まんが戦国ブギウギ

まんが戦国ブギウギ70話 北陸の勝家や利家たちは信長訃報に大号泣

2020/05/13

明智軍13,000に攻められ、敢えなく陥落した本能寺。

業火の炎に包まれ焼け落ちる中に織田信長の遺体は見つからず、明智光秀が焦燥に駆られる頃、いち早く行動に出たのが中国地方で毛利と対峙していた羽柴秀吉だった。

和睦を結び、備中高松城の清水宗治を自害させると、後に「中国大返し」と呼ばれる進軍作戦で畿内へ。

その頃、織田家中でも随一の実力者が揃った「北陸方面軍」は上杉家の魚津城を取り囲み、今まさに陥落のところだった……。

 


魚津城陥落

◆本能寺の変の頃、そういや柴田勝家って何してたの?

明智光秀を打ち破り、きっちりカタキを取った秀吉に対し、あまり知られていないのが、北陸方面軍かもしれません。

前田利家や佐々成政を率いた勝家は上杉方の魚津城を取り囲んでおり、本能寺の変翌日には同城を陥落させていたのです。

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この頃、上杉の当主だった景勝は、後詰のため魚津城付近まで来ておりましたが、信州(長野県)や上州(群馬県)から本拠地・春日山城を脅かされる動きがあり、仕方なく越後へ戻ってしまいました。

ゆえに魚津城の12将は耳に鉄線を通した名札をつけ、討ち死にを覚悟したという書状が残っております……。

それが『魚津在城衆十二名連署状』でした。

魚津城の戦い
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やっときた知らせ

◆若かりし頃から信長に仕え、織田家の成長と共に自身も出世してきた柴田勝家に前田利家。

一時は弟・織田信勝(織田信行)を担ぎ上げ、信長の命も狙った柴田勝家ですが、家中がひとつにまとまってからは文字通り粉骨砕身で合戦働きをし、その地位も家臣では筆頭の位置にまで上り詰めておりました。

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一方、少年の頃から信長と共に成長してきた前田利家は、君主と家臣という単純な結びつきだけでなかったでしょう。

笄(こうがい)事件とか思い出したりしたのかなぁ。

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利家さんの本気で絶望している姿を思うと、まさしく走馬灯のように様々な記憶が甦ってきた気がしてなりません。

 

疑わしきは罰す

◆後に清州会議で柴田勝家に担がれる織田信孝さんは、この頃、伊勢の神戸氏(かんべ)に養子に出されておりました。

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そして丹羽長秀などと共に、四国へ渡海する準備を進めていたのです。

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場所は堺。本来なら光秀に近く、真っ先に報復すべき立地にいた信孝さん。この時、やけに兵が少なかったことから、いかにも信孝さんに人望がなく、配下の者たちが逃げ出したという話もありますが、一方で最初から兵が少なかったという見方もあります。

一般的には「長宗我部元親へ攻め込む」と思われている四国方面軍ですが、実はすでに元親は信長へ降伏の意を示しており、この軍は軍隊というより挨拶目的の使節団だったとする見解があるのです(元親の書状が解読されたことから最近浮上してきた)。

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果たして真実は……?

 


摂津衆

高山右近中川清秀と言えば、アラーキーこと荒木村重の謀反を促しておりながら、すぐさま手のひらを返し、これを攻め立てた立場コロコロキャラ。

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そんなイメージの強い二人がもしも明智側についていたら、豊臣秀吉の【中国大返し】も計画通りにならなかったでしょうし、その後、細川親子の動きなども変わったかもしれません。

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逆に、この2名すら味方にできなかった光秀さんってのも可哀想ですよね……。

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本連載の過去作品→戦国ブギウギ
もう一つのマンガ連載→日本史ブギウギ

著者:アニィたかはし
文:五十嵐利休

書籍版『戦国ブギウギ』です!

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アニィたかはし

漫画家。現在は武将ジャパンにて、まんが『大河ブギウギ べらぼう編』シリーズを連載中。 2014年より歴史漫画家として活動を開始し、2015年には連載作品をまとめた商業コミック『織田信長の戦国ブギウギ』(鉄人社)を全国発売。 以降、独自のポップ表現と歴史知識を融合させた「ブギウギシリーズ」を継続し、戦国・江戸・幕末など幅広い時代を題材とした作品を制作している。 2024年からは大河ドラマの各回を題材にした“ドラマ考証型マンガ”へと表現領域を拡大し、作品の幅をさらに広げている。 ◆主な著書 『織田信長の戦国ブギウギ』(鉄人社、2015年、ISBN:978-4865370324) ◆国立国会図書館データ https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/001200494

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