織田信長最大の敵は、武田信玄でもなければ上杉謙信でもなく、西の毛利軍団でもない。
ある意味、武士よりも手強い命知らずな信者たちを相手に、信長はいかなる戦略を繰り出すのか? 途中からは毛利の支援も加わり、ますます堅強となる石山の防御。
水軍も入り乱れての石山合戦が今、本格化する――。
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石山本願寺
◆周囲を複数の河川に囲まれ、あちこちに支城も構築されていた石山本願寺。過去には【野田城・福島城の戦い】なんて一戦もありました。
野田城・福島城の戦い(第一次石山合戦)~超わかる信長公記73話
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思えば伊勢の【長島一向一揆】も、石山本願寺と同じく中州の長島城を中心に周囲に複数の砦が配備され、織田軍は幾人もの将兵を失うなど苦戦を強いられてきましたね。それが本拠地の石山本願寺ともなれば……。
信長が「長島一向一揆」で敵対した宗徒2万人を虐殺~なぜ徹底的に潰したのか
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天王寺砦
◆1576年に石山本願寺が挙兵。これに対し明智光秀さんなどの軍勢を送ったところ、織田軍は天王寺砦で本願寺軍に囲まれ窮地に陥ってしまいます。
そこへ颯爽と現れたのが、織田信長さんご本人! 敵は1万数千からいたとされているのに、わずか3,000という寡兵を引き連れての登場だったというのですから、包囲されていた明智光秀さん以下の軍勢たちも頑張らないワケがない。まさに漫画の如く勝ってしまいます。
なお、信長さんの馬廻衆(親衛隊)は、尾張時代から付き添ってきた武家の次男・三男が中核メンバーであり、弓馬の扱いになれたプロの戦闘集団だったと考えられています。一言で言えば強い!
個人的には、だから【桶狭間の戦い】でも寡兵で勝利できたのだと考えています。
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第一次木津川口の戦い
◆織田家の水軍と言えば九鬼嘉隆――紀伊半島の東側・志摩(三重県)出身で北畠具教の攻略などで武功を挙げたとされています。
対する石山本願寺側の水軍は、こちらも歴史に名高い毛利水軍(村上水軍)。彼らが用いた焙烙玉(ほうろくだま)によって織田軍の船は燃やされ惨敗。 そこで信長さんが思いついたとされるのが……。
鉄甲船
◆天才アイデアマンの信長さんを評するときに用いられる一例が、この鉄甲船でありましょう。
船を鉄板で覆えば、焙烙玉でも燃えない! そりゃそうだけど、浮力は? まぁ、完全にフィクションですけど、漫画ゆえのデフォルメってことでお許しを。実は鉄甲船は、その正体がかなり不明な存在でもあります(詳細は以下の記事へ)
信長考案の鉄甲船~毛利・村上水軍を破ったのは鉄に覆われた巨大船だったのか?
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