学校の授業で習う戦国時代最大のエポックメイキングは【長篠の戦い】かもしれない。
織田信長の天下統一はやはりケタ違い!生誕から本能寺までの生涯49年を振り返る
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もちろん織田信長個人にスポットを当てれば、桶狭間の戦いや本能寺の変など、他にも劇的な展開は多々あるが、【従来の弓騎馬に代わって鉄砲が合戦の主体になった】として歴史の授業にも頻出している。
ご存知、三段撃ちだ――。
長篠の戦いで信長の戦術眼が鬼当たり!勝因は鉄砲ではなく天然の要害だった?
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実は、信長が実践で用いたとされる【三段撃ち】は、その手法において疑問が呈されている。
当時の種子島は凄まじい発射音を出し、発射直後に黒煙も噴出するため、「えい! おう!」というような掛け声で隊列揃えて調子よく撃ち続けることなどは物理的に不可能だった。
少しでも雨が降ったら使い物にならない当時の鉄砲は、基本的に屋根のある城内から敵を狙うのに最大の威力を発揮したと言われており、たとえば大坂の石山本願寺が10年にわたって織田軍を退けたのも、同城に入っていた鉄砲傭兵集団の雑賀衆が織田軍を恐怖のどん底に陥れていたからとも言われている。
そんな雑賀衆ですら、信長が長篠の戦いで用いたとされる大掛かりな三段撃ちは使っていない。
ただ、三段撃ちは完全に無い!かと言ったらそれも違うようで、掛け声をかけずとも3人で順番に回すなどの組にして、交互で撃つ、あるいは鉄砲を回して撃つなどの作戦は実行されていたともいう。
いずれにせよ三段撃ちは戦国のロマンなり。
今回は、長篠の戦い本番前に、信長が無理難題を家臣たちに吹っかけるぅ~!
三段撃ち
◆鉄砲術に長けていたという明智光秀。朝倉義景の前で射撃の腕前を披露していた――という話が『明智軍記』に記されております。それって確かな情報なの?というところでありますが、気になる技能ではありますよね。
閉め忘れ
◆言い伝えが確かならば土岐源氏の出自だという優等生の光秀と、地べたから這い上がってきた秀吉。この勤勉さというか生真面目な性格が、本能寺の変に作用したと考えられなくもない? ちなみに、この扉が閉まっていたらエピソードは、森蘭丸さん障子の話が元ネタになります。
ジオラマ
◆言い訳、言い訳、言い訳……。そんなことばかり聞かされるとキレたくなるのもわかります。しかし一方で、こんな上司や先輩を持ったら、マジ、生きた心地がしませんね。光秀の空気を嫁ない感も半端ないのですが。この人、なかなかタフな性格してますなぁ。
史実の明智光秀は本当にドラマのような生涯を駆け抜けたのか?
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敦盛
◆『信長公記』の記録によりますと、この後に起こる【長篠の戦い】で織田徳川連合軍は3万の軍勢を「志多羅の郷(設楽原)」に配置。敵から見えないよう窪地に散らしておりました。武田軍1万5,000からは想定より少ない数に見えた可能性があります。準備の段階から織田軍の勝利が見えていたとも言えますが、もちろん当事者たちはそんなことを知りませんので……。
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