかなかの強行ですが、大坂冬の陣は新暦11月ごろの話で、寒さに耐えきれなかった者も少なくなかったはずですから……。

 


馬と歩兵が別ならば

ただし、さすがに全軍この速さではありません。

スピードを出せたのは、馬を使った者たちです。

「日本の馬は小型馬だから、それほどの動きはできないのでは?」といった指摘も見かけますが、在来種の木曽馬で再現した映像があります。

そもそも日本の地形や気候に順応して進化してきたはずですから、日本在来馬が西洋種よりもか弱くて使い物にならない……なんてことがあるわけないですよね。

例えば南北朝時代における北畠顕家軍も、東北から畿内まで

「何をどうすればそんなに早く移動できるんだ?」

とツッコミたくなるようなスピードで移動したことがあります。しかも二回。

おそらくそれも、日本在来馬の斜面と粗食への強さが功を奏したからこそと考えられます。

通常の歩兵はというと、当然のことながら全員が馬についていけたわけではありません。

中国大返しの際の秀吉軍も同様で【山崎の戦い】に間に合わなかった者もいたようです。

備中高松城を攻めていた時点での秀吉軍は3万程度、山崎の戦いでは2万程度だったそうですから、単純に考えて1/3は追いつけなかった(脱落した)わけです。

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