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【戦国ブギウギ70話】
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疑わしきは罰す
◆後に清州会議で柴田勝家に担がれる織田信孝さんは、この頃、伊勢の神戸氏(かんべ)に養子に出されておりました。
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そして丹羽長秀などと共に、四国へ渡海する準備を進めていたのです。
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場所は堺。本来なら光秀に近く、真っ先に報復すべき立地にいた信孝さん。この時、やけに兵が少なかったことから、いかにも信孝さんに人望がなく、配下の者たちが逃げ出したという話もありますが、一方で最初から兵が少なかったという見方もあります。
一般的には「長宗我部元親へ攻め込む」と思われている四国方面軍ですが、実はすでに元親は信長へ降伏の意を示しており、この軍は軍隊というより挨拶目的の使節団だったとする見解があるのです(元親の書状が解読されたことから最近浮上してきた)。
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果たして真実は……?
摂津衆
◆高山右近と中川清秀と言えば、アラーキーこと荒木村重の謀反を促しておりながら、すぐさま手のひらを返し、これを攻め立てた立場コロコロキャラ。
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そんなイメージの強い二人がもしも明智側についていたら、豊臣秀吉の【中国大返し】も計画通りにならなかったでしょうし、その後、細川親子の動きなども変わったかもしれません。
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逆に、この2名すら味方にできなかった光秀さんってのも可哀想ですよね……。
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著者:アニィたかはし
文:五十嵐利休
書籍版『戦国ブギウギ』です!
















