武田信玄に上杉謙信、浅井・朝倉軍に毛利家など。
名だたる戦国大名たちの中で最も織田信長を苦しめたのは誰か?
そんな問いが投げかけられると「いやいや、この中にはいないっしょ」という意見が出てくる。
一向一揆――。
つまり浄土真宗たちの門徒を忘れてはいないか?という主張だ。
石山(大坂)の本願寺顕如を頂点にして各地で武装化していた一向宗徒らは、ヘタな大名など駆逐してしまうほどの戦闘集団。
とりわけ激烈だったのが加賀一向一揆であり、戦国大名を追い出して長きにわたり地域一帯を運営していたのは有名な話だ。
織田家でも、長島一向一揆に石山本願寺との戦い、さらには越前一向一揆など、まさに宿敵とも言うべき存在であり、朝倉家を滅ぼした後も苛まされ続けていた。
加賀百万石の礎ともなったと言える、この戦。いざ出陣!
越前一向一揆
◆越前の歴史を簡単に見ておきますと……。
朝倉氏の支配
↓
1573年 朝倉義景が信長に滅ぼされる
↓
1574年 一揆が起きて守護代の桂田長俊(=前波吉継)が自害
↓
越前一向一揆の支配始まる
加賀からきた七里頼周が指導して越前は一向宗のものとなっていたんですね。これを取り戻すべく織田信長が動いたのは1575年のこと。マンガの舞台も同年からの話となります。
織田家は3万とも言われる大軍を率いて越前へ。
リアルガチで一向一揆を殲滅しようとしていたのでしょう。越前市にある小丸城跡の発掘調査では、前田利家さんが1千人もの一向宗徒を磔(はりつけ)や釜茹でにしたという記録が瓦に記されて出てきました。色々と修羅場をくぐってきた利家さんですが、さすがにこれはキツかったのでは……。
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ノスタルジィ
◆優しい心の持ち主ながら冷静な一面も。加賀百万石を作った男は、やはりこうでなくてはいけませんね。
この後、利家さんは柴田勝家さんの北陸方面団に組み入れられ、城持ち大名になります。
まぁ、柴田軍団に入れられることによって、のちの秀吉との争いでは大変なことになるのですが、それはまた先の話。
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雑賀孫市
◆雑賀衆――。戦国時代でもっとも鉄砲技術の優れた集団としてその名を轟かせておりますが、実に謎多き方たちでして。
頭領とされる雑賀孫市さんにしても、孫一が正しい表記だ、とか、頭領が代々継ぐ名前で個人を指すものではない、とか、戦国ファンを悩ませる存在の一つであります。
和歌山県に実在していたのは間違いなく、石山本願寺が長年、信長さんに対抗できたのも彼ら(の鉄砲)がいたからという説も。合戦になると、顕如さんや下間頼廉さんから雑賀衆の参戦を懇願する書状が送られたことが確認されております。
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将軍復活
◆織田信長に擁立されて京へのぼった足利第15代将軍の足利義昭さん。信長包囲網から【槇島城の戦い】を経て京都を追われ、ついには安芸(広島)毛利さんを頼ります。
そこでも懲りずに色々と画策するワケですが……。
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